背襲と熱刃
遥か遠くへ、片腕を失った≪ラシェミ≫が走り去っていく。その反応をレーダーで見送りながら、輝は状況を冷静に俯瞰していた。
スピーカーで全方位に向けて喚き散らしていた、この「襤褸」に搭乗する男の声は、紛れも無く先程自分たちを襲った男のものだ。また、焼き切れて露出したコクピット部からも、先程確かに目にした黒衣が見える。
フードの下から僅かに覗くその表情は、屈辱と怒りに満ちている。その様子を目にしたマフツは、ふざけるでないわ、と一言吐き捨てるように呟いた。
「――――データ受信したよ。あの機体、瞬間移動みたいなことしてくるんだって」
「ほんの数分であれだけの惨状を生み出したのはそういうことか、奴め……」
「でも、一回使ったらしばらく使えないみたい」
「じゃろうな。でもなければあの男も儂らも死んでおる」
この場所に来るまでに数分。想定されるインターバルは、十数秒から数十秒――この会話の間にもそれが過ぎている可能性はある。一瞬たりとも敵から――そして、センサー類からも目を離すことはできない。
送信されたデータによれば、「襤褸」は瞬間移動を行った直後は常に背後から急襲している。その旨を確認すると、マフツはその両腕に一つずつ、光を灯した。
『テメェらァ……何だってこんなとこに……!!』
「それはこっちの台詞じゃ!」
「あなたこそ、何なんですか!?」
『言われてハイそうですねなんて喋るワケねえだろ―――がッ!!』
「!」
怒りに任せた咆哮が耳を打つ、その瞬間――不意に通信が途切れたその直後、二人の乗る≪ラシェミ≫の背後に「襤褸」が姿を現す。
その手に握られたヒートブレードが、≪ラシェミ≫の腕を断つべく振り下ろされる――――。
「甘いわッ!!」
『なッ……にィ!?』
その瞬間、マフツが創り出した刀が「襤褸」のヒートブレードそのものを断ち切り、背部のブースターを貫いた。
機能停止に追い込まれたブースターが爆風を生じ、断ち切られた刃が地面に落ちる。
「――――せぇえいッ!!」
『おがああああァァッ!?』
直後、武器を破壊したことで発生した意識の間隙を突くように、≪ラシェミ≫の後ろ回し蹴りが突き刺さった。
莫大な衝撃が男を襲い、勢いのままに「襤褸」が鏡界の地面を転がっていく。
「レーザーライフル、撃てるよ」
「撃たんわ!」
二人の乗る≪ラシェミ≫の右腕に接続されたライフル銃の冷却が終了したことを示すアイコンが、コンソールに表示される。
このライフルは、マフツの「光を集める」能力を利用した即興品である。超高温のレーザーを発射するという機能を持たせており、その威力は「襤褸」の装甲を軽く融解させるほどである。咄嗟に創っただけ有って作りも粗く、一度撃った後にはそれなりの冷却時間が必要になるが、威力だけは充分だ。プログラムも輝が造った突貫工事の産物だが、どうやら上手く機能しているらしい。
早急に追撃を――という思いのもと発せられた提案は、その場で即座にマフツに却下された。
どこまで行ってもやはり、彼女は「人間の」守護者なのだ。敵と理解してはいても、その命を奪うことまではできない。あくまで裁量の範囲内ではあろうが、相手が人間だと認めた上で命を奪いに行く、ということはできないのだろう。それはそれでマフツらしいや、と輝は一つ頷いた。
「でも、無力化はしないと」
「分かっておる。あの時のように磔にでもすれば十分じゃろう」
「腕か足でも切らないと危ないよ?」
「物騒なことを言うでないわ!?」
しかし、その点に関しては輝の言うことが正しい。輝と同等の身体能力を持っているとなれば、磔にされた程度で動きを封じきれるとは限らないからだ。衣服を破り捨ててでも反攻に来る可能性の方が高い。下手をすれば、腕や足を刀剣で縫い付けられていようとも強引に抜いて動き出すだろう。そうなれば、命を奪う方がまだ対処法として現実味があると言える。結果的にはその方が物的にも人的にも被害が出ない、ということすら考えられることだろう。
『……クソが……ッ!』
しかし、そんな二人の思いとは裏腹に、男は動きを見せない。その表情は相変わらず怒りと屈辱に満ちていたが、しかし、そのまま襲い掛かってくるような様子も見受けられない。
ダメージが残っているからか、というとそういうわけでもなく――ただ、不快そうな顔をしているだけで、動かない。
『……テメェらはまだ「生かされてる」だけだ。覚えていやがれ、クソ共……ッ!!』
数秒ほどして、男の口から負け惜しみにも近い一言が絞り出され――そして、煙のように「襤褸」もその姿を消した。
レーダーには一切反応が無い。先程と同じように瞬間移動したのだろうということは推測できたが、どこへ向かったかまでは分からない。
この戦いが終わりを迎えたことを実感するように、マフツは一つ溜息をついた。
しかし、「襤褸」に乗った男の目的は未だ杳として知れない。松山製鋼の部隊の壊滅も止めることもできず、苦い思いだけが残ったと言っても過言ではない。例の男の素の実力そのものは大したことが無さそうだという点だけが救いと言えようか。
「……負け惜しみばかり達者じゃのう」
「そ、そういうこと言っちゃダメだよ」
「いや。負け惜しみじゃろ……あれ」
輝としても、事実故にそこを否定することはできなかった。
あれは紛れも無く負け惜しみだ。
「でも、何なんだろう。あれ。どういう意味なのかな、『生かされてるだけ』って」
「言葉通り受け取るなら、奴が儂らを監視しており、いつでも殺すことができるほど行動も把握しておるということじゃろうがな」
「……それって、やっぱりおじさんが関わってるのかな?」
「そう考えるのが普通じゃろう。あれだけのロボット、まともに運用しようと思ったら個人では無理じゃ。そして、鏡界のことを知る組織と言えば、灯里の会社か、あるいは――ということになる」
複雑そうに、輝は顔を曇らせた。
先程まで冷静に状況を俯瞰し、冷徹な判断を下していた者と同一人物とは思えないほどに憔悴した表情だった。
元々、輝にはこういった二面性があることをマフツも承知はしているが――やはり、違和感が拭えないのは確かである。
「ま、何にせよ今それを言っても詮無いからの。早いところ戻って食事にしようぞ」
「うん、そうだね――――うん? あ、ちょっと待って。通信だ。灯里さんから」
「…………」
思わず、マフツは極めて渋い表情をしていた。
当然と言えば当然、というか、状況を考えればしなければならない連絡ではある。しかし、何でこんなタイミングで通信を寄越すのか。大きなため息を吐きながら、マフツはその通信を受け取った。
「何じゃ貴様唐突に」
『いや。我が社の職員を助けてくれたようで、礼を言おうと思っただけなんだがね』
「それは輝に言ってやれい。儂は足になっただけじゃ」
『そうか。まあ、そうだろうね。まあ、私としてはどちらでもいいのだけれど』
「勿体ぶった言い方をせずにはっきり言わんか。何用じゃ」
『そうやって見透かされるのは良い気分じゃないんだけどね……まあ、いいさ。一度我が社の方に顔を出してくれないかと思ってね』
「断る」
きっぱりとそう告げ、マフツは通信を切った。
「……いや、いいの!?」
「多少ぞんざいに扱ってもいいわいヤツなら」
「良くないよ!?」
「儂は食事を優先したい」
「ぼ、僕別に大丈夫だけど……」
と、そんなやり取りをする間にも、再び灯里からの通信が送られる。
しかしながら、ある意味電話と同様、接続さえしなければ通信は繋がらない。マフツは送受信ができないように、そのまま≪ラシェミ≫を光の粒子に還した。
「マフツ、電話」
「ええい、ヤツは何なんじゃしつこいのう!? というか鏡界で通話できるのか!?」
「あの博士さんに改造してもらったの」
「余計なことを!!」
――――しかしながら、結果的に通信は確立され、マフツは改めて灯里と通話するハメになってしまったのだった。