陽動と座標
「ぅあだっ!」
男の猛追から逃れるべくして勢いよく鏡界に入り込んだマフツは、その勢いのままに軽く地面に衝突していた。
擦り向けた鼻の頭が、指をかざすことで瞬時にして修復する。元より彼女の本体は神宮に存在するご神体の「八咫鏡」だ。分霊とも呼ぶべきマフツは、多少の傷であれば問題無く修復することができた。
「マフツ!」
先に鏡界に来ていた輝が、慌てたような様子でマフツに駆け寄ってくる。大きな怪我を負ったような様子の無いその姿を見てほっと息を吐き出すと、マフツは即座にその手に光を灯し、≪ラシェミ≫を創り出した。
「よし、無事じゃったな……! すぐに迎撃の準備に移るぞ!」
「うん……! けどこんな、なんていうか……機動兵器で迎撃して大丈夫なの!?」
「輝と同じような筋力をしとる相手に情けも容赦もかけられるか!」
「あ、うん……」
ひどいが事実だ。苦笑いを浮かべた輝は、マフツの指示通りに≪ラシェミ≫の開いたコクピットに乗り込んでいった。次いで、マフツも同様にコクピットの前面に乗り込んでいく。
「さあ、来るか……!」
電源が立ち上がり、戦闘のために機器が起動する。更に、≪ラシェミ≫の手にマフツの創り出した「天叢雲」が握られた。
そして、男がやって――――――こない。
十秒、二十秒……数分が経過しても、黒衣の男はその姿を現さない。
「来ない……!?」
「来ない、ね……?」
どういうことじゃ、と激した様子でマフツが強く歯噛みする。直後、輝の中にほんの僅かに推測が浮かんだ。
不必要に挑発的な感のあるあの口調に、無鉄砲に過ぎるあの行動。そのいずれもを鑑みて輝たちは鏡界へと避難し、黒衣の男を待ち受けようとしていたのだが――あるいは、それこそが彼の目的だとしたら?
「ねえ、マフツ。これ、あの人が時間稼ぎのために僕らを鏡界に押し込んだってことはないかな?」
「な、ぬ……? ありえ……なくはない……か? じゃが、だとしても何故――」
僅かな推測を口にして、マフツは一つ頭を振った。
街中で唐突に襲撃なんぞしてくるような異常者の考えなど、分かるはずも無い。
「こちらで何をしようともそうそうあちらには影響せん。急いで戻るぞ。何をしているかこの眼で確かめねばならん……!」
「分かっ……あ、ちょっと待って。通信」
「なぬ? こんな時にか……?」
鏡界の中で通信となると、同じ≪ラシェミ≫に乗る松山製鋼の面々からのものとしか判断はできない。僅かに逡巡しつつも、マフツは頷いて通信を取ることを勧めた。
「はい、こちら輝です」
『輝……? 松山輝か!?』
「あ、はい。松山輝です。松山製鋼の方ですか?」
『そうだ! 松山製鋼の……ええい、ヤツが来たか!』
「や、ヤツ……?」
通信先の様子は、非常に慌ただしい。混乱の渦中と言うべきか。しかしながら、通常考えられるそれとはかなり毛色が違う。
仮にジャバウォックの襲撃があったのだとしても、そもそも松山製鋼の部隊はそのために≪ラシェミ≫に搭乗している。騒動が起きこそすれども、輝たちにまで通信を寄越すほど切羽詰まった状況に陥ることはまず無いはずだ。
そして、何よりも彼らがジャバウォックを「ヤツ」などという曖昧な言葉で示すことは無いはずだ。その事実が、輝の頭に引っ掛かった。
「ヤツって『誰』なんですか?」
『誰――――ヤツのことが分かるのか!?』
「分かりません。けど推測だけはできます」
『そうか……いや、今はそれでいい。ヤツは……ロボットに乗った、何者かだ!』
ロボット――この鏡界において、本来松山製鋼とマフツの両者のみが持ちうる、人類側の最大戦力。
しかして、「敵」と思しき者は、それを駆るという。思わず、輝はマフツと眼を見合わせた。
「……あの人かな?」
「としか考えられんが」
状況から鑑みれば、その可能性は非常に高い。
輝とマフツを別の地点に釘付けにし、その間に本命たる松山製鋼を叩く――基本的な陽動戦術だ。
何故、松山製鋼の職員を狙うのか……そこにまで考えは及ばないものの、何らかの目的がある上で、彼らの命か、襲撃によって生じる付加価値を狙っていることは紛れも無い事実であろう。
だが、果たしてそれを食い止める必要があるのか、ともマフツは考える。
推測が正しければ、これはあくまで人間同士の争いだ。そこに介入するのは守護者としての権限を越えているのではないか……と。
「ごめんねマフツ。先に言っとくけど、僕は退くつもり無いから」
「は?」
「僕は退かないよ。もしその気なら、機体のコントロールを奪ってでも助けに行く」
「は!?」
馬鹿なことを言うな、とばかりにマフツの眉根が寄せられる。
輝の能力ならばそれも容易いことだろう。が、そうなれば≪ラシェミ≫の能力は十全に発揮できないし、何より無駄死にになる可能性が高まる。一蓮托生の身としてそれを看過できるはずもない。
しかし、輝の意志は固い。マフツが何か言葉を放つよりも先に、その手元で操作を継続する。
「ふざけたことを言うでないわ! 儂らの状況が分かっておるのか!? 下手をすれば挟み撃ちじゃぞ!?」
「下手を打たなければいいんでしょ。もしかしてマフツ、怖いの?」
「ばっ……誰が怖くなど」
「怖くないんならいいでしょ。それに、人間を守るのがマフツのお仕事じゃないの?」
「人と人の戦いに介入する気は無いんじゃ」
「僕と同じだけの力があるってことは、もしかしたらジャバウォックかもしれないよ」
「うぐっ、それを言われると……」
輝の身体能力はジャバウォックに由来するものだ。それと同等の力を持つとなれば、やはりその可能性が浮上する。
マフツ個人としても、そうした指摘を受けた上で黙って見ていられるほどに冷徹ではない。一つ大きなため息をついて、彼女は輝に指示を飛ばした。
「……場所を聞けい」
「うん。すみません、座標を送ってください。今から向かいます」
『本当か!? 信じられん……いや、だが今は君らに任せる他無い。頼む!』
通信と共に、輝の操作するコンソールが座標データを受信する。見れば、それほど位置は離れていない。
最短距離を算出しながら、輝は思考する。どうすればもっと早くその場所に到達できるか。そして、敵となるロボットを排除するには……。
「ごめんねマフツ。ちょっと色々指示出すけど、いいよね?」
「構わぬ、言え!」
「ん。まず灯里さんの≪ラシェミ≫を参考にブースターを増設したいんだ。それと、刀はどのくらい出せるの?」
「数本と言ったところじゃ」
「じゃあ安易に使い捨てられないね。レーザーみたいに光を照射ってできる?」
「任せよ。それこそ儂にできぬわけが無い」
「そうだね」
八咫鏡は太陽――天照大神の化身と謳われる存在である。その権能は鏡像を創り出すそれよりも、「太陽」に関わる事柄の方に強い適性があると言えよう。強い自信を帯びたその返答も、ある意味で当然のものだった。
「射程とかタイミングの問題もあるから、そっちは僕が管理するね。マフツは戦闘の方に集中して」
「任せよ」
「位置はここ。前面モニタに常時カーソルを表示しておくから、そっちの方向に全速力でお願い!」
「うむ――――行くぞ!」
「うん……!」
――――やがて、決意と共に紺碧と白銀に塗られた≪ラシェミ≫が、その最高速をもって戦場へと疾駆した。




