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ヒガンバナ  作者: douce et amere
第1章―怪異の章
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プロローグ

 夜。暗闇。遥か頭上には白く光る満月。しかし、それは地上を照らしはしない。黒いもやをまとわりつかせたソレは、思考とも呼べぬ思考で目の前にあるものの正体を探る。夜の見分けのつかぬ色の中、宙空には白い液体がこぼれてにじんだかのような何かがあった。遠く、祭りの喧騒が聞こえる。ソレの背後には、隠世の中心たる一本道を浮かび上がらせる赤提灯の列が、何にも気がつかない様子で揺れている。ソレは思う。


(あれ……なんだ。なんだ。……変だ変だへん……気になる)


 ソレは不思議な何かに近づいた。怖い感じはない。音はない。臭いもない。生き物ではないようだ。その事実にわずかにがっかりしたのは、ソレがもう長い事飢えているからか。失望、というほどの複雑な感情のないソレはすぐに元の思考に戻る。


(なんだなんだ……変へん変だぞ。……気になる気に、なる……)


 ソレはもっと近づいてみた。すると、一瞬、ちらりと白いにじみの向こうで、何かが動いたように見えた。ソレはにじみにさらに近づいた。と、何かの気配を感じる。それは久しく感じたことのないもの。温度。臭い。声。ソレは驚きとも喜びともつかない興奮を覚えた。


(これ……これこれ知ってるぞ。知ってるぞ! ……食い物。食い物くいもの喰いモノだあああ!)


ソレは宙空の何かに飛び込んだ。




 暗い夜道を、一人の男が歩いていた。グレーのスーツにビジネスバッグを片手に、家路を急いでいるのか、わずかに汚れた革靴をせかせかと踏みしめている。周囲はシャッターの下りた店と明かりの消えたビルばかり。夜空は雲で隠れ、月が出ているのかさえ分からない。しかし、男の目は地面を見つめるばかりで、きっとそんなことなど気にもしていないだろう。ぽつりぽつりと小さく灯る街灯は心もとない。ふいに――ぐちゃり。と何か、柔らかいものが潰れるような音がした。男は気がつかなかったのか、とくに反応も見せずに、歩みを進めている。――ばきゃ。ぼきっ。ごきり。唐突に響き始めたそれに、男も気がついたのか、はっと顔を上げ、ふと足を止めた。不安そうに周囲を見渡すが、そこには男以外の人影はない。しばし考えて気のせいだと考えたのか、眉をひそめて男はまた歩き出した。その時。――ばりん。ぼきゃ。ぐちょ。男のすぐ右側ではっきりと不快な音が――まるで咀嚼している時のような音が聞こえた。男が反射的に視線を向けると、とても不可思議な光景がそこにはあった。




 初めは白い、丸い何かに見えた。よく目を凝らしてみれば、その白い丸い何かは、仮面のように見えた。それも、日本舞踊か能などで使われるような和面。白いのっぺりしたそこには、三日月を三つ使って描いたような笑み。ぶるり。唐突に湧き上がった悪寒に、男は思わず身震いする。貼り付けたような動かない笑顔は、なぜか空中に浮いているように見える。男は目をこすった。疲れでおかしなものが見えていると考えたのだ。しかし、光景は変わらなかった。ぴたりと宙に浮いた仮面は、その背後に黒いもやらしきものを噴き出しながら、未だ不快な音を発し続けている。ここで不幸だったのは、男がその光景に不信感を持ち、疑問を晴らそうと近づいたことだろう。一歩一歩、恐る恐る近づいた男は、にわかに息を呑んだ。


「っ!」


 男の目には、暗いその空間の足元に、人が倒れているのが分かったのだ。……いや、人だったらしき何か、が正確だろう。色彩は分からずとも、周囲にぶちまけられた液体や壁に付着した塊がゆっくりと落下している様は、不可解な咀嚼音と相まって、底冷えするような恐怖を覚えさせた。男は一目散に身を翻そうとして、体が動かないことに気がついた。あまりの怖さに腰を抜かしていたのだ。


「っ!? 動けない!? なんでだ!? くそっ。動けよ!」


しかし、それを自覚できない男は金縛りにかけられたのかと思い込んで、息も荒く自身の足を叱咤した。




 怒鳴り始めた男は気がつけなかった。宙に浮く不気味な面が、その笑顔を男に向けたことに。面のもやは地面の人だった何かに伸び、そこから少しずつ肉片が削られていたことに。音もなく動いた仮面が目の前に来たことに。


「動けっ、動けよこの野郎! 動け、頼むから、うご――」


 ごきゃ。黒いもやが包んだ頭は、一瞬で粉砕され、大量の血液が地面に降り注いだ。ぐちゃぐちゃと咀嚼音をたてながら、もやは立ち尽くしていた男を少しずつ肉塊に変えていく。


『食い物くいもの喰いモノ食い物くいもの喰いモノ…………あぁ、美味いなぁ』


咀嚼音に混じって零れた呟きを捕らえたものは、誰もいない。


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