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夕日と黒衣

「ふう――――」



 新たな≪ラシェミ≫のおよその調整が終わって、数分。ようやく二人して息をつくことができた頃、既に日が傾いていることにマフツは気が付いた。

 どうやら、自分たちの武器なのだから――と張り切ってしまっていたところ、二人して没頭してしまっていたらしい。しまったのう、と自身の迂闊を僅かに呪い、マフツはこの日の献立に考えをを巡らせた。



「そろそろ夕食じゃが買い物に行かんか、輝」

「あ、うん」

「む……何をしとるんじゃ?」



 パソコンを弄る手を止め、マフツの言葉に頷く輝。

 思わずその画面を覗き込むが、輝が何をしているかまでは(よう)として知れない。しいて言えば、何らかのプログラミングを行っているようだということだけは、マフツにも察しはついた。

 もっとも、察しがついたから何だという話でもある。専門家ならいざ知らず、マフツにできるのはネットサーフィン程度のことだ。輝のやっていることが理解などできようはずも無かった。



「≪ラシェミ≫に標準(プリセット)でインストールされてたジャバウォックの追跡プログラムってあったでしょ? あれをコピーして改良してるの」

「サラッととんでもないこと言っとるのう……」

「僕は僕にやれること全力でやろうって思って。どうかな?」

「ん、んむ。儂にはちょっと分からんが、やれることができておるならそれでよい。で、何をどうしておるんじゃ?」

「これ、僕に対しても反応するからその辺をちょっと弄ろうと思って。あと、これ鏡の中から『出てくる』時にも検知してもらえるようにしようと思ってるんだ。スマホにもインストール出来たら便利だろうし、ちょうどいいかなって」

「うーむ。まあ便利じゃろうけど。あまり無茶はするでないぞ」

「うん、分かってるよ。それより、晩ごはん買い物行くんでしょ?」

「うむ……じゃが、忙しいなら儂一人で行って来るが」

「大丈夫だよ。帰ってきてからでもできるから」



 言って、輝はモニタの電源を落とした。先日のような不測の事態が無い限り、長時間外にいることは無い。パソコン本体の電源を切る必要は無いと断じたらしい。


 しかし、とマフツは僅かに考える。果たして本当に不測の事態は起こりえないのか?

 灯里か、あるいはその部下に尾行されている可能性も否定はできない。


 ――――ぶっちゃけ安心できんのう。


 外出の準備をしている輝を横目で眺めていると、自然と激動の二日間が思い返される。

 もっとちゃんと安心のできる日常を送れないものだろうか、と。マフツはそんなことを考えずにはいられなかった。




 * * *




「今日の晩ごはんどうするの?」

「うーむ。味噌は好きかの?」

「お味噌汁は好きだけど」

「味噌汁という手もあったか。じゃあ味噌汁と煮つけと……オムレツでも作るかのう」

「やった! 僕オムレツ好きなんだよね。でも和洋折衷ってどうなの?」

「構わん構わん。儂はそういうのも嫌いでないぞ」



 近隣のスーパーマーケットへの道を、談笑しながら歩いていく。

 その表情は至極穏やかで、和やかなものだ。一見、仲の良い姉妹か何かのようにも見えるその姿は、およそ(いさか)いや争いというものとは無縁にすら思えることだろう。その身に課せられた使命と事情(もの)さえ除いて考えれば。



「美味いものは美味い、それだけでいいものを世の人間は変に拘りすぎじゃ。そりゃあまあのう。統一感というものはあるが、それだけに拘泥するのも逆に不健全じゃて」



 何か苦い思い出でもあるのか、マフツは軽く口を尖らせた。



「あはは……僕も美味しいなら何でもいいや」

「良いわけがあるかこの欠食児童めが」

「え、えぇー……・?」

「そういうのは毎食ちゃんとした食事を摂って初めて言えるものじゃぞ。ほぼ毎食カップ麺で『なんでもいい』とは何事か」

「い……今はマフツが作ってくれてるし」

「儂をあてにしすぎるな儂を」



 今のままでは、マフツがいない場合に自分で何とかする――ということが、できないではないにしろ、質の悪い食事を摂ることになるだろうことは明白だ。

 ただでさえ生活能力が絶無に近いのだ。近々料理を教えておこう、とマフツは密かに決意した。



「うむ、じゃがまあ、頼りにされるのは悪くない」



 とはいえ、そもそも守護者は人間を護る存在である。

 頼りにされているという事実自体は、彼女にとっては喜ばしいことではあった。



「……?」

「む。どうした?」



 そんな折、不意に輝の眼が細められる。

 輝にせよマフツにせよ、その感覚は常人のそれよりも遥かに鋭敏だ。何か妙なものが見えたとしても、見間違いや目の錯覚などそうは無い。しかし、それでも輝は何かありえないものを目にしたかのようにしきりに目を瞬かせていた。



「え、と。あれ?」

「まったく、どうしたと言うんじゃ急に立ち止まって。幽霊でも見たか?」



 そんなわけがなかろうが――と冗談めかして言った、その次の瞬間。

 不意に、二人の眼前に黒い影がその姿を現した。



「!?」

「な――――!?」



 ジャバウォック――ではない。黒衣に身を包んだ、人間だ。目深に被ったフードのせいでその容姿は判然としないが、体格と体型から男であろうことは明白だ。

 その姿には、当然ながら見覚えは無い。しかし、フードの下から僅かに覗く瞳に宿る仄暗い感情は、輝の危機感を呼び覚ますには充分なほどの呼び水となった。



「クハッ」



 笑い声と共に、その右手が動いた。その動きを察知すると共に、弾かれるように輝の小さな体が飛び出す。

 そして、音速を超えた拳と拳がぶつかり合い、爆音と共に衝撃波が周囲に撒き散らされた。



「ぬあっ!?」

「っ……誰!?」

「答えるわけねぇだろ馬鹿が」

「あぐっ!」

「輝!」



 男が前蹴りを繰り出す――それを認識した途端に、輝は後ろへと飛び退いた。文字通りに右足が空を「斬り」、空間を断裂するかの如き風圧が輝の身体を打つ。そこでようやく、マフツもまた我に返った。

 頭を切り替える。ここに現れたこの男は敵だ――と。



「貴様……!」



 その手に「天叢雲」が顕現する。鏡界で用いるそれと同等の能力を持つそれは、人間相手に使うにはオーバースペックではある。しかし、輝と同等の能力を示したこの男が、果たして普通の人間と言えるだろうか?

 明確な害意を示すその男に、躊躇をする理由は無かった。



「はあッ!」

「テメェに用はねえんだよッ!」



 激突する拳と剣――その異常な光景に、マフツも状況を正しく認識する。

 この男は紛れも無く敵だ。ジャバウォックと同質の存在であるはずの輝と互角の格闘を繰り広げている時点でどんなことをしでかしても不思議は無いが、超高熱を放つ刀と直接打ち合うなど、異常事態にしても甚だしい。



「マフツ!」



 駆け寄ろうとする輝を、マフツは視線で制した。

 この場所は曲がりなりにも公道だ。郊外でかつ未だ退勤の時間帯でないことから人通りは少ないが、万が一ということもある。ここで戦闘を続けるのは得策ではない――その意思を汲み取った輝は、躊躇なくその進路を近辺の鏡のように磨き込まれたビルのガラスへと向ける。



「だったら最初から襲って来るでないわ!」

「!」



 雨のように鏡像(・・)の刀が降り注ぐ。

 鏡像は、あくまで鏡界において「実」を伴う存在である。現界(こちら)においてはあくまでマフツという「鏡」に写った存在であり、一切の威力を持たない。故にこれはあくまで牽制――手傷を負わせるためのものでないというのが実情だ。

 しかし――男の行動は、マフツの想定を遥かに超えたものだった。


 ――――雨あられの如く降り注ぐ刀を、全て躱しながら進み続ける。


 およそ人類に可能なことではない。当初の想定を遥かに上回るその事態に、思わずマフツも自身の眼を疑った。



「はァッ!」

「じゃが……ッ」



 しかし、そもそもの目的は一時的な鏡界への離脱。追いかけてくるのならば、それでも構わない――というよりも、「鏡像」をフル活用するためには、鏡界での戦いの方が都合は良い。



(――――よもや、そのことまで計算ずくか……?)



 いや。理解しているはずだ。そして、その上で襲ってきている。やや場当たりな感のあった灯里の時と異なり、確実に。

 ならば鏡界へと向かうこともこの男を誘い出すことも急務。その事実を認め、マフツはその心の枷を一つ外した。

 最早人間を相手にするのだとは思わぬ、と。

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