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宴の当日は瞬く間にやってきた。
左弦直は数日前から準備のためにすっかりのぼせ上がっていた。なにしろ国王が自宅に来るのである。厳しい方ではないとは言え、粗相があっては一大事である。
特に宴の会場となる広間には細心の注意を払った。
程は涼の文化を最も正当に引き継いだ国であることを自負していたので、人々を呼ぶとなれば、当然その飾り付けにも涼の文化が反映されなければならない。それが高官たちの集う宴ともなれば、なおさらである。それこそ一部の隙もないほどの念の入れようであった。
一方、雲洛邦はあいかわらず毎日のように街に出かけて過ごしていた。宴の準備のほうも、左弦直に任せきりであった。
「先生、宴の席には顔を出していただけるのでしょうか」
心配になった左弦直がそう尋ねると、雲洛邦は頭を振った。
「私のようなものが皆さんの前に出ても、何にもなりませんよ。それよりも宴の途中、余興で秦踊の舞を見せます。そのときが勝負です」
それからそのとき言う言葉を左弦直に耳打ちした。しかし左弦直はそれを聞いてもあまりぴんと来なかった。
「私はそれを言えばいいだけなのですか?」
「ええ。それだけです。あとは勝手にことが運ぶことでしょう」
良く分からなかったが、大した言葉とも思えなかったので、彼は軽い気持ちで引き受けた。
昼を過ぎると、続々と左家の屋敷に人が集まってきた。夜の宴の準備のために、朝から屋敷の者たちが忙しく働いていたが、さらに余興の舞妓や曲芸師たちもやってきたのである。彼らは武器などの危険物を持っていないか、全員が徹底的に調べられるため、早くから来る必要があったのである。
もちろん、その中には泥と友夫人の二人の娘もいた。泥は二人の荷物を持って、二人の後から入ってきた。
姉の観遥と妹の観遊は、付け焼刃の舞を高官の前で踊る羽目になったことで、緊張していたが、泥の方はさほど緊張もしていなかった。踊りそのものには自信があったし、その点で失敗するとは考えていなかったからである。
三人は左家の者の案内で踊子の控え室の一つに案内された。
「おまえたちの出番が近づいたら、知らせに来る。それまでは休んでいろ」
大部屋であり、すでに他の者が大勢いた。それぞれが自分たちの準備に忙しくしており、入ってきた彼女たちに声をかけるものもいなかった。
観遥と観遊は、普段大事にされている分、自分たちへのぞんざいな扱いに内心で腹を立てたが、なにしろここは国の高官の屋敷である。普段どおりには行かないことくらいは自覚していた。三人は隅の方の空いているところを見つけ、そこで自分たちの準備を始めた。
やがて日が暮れかけてくると、大きな馬車が次々に屋敷へと入ってきた。高官たちが訪れ出したのである。
やがて地味ではあるが、ひときわ頑丈そうな馬車が屋敷へと入ってきた。
国王の到着である。
左弦直はすぐに駆け寄って地面に伏し、挨拶をした。
その様子を雲洛邦は少し離れた屋敷の窓から、気付かれないように伺っていた。
「程国王楊近……。なるほど、まだ若い」
彼はこの国の王を見ても、さほど感慨も抱かずに観察を続けた。
この国で最も尊い地位にいるその人物は、まだ三十を過ぎたばかりであった。五年前に父親である恵文王楊啓の跡を継いだ。
前王である楊啓は政治家であると同時に芸術家であった。国境を接する小国細を属国にし、また領土内に残っていた少数民族を慰撫して、彼らもまた自国に取り込んだ。
そうした政治手腕もさることながら、数多くの詩を残し、またその繊細な書は既に気難しい南華の蒐集家達の間でも高く評価されている。
しかしその晩年は、政治に厭いて趣味の世界に没頭するようになった。結果として一部の臣下の専横と対立を招いたのである。
そしてその息子である今の国王は、父親から莫大な富と共に、御しがたい臣下の対立を受け継ぐことになった。彼は穏やかな性格であり、頭も悪くはなかった。また父親同様、芸術面での才能を開花させつつあった。しかしそれだけで国を治めることは難しい。彼は臣下の対立の狭間に立たされて、常に頭を抱えていた。
だから今日の宴において両者の和解がなれば良いと切実に思っていたのである。
涼の様式――豪奢な中にどこか退廃的な雰囲気を漂わせた――で整えられた大広間に、主賓がすべて揃い、いよいよ宴が始まった。
涼の音楽が奏でられ、また余興として多くの踊り子が、涼代より伝わる伝統の舞を舞台の上で舞う。
表向きは和やかに進んだ。しかし皆、自らの政敵とは口を利こうともしなかった。
一方、左弦直はこの宴で引き起こされるはずの嵐に緊張し、すっかり顔を青ざめさせていた。
「弦直、なにをそんなに緊張しておるのだ?」
王が声をかけると、左弦直ははっ、と頭を下げた。
「なにぶんにもこのように多くの方々をお招きしての宴、粗相があっては一大事でございますから、緊張いたしております」
「よいよい、今日は無礼講とせよ。多少の粗相などあっても気にせぬ」
王の声に、皆が歓声を上げる。
それまでよりも砕けた雰囲気の中、舞台上の演目も次々に変わって行き、いよいよ左弦直は、問題の時が来たことを悟った。
「さて皆さん、次にご披露いたします舞は、少し趣向を変えまして秦踏をお見せいたします」
左弦直のその言葉に、最初に反応したのは、それまで一言も発していなかった大夫の馬範であった。彼は突然、大声で笑い始めた。
周りの者が訝しむと、笑いながら自分が笑う理由を説明した。
「左大夫がなぜこのような場を設けたのかと思えば、ただ自分が賢との同盟に賛成であることを伝えたかっただけだと分かったからだよ。保身に汲々とする男は大変だなあと思ってね」
その言葉に賢との同盟に反対していた者たちは顔色を変え、また賛成していたものたちも顔を顰めた。
一方、左弦直は自分がまったく思いもしなかったことを馬範に言われ、唖然とした。
給仕役に混じって場の様子を伺っていた雲洛邦は、不自然にならない程度に素早く左弦直に近寄った。
「敵を知り、己を知る」
それだけ周囲に聞こえないように伝えると、何事もなかったように膳を下げて退いた。
左弦直も雲洛邦の言わんとする意味を理解し、襟を正して改めて馬範に答えた。
「賢と同盟すべきかどうかは、この場で論じることではございますまい。ただ、賢を敵としようと味方としようと、彼らを知ることはわが国を支えるわれら一同にとっても、損とはならないと思うが、いかが」
「なるほど。うまく逃れたね。まあ確かに折角の宴だから、弦直殿の趣向を楽しませてもらうよ」
馬範がそういうと、左弦直はほっとした。
そして改めて左弦直が合図を送ると、中原風の曲が奏でられ、舞台の上に二人の踊り子が登場した。
しかしその踊りは素人然としたもので、そこで見る者たちの失笑を買った。
「所詮、今の中原ではこの程度のものしか見られないのでしょうな」
「いまや文化の中心は南華にあり、とはよく言ったものです」
そのようなささやき声が聞こえ、左弦直は気が気ではなかった。
やがて二人が下がると、今度は別の踊り子が登場した。
静かに登場し、舞台の中央で静止すると、突然、伴奏に合わせて朗々たる声で詞の朗読を初め、それと共に舞台全体を使って舞い始めた。
その見たこともない舞に、一同は仰天した。
氾江の流れは果てしなく
緩やかに悠久の時を行く
北の風は冷たく吹き荒び
南の草木は萎れて枯れぬ
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泥は雲洛邦に渡された詞を朗読しながら、舞を続けた。『詞の思いを舞いに乗せる』と言われたとおり、詞の意味を考え、その思いを舞いに込めた。
その詞は遠い過去に、北の大国に滅ぼされた南華の国の悲哀を歌ったものであった。
呆気に取られていた客たちは、やがてその切々たる歌声と鬼気迫る舞にすっかり引き込まれ、誰一人言葉も発せずに、舞台に釘付けになった。
物陰から彼らの様子を窺っていた雲洛邦は、その様子に満足した。しかし上座に座っている王に目を移したとき、顔を曇らせた。
他の者は明らかに泥の舞に心を奪われている。しかし王の顔は同じく舞台に向かいながらも、だんだんと沈んでいくのが見て取れたからである。
――王には不興だったか?
ちらりとそう思ったが、しかしそれ以上の感慨はなかった。




