第五章 ~闇に明るく陽に暗く~
──いつかの邂逅を夢に見る。
『またなんとも、つまらなそうな顔をしてるじゃないか』
自分に声をかけてきたのは、旅人を騙る魔法使いだ。
特に整備も成されていない山中だというのに、全身を覆うような白い外套には土汚れ一つついていない。中性的な声の上に、目深に被った頭巾のせいで性別は分からない。
動きを止めることなく魔法使いに言葉を返す。
『他にやることもないから』
『惰性で力をつけても良いことなんて無いよ?君も、君の親族連中も、本当は気付いているだろうに』
肩をすくめる魔法使いの戯言を無視し、拳を前方に突き出す。続いて拳を開いて眼前に立て、半身の体勢でもう一方の腕を腰の横に置き力を込める。
『時代に置き捨てられた君達を必要とする人間なんてとうの昔に死に絶えた。だというのに、懲りもせず至高を作り出そうなんて、妄執の極みじゃないか』
『実に愚かしく、とても人間らしいね』と魔法使いは罵倒と賛辞を交えて嘯く。それにも答えず、力強く踏み込んで正拳、肘と続けて前方に突き出す。
『彼らの我執が、この山中で自己完結に終わるならそれはそれでいい。こちらも困らなくて済む。しかしどうも、そうはならないらしい。残念なことに』
ほんの僅かに、踏み込みがずれた。
『いや、その思考は理解できなくもない。自らが作り出した最高傑作が、一族の悲願たる至高に手が届きそうなんだ。世に知らしめ、見せびらかしたいと思うのは人の性だろう。だが、目指す場所がよろしくない。戦の火が消えて久しいこの国では、誰からも歓迎されることはない』
『外に出る。そういうことか』
投げっぱなしだった言葉に返事があり、ようやく会話が成立する。魔法使いは頷いて意味ありげに笑みを浮かべて目を細めた。
『そういうことだね。それが意味するところは、君もよくわかっているだろう。なにせ、君はその為だけにに作られた子供だ』
『────』
『まあ、どうするかは君の勝手だがね。ことここに至った以上、最善を取るにしろ最悪を取るにしろ、君が失うものに変わりはない』
そう言って魔法使いが大きな白い布の塊を放り投げてくる。受け取ると、それは魔法使いが着用しているものと同じ外套だった。
『餞別。近い内にまた会わないことを祈っておくよ』
『山を下りるのか?』
『得るものは得たし、知るべきことも知れた。君のご先祖さまとは浅からぬ因縁もあったけど、それだけじゃこれ以上関わるには弱すぎる。少なくとも、まだ急を要するとも思えないしね』
まだ、と念を押すように魔法使いが言う。自分の動向次第では考えを変えるかもしれないということか。
『今煽ってるのはあんただ、魔法使い』
効果はないと知りつつも睨んでみると、魔法使いは笑いながら背を向けた。
『自分の都合の良いように動き動かすのは知性ある者として当然の行動だろう。それと、最後に一つ。魔法使いではなく魔術師だよ』
肩越しに手を振りつつ木々の合間に消えていく魔法使いを見送ったところで、目覚めの気配を感じた。
──ああ、この夢も現実だ。
「──ろって言ってるでしょうが!」
目が覚め、頭をあげて頭上からの脅威を回避する。身代わりとなった机が、大きな音を立てて縦一文字に割れた。
「危ないよ?」
「人が話してる途中で寝やがったのはお前でしょう。学ぶ気あるんですか?」
机を叩き割った腕をぷらぷらと揺らしながら、ラビが半目でシロを見る。
「ユウリちゃんユウリちゃん、今の凄かったですね。ばっこーんって机が割れましたよ」
「ユウリもできるよ。やる?」
「痛そうだからいいです」
安全圏から二人の様子を眺めていたセリスとユウリの会話に、ラビがしまったとばかりに気まずい表情を浮かべる。
シロがイーヴィス本城に滞在することになってから三日が経過した。その間にラビはアールマンからシロの教育係を命じられた。ついでとばかりにセリスとユウリの相手も任せられた。
二人の姫を同席させる理由は、シロとの交流を持たせるためと聞いている。セリスとユウリは国政に参加することを認められておらず、基本的に暇を持て余している。
彼女らの暇潰しの相手になればという主の配慮に、ラビはその思いを無為にすることのないよう努めようと励んだ。その障害となったのはやはりと言うべきか、シロである。
「続き、どうぞ」
「よくもまあ、いけしゃあしゃあと言えますね」
シロは友好関係というものに興味を示さず、結局この集まりは名目通り、シロの勉強の場となっていた。
「勉強してると眠くなるのって、よくわかります」
「ユウリはわかんない」
幸いなことに、セリスとユウリの方は少年に対して無関心というわけではなく、本城でも希少な年下の男の子ということで好奇の目を向けている。勉強の後も、シロに声をかけて茶会に誘ってみたりと積極的に行動していた。
予備の机をシロの前に置き、その上に筆記用具と国境線しか書かれていない地図を乗せる。あとから書き込むことを想定して作られた、学習用の大陸図だ。
「寝惚けていないか試験します。これに各国の名前と通称を書きなさい」
これはこの三日で学んだことの復習である。
常識云々の差異は日常生活を送っていかないと判断出来ないため、ラビはまず文字を教え込んだ。魔術によって言葉は理解出来るようになったが、文字は勉強しなくては解読できない。
文字の勉強と平行して、シロには地理も学ばせた。文字が分からずとも、言葉が分かれば土地の説明は出来る。それに最低限の地理を覚えていなくては、出歩かせることも出来はしない。
「い……び、す」
「イービスではなくイーヴィスです。綴りが違いますよ」
「いいじゃないですか。まだ三日目なんですし、多目に見てあげましょうよ」
「いや、しかしですね、こういうのは早目に訂正しておかないと……」
間違いを指摘したラビにセリスが口を挟むと、ラビは焦ったように自身の方針を明かした。
そんなやりとりを聞き流しつつ、シロはつたない文字で地図に国名を書き込んでいく。
南西から『イーヴィス』、その北に『エンピス』、更に北の大森林が『ルーフェ』、イーヴィスの東の山脈に『グラン』、その北の平原が『ハイビス』、続けて北の盆地は『イスカ』、ハイビスの東からイスカの隣まで『J』の形に伸びた『アロット』、大陸北東の大砂漠が『ナナシ』。
途中で何度か誤字脱字を訂正されつつも、大陸上に八つの国名を書く。〝砂漠の国〟は正式な名前が残っていないので、地図に起こす時は『ナナシ』と名を打つらしい。
「なあ、ラビ」
「なんですか?」
「どうしてイーヴィスは〝雑種の国〟なんだ?」
昨日聞きそびれたことを訊ねる。他の国の通称は〝森の国〟ルーフェや〝水の国〟アロットのように土地の環境に応じたものや、〝獣の国〟ハイビスや〝鳥の国〟イスカのようなその国を治める主だった種族の特徴を表したものばかりなのに対し、イーヴィスは〝雑種の国〟と他の国とは毛色が違って見える。
「理由としては他の国と同じですよ。魔族というのは、どの種族にも属さない混血のことです。昔からの慣習といいますか、ラピス大陸では他種族との婚姻は侮蔑の対象になるんです」
中にはリィンの父親のように、混ざりすぎてどの種族の血が濃く受け継がれているのかすら判らなくなるものもいる。
「元々、イーヴィスは国ではなく一つの集団だったそうです。異種族間で子を成した者達が、各国を放浪しながら生活していた時に名乗っていたものだと言われています」
「でも、今は国だよね」
「ええ。なんでも、初代の魔王様が力ずくで人間族の国を切り崩したらしいですよ」
その当時は女神が眠りに就いた後ということもあり、大陸全体が混迷を極めていたとされている。学者の中には、動乱のどさくさに紛れて掠め取ったのではと言う者もあり、正確なところは不明である。
人間族と魔族の因縁も、その辺りが原因と見られているが、両国共にはっきりとした資料が残っていないため、これもまた謎のままとなっている。
「じゃあ、ここって元々私たちの土地なんですか?」
「そういう説もある、という話ですよ。どの道大昔の話です。今更所有権を訴えないでくださいね」
セリスが手を挙げて質問すると、ラビが答えるついでに牽制する。セリスは「所有権?」と首を傾げていたが、黙殺された。
「まあ、そういう曰く付きの成り立ちであるため、国土面積の割に人口は多いんですよ。今でも偶に亡命してくる人達がいますからね」
イーヴィスが大陸随一の豊かさを誇るのも、そうした特性が最大の要因である。
各国の知識が集まり、それらが合わさって新たな技術が産まれる。それによって様々な分野での収益が高水準で保たれており、他国からも技術提供を求める使者が度々訪れている。
「ユウリたちが暮らしてるのも、アルたちのおかげなんだよ」
ユウリが自分の故郷を指さして言った。ラビはユウリが言わんとしていることを汲み取って補足する。
「えーとですね。魔族と竜人族との間に交わされた契約のようなものです。グラン公国は山脈地帯にあり、自給自足するには非常に厳しい土地です。しかし、その地下資源はかなり豊富でして。グラン公国で掘り出された宝石や鉱石、魔石はイーヴィスに送られ、イーヴィスからは加工した魔法石や食糧、衣類などの生活用品がグラン公国に贈られています」
元々はイーヴィスの一方的な生活支援のみだったのだが、山脈の有用性が見出だされて以来、正式な契約が交わされて今の関係になったのだという。
「もしかして、魔族って凄いのか?」
ラビの説明にシロとセリスが首を曲げる。その様子にユウリまでもが首を傾げた。
「セリス知らなかった?」
「うーん。私は魔族は卑怯卑劣とか、そういう風にしか聞いていなかったんですよね。調べるなんてもっての他でしたし」
「坊主憎りゃ袈裟まで憎いってやつか」
シロが呟くと、他の三人の視線が一斉に集まった。
「袈裟?」
「どういう意味ですか、それ?」
「向こうのことわざか何かですか?」
三者三様の質問に、シロは順番に答えていく。
「袈裟は坊主──僧侶の服のこと。意味は、相手が憎いとそれに関係するもの全てが憎くなる。前にいた場所で学んだ」
「妙なところで文化の違いが出てきましたね。こちらでは僧侶の衣装は法衣といいます。前に神の存在に疑問を持っていましたし、宗教観念についても大きく異なっていそうですね」
世界が違うのだからそれも当然ではあるが、今気付けたことにラビは安堵する。
もっと不特定多数の前で、シロが己の世界の宗教について語っていたならば、妙な混乱が起こりかねない。下手を打てば、シロは異端者として排斥されることだろう。
他と違うという事は、それだけで敵視される材料となることをラビは知っている。
「大事になる前に、こちらでの宗教について説明しておいた方が良さそうですね」
ラピス大陸において、宗教とは『誓い』である。婚姻や戦勝を誓うことはしても、祈り願うことはほとんどしない。聞かせたい相手が眠っているというのだから、願い事を掲げたところで届くわけがない。
「でも、収穫祭は実りに感謝し、来年の豊作を祈るものなんじゃなかったか?」
「いいところに目をつけました。お前は生徒としては優秀です」
現存する祭りの多くは、過去に何者かが為した偉業や功績を讃え、感謝を表す行事である。しかし収穫祭のような、未来への期待を願うような行事はとても珍しい。
「魔力は大地から発生しているそうです。発生する魔力が多いほど、その土地は実り豊かになる。収穫祭では、魔力を生み出す大地に感謝を捧げているんですよ」
「それは、いいのか?つまり大地を信仰の対象にしてるってことじゃないか」
「いいんですよ。神は眠りに就いた後、その肉体は大地と一つになったと言われています。大地を信仰するということは、神への信仰に繋がるということです」
少なくとも、イーヴィス政府はそう公言している。
「なんだか、ずいぶんといい加減なんだな。神事はもっと厳かなものだと思っていたよ」
呆れたように息を吐くシロに、ラビも肩を竦めて答える。
「それこそ文化の違いでしょうね。この大陸の伝承には〝名も無き神〟以外の神が存在しないので、私たちに与えられるのは信じるか否かの二択しかありません。必然的に、祭事もおざなりになりがちなんです」
奉る対象が眠りについているという事は、誰の祈りも届くことは無いということ。意義を見い出せない慣例をありのままに続けるほど、人は真面目に出来ていなかった。
「適当だな……。ところで〝名も無き神〟ってなに?」
「眠っている神様の通称ですよ。どういうわけか、その御名を記した書物や伝承が残っていないんです。女神、という表記はあるらしいですけど」
「……適当だな」
勉強会は妙な空気になったまま解散し、シロはセリスたちの茶会の誘いを断って城下町へ下りた。
護衛という名の監視の兵士を伴って、事前に入手した地図を見ながら街を歩く。兵士を従えた白衣の少年という構図は町行く人々の目を釘付けにしたが、シロはお構いなしに目的地を目指した。
「ここかな」
王立病院。
看板に書かれた文字と地図に書かれた文字を見比べ、ここで間違いないことを確認する。念のために兵士にも訊ねると、是と返事を得られた。
なら問題ないと、シロは玄関を開けて受付に立つ女性へと歩み寄る。
「ここにグラッド・タスマンがいると聞いた」
「グラッド先生?あの、あなたは……軍の方?」
後ろに控える兵士に視線を向けて訊ねる女性に、シロは適当に話を合わせる。
「関係者。グラッド・タスマンに用があるんだけど、どこ?」
「先生なら診察室にいらっしゃるけど、お呼びしましょうか?」
「いらない。場所だけ教えて」
女性は訝しげにしながらも、グラッドのいるという部屋への道順を説明した。
教えられた通りに病院内を歩き、行き着いた場所にあった扉を開くと、机の前で書類と睨み合いをしていたらしい老人と目が合った。
「なんだお前は。今日の診察はもう終わりだ。帰れ」
しっしっと手を振る老人だったが、シロの後ろに立つ兵士を見て「ん?」と眉をひそめた。
「後ろのは城の兵士だな。前に治療した記憶がある」
「あんたにこれを渡すように言われた」
「なんだ、使いか。『あんた』ではなく『あなた』と言わんか。口の聞き方がなっとらん」
文句を言いながら、渡された封筒を開いて取り出した手紙を読む。目が文字をなぞるにつれ、顔に刻まれた皺が深く、険しくなっていく。
そうして読み終えた手紙から目を離し、眉間に指を押し当てて大きく息を吐いた。
「卒業して以来名前を聞かんと思えば、村医者だと?生意気な」
「忘れているようなら『鴉の」
「言わんでいい。全く、あのひねくれ者め。教え子のことを忘れるものかよ」
ボルスは知り合いと言っていたが、二人は師弟の間柄だったのか。
シロが思い返していると、グラッドが兵士に表で待っているように命令し、扉を閉めさせた。
「お前の事情についてと、『なにかあれば力になってやってくれ』と、そう書いていた。数いる中でも不肖の教え子だが、頼られたなら力を貸してやるのが師の役目だ。用件を言ってみろ」
「薬草が欲しい。僕が知っているものと同じものがあるかどうかは分からないけど、特徴が合っていれば問題ない」
「薬草?」
要求がよほど予想外だったのか、グラッドは目を軽く開いた。シロは頷いて、口頭で薬草の説明をしていく。
一通り説明し終えたシロが口を閉ざすと、グラッドは嘆息して頭を掻いた。
「それだけすらすら出てくるなら、自分で調べた方が早いだろう」
「文字が読めない」
端的に答えたシロに、グラッドは嘆息を重ねる。
「難儀なやつだな。まあ、心当たりを探しておいてはやるが、一通り揃うとは限らない。その時は類似品も集めておくから、自分で調べろ。知識はあるんだろう?」
「うん、それでいい」
「ああ、そうだ。城に戻ったら将軍に、そろそろ診察に来るようにと言っておいてくれ。薬も処方せねばならん」
「わかった」
シロが頷くと、グラッドは出ていけと言うように手を上下に振った。
退室し、受付嬢の奇妙な視線を受け流しつつ病院から出て兵士と合流する。来たときとは逆に地図を遡って城に戻り、城門をくぐった。兵士が報告のためにシロから離れたため、シロは一人で城の中へと入っていく。
部屋に戻ってもやることがないため、先にグラッドの伝言を伝えようと階段を上っていき、リィンの執務室を目指す。
未だ慣れない階段移動を終えて廊下を歩いていくと、後ろから走ってきた兵士に追い抜かれた。
「……なんだ?」
シロを追い抜いた兵士はそのまま走っていき、突き当たりを曲がっていく。遅れてシロも同じ角を曲がると、兵士が扉を開けて部屋に入っていくのが見えた。あそこはシロが訪ねようとしていたリィンの執務室だ。
「……」
少し考え、シロは遠目に扉が見える位置の壁に背を預けて待機することにした。立ち聞きだなんだと疑われるのも面倒くさい。
そう間も無く兵士が退室し、また慌ただしく走り去っていく。その背を見送り、シロも執務室への扉を開けた。
「さっきの、なに?」
「……貴方ですか。間の悪い」
何故か邪険にされて首を傾げるシロをよそにして、リィンは控えていた部下に命令を下す。
「今の話をラビに。すぐに動ける兵を連れて現地に急ぐよう伝えなさい」
「はっ!」
部下が出ていくのを待って、リィンは席を立った。
「陛下の元へ向かいます。シロ、貴方も来なさい」
「僕も?どうして」
剣を腰に差し、リィンは言うか言うまいか迷うように視線をさ迷わせた後、扉に向かいながら口を開いた。
「貴方のいた村が、何者かの襲撃を受けました」




