第四章 ~剣呑日和~
翌日、村で一泊したアールマン達は予定通り南下するべく、出立に備えていた。
「陛下の御壮健をお祈りしております」
「ああ」
アールマンが村長や周辺地域の有力者から見送りの挨拶を受ける傍ら、ウガルとボルスはシロと別れの言葉を交わしていた。
「なんかあったら、すぐ帰ってこいよ。帰る場所がねぇってんなら、ここがお前の故郷だ。忘れんじゃねぇぞ!」
「緊急の場合は、グラッドという男にこの手紙を渡すといい。学生時代の知り合いだ。私のことを覚えていなくとも、『鴉の折れ歯事件』と言えば思い出すだろう」
ボルスから封筒を受け取り、シロは頷いてお辞儀をした。
「ありがとう。たぶん、そのうち帰ってくる。うん、たぶん」
「帰ってくる気あんのかよ」
ウガルが笑いながら、シロの肩に手を置く。
「まあ、なんだ。子供が出来たみたいで楽しかったぞ」
「ウガル、結婚してないよね?」
「してなくても気持ちくらいは分かるわ、このやろう」
首を傾げたシロの頭を両手で挟んで、ぐりぐりと揺り動かす。シロも「うーあー」と呻いているが、楽しげに頬を緩ませている。
アールマンたちの話が終わりを迎えそうな気配に気付き、ボルスがウガルの背中を叩いた。
「名残は尽きないが、ここまでだ」
「おう。じゃあ、シロ。またな」
「達者でな」
「うん。二人も、ありがと」
それぞれと握手を交わし、シロは囮用に繰り下げられていた馬車に乗り込んだ。まだアールマンの乗る馬車に空きはあるのだが、シロが同乗を拒否したために、囮用の馬車は本来の役割通りの仕事もこなすこととなったのだ。
扉が閉められると、シロは常に羽織っている外套の頭巾を被り、窓から外を見た。黒毛の大男と白髭の医者が手を振っているのに気付き、シロも返事をするように手を振る。
やがて馬車が動き出し、徐々に視界から見慣れた者たちの姿が消えていく。寂寥感とでもいうのか、胸に妙な心地を抱えつつ腕を降ろす。
「……寂しいとか」
自嘲するような呟きを残し、シロは腕を組んで目を閉じた。
──女の悲鳴が聞こえた。あれには見覚えがある。一族の中でもとりわけ平凡な、特筆した力も持たない『能無し』と呼ばれていた女だ。
──ああ、これは夢か。
心の中では納得を示す。あくまでも心の中では、だ。
「でも、これは現実だ」
そう言って、シロは両手を口に当てて硬直する女へと歩み寄っていった。
目を覚ますと、いつまでも慣れる気のしない沈み込むような居心地の悪さが、全身を包んでいた。
少年が『シロ』と名を変えてから三日が経過した。
巡察という名の二泊三日の旅行から城に戻ってきたアールマンは、重鎮を集めてシロを紹介した。皆も〝旅人〟というものに半信半疑だったが、彼の所持品を検査したところ、羽織っていた外套に既存外の素材が使われていることが判明し、信用を得ることとなった。
その後の会議では『魔導書の内容を全て鵜呑みにすることは出来ず、混乱を防ぐためにその存在は未だ秘匿すべし』と意見がまとまり、〝旅人〟であるシロは食客として扱われることが決まった。簡単に言えば居候である。
昨日は会議の後この部屋に案内され、そのまま床に就いた。
「……床に敷いちゃ駄目かな、布団」
村では言葉が通じなかった為に従うしかなかったが、寝台が固かったから床で寝るのとそう変わらず、落ち着いて休めた。しかしここは王の住まう城ということもあり、寝台の質が良すぎて空中に浮いている気分になるから落ち着かない。
以前住んでいた場所では、家に上がれば靴は脱ぐし、布団も床に敷いていた。
「ずっと靴を履いたままっていうのもな……」
侍女隊という女の人たちがよく掃除をしているんだから、室内ならば裸足とは言わずとも靴下だけを履いて歩いても問題はないように思える。
というより、そもそもの話。
「こんなにところに、よく住めるよね」
シロの知っている世界は今も以前も大して広くないが、家と言えば大抵が平屋だった。
二階建てなら村にもあったから居心地も想像出来るが、三階ともなると理解の外側。それ以上ともなれば夢想の産物だ。
幸いなことに、シロに宛がわれた部屋は二階の客室。未だ薄暗く、ぼんやりと外に見える景色は少々高いが、木に登れば似たような光景は見えるために違和感は薄い。出来うるならば、この先さらに上層へ行くことのないように祈りたい。
「……降りよう」
違和感は薄いが、慣れないことに変わりはない。
いつもの外套を身につけ、部屋から出ようと扉を開けると、丁度見回りの最中だったらしい兵士と目があった。
「………………」
「………………」
不幸だったのは兵士の方だ。
この客室に新たに住人が入ったことは聞いていた。だがまさかこんな朝早くに、しかも全身を覆い隠すような外套を身に纏って現れるとは思っていなかった。とっさに腰に挿していた刃引き済みの剣に手が伸びたのも、無理からぬことだろう。
その無意識に対し、シロもまた反射的に応えていた。
兵士が手を伸ばした剣の石突きに手を当てて封じ込め、身を翻しつつ腰を落とし、踏み込みと同時に鳩尾へと肘を突き入れた。
「ぐっ」
「……あー」
兵士が倒れたのを見て、シロはどうしようかと首を傾げた。薬草の知識はあるが、身一つでこの城に来たばかりで、手当てに使えそうなものなど持ち合わせていない。
とりあえず人を呼ぼうと、その場に背を向けた。
ここで更なる不幸が舞い降りる。
シロが目を離した隙を見計らって、倒れた兵士が鎧の物入れから笛を取り出し、それを口に当てた。
──────!
甲高い音に驚き振り向いたシロは、直感的に不味いことになったと理解した。すぐに廊下の向こうから複数の兵士が駆け付けてきた。
「貴様、何をしている!」
剣を抜き構える兵士たちを見て、シロは弁解でも戦闘でもなく逃亡を選んだ。最初の彼は不幸な事故で済むとしても、それ以上はやり過ぎになる。かといって弁解しようにも、証人となるはずの兵士が鳴らした警笛によって殺気だったらしい彼らを、説得するなど自分には無理だ。
「逃げるぞ!追え、追え!」
そう命令する声とそれに従う足音、そして新たに鳴らされた笛の音がシロの背中を追いかける。
──こうして、イーヴィス本城を舞台にした大捕物の幕は開けた。
「なんなんだよ、もう」
最初の警笛から半刻が経過した頃には本城で寝ている者はいなくなり、文官武官入り乱れての大騒動に発展していた。
毒づくシロが廊下を曲がると、槍を構えた兵士三人と出くわす。一人が笛に手を伸ばし、もう二人が槍を構えて突進してくる。
シロは跳躍して壁を蹴り、兵士二人を飛び越えたあと、警笛を鳴らす兵士の脇を潜り抜けて先へと走り出した。
山の中とは違って城の廊下には遮蔽物が少なく、限られた移動範囲故にすぐに発見されてしまう。袋小路を避けるために室内に入るのを避けているのも、警笛が鳴り止まない要因だろう。
状況はとにかく悪化の一途を辿っている。
自分が悪いとは思ってはいないが、ここまで大事になるなら最初のうちに捕まっておけばよかったかと後悔する。
現在シロからは手を出していないため、多勢に無勢の状況に変化はない。いっそのこと、手当たり次第に打ち倒した方が早いのではないかとも思うが、ここに来てそれをやってしまうと、何に対してかは知らないが負ける気がする。
「とにかく、外」
町の外まで逃げれば、アールマンたちがどうにかして騒動を落ち着かせるだろう。ほとぼりが冷めた頃に戻ってきて、そこで事情を説明すればいい。
新手との殺陣から抜け出し、シロはようやく見つけ出した階段を跳ぶように駆け降りる。
一階に着いて前を見据えると、上階の偶発的な遭遇が冗談のように、無数の兵士が階段を取り囲んでいた。
「………………」
数秒ほど立ち止まって布陣を観察し、薄い箇所は無さそうだと判断したシロは、腰を曲げて低姿勢のまま疾走を開始した。
頭上から降り下ろされる腕や武器を掻い潜り、外套をはためかせつつ布陣の隙間を疾駆する。兵士は壁のように立ち塞がるが、シロの俊敏な動きを捉えきれずに突破を許してしまう。
だが、イーヴィス軍の人海戦術も甘くはない。シロが通り抜けているような隙間を塞ぐべく、三列の兵士たちが上中下の壁のように連なり、その行く手を阻む。
シロも一瞬だけ動きを止めるが、すぐにまた駆け出した。まず下段──一番手前の兵士の一人の頭を足蹴にし、中段──二番手の兵士が伸ばしてきた腕に手を当て、支点にして側転。そして上段──最後の兵士たちの肩に飛び乗ってそのまま奥へと飛び下りた。
軽業師でも成せるかという立ち振る舞いに呆気にとられる兵士たちを尻目に、シロは更に軽業をこなしながら外に続く扉を探す。
そうして探し当てた扉を開き飛び出すと、見覚えのある足の裏に蹴り飛ばされて、屋内へと叩き戻された。
「そう易々と逃げられるわけないでしょう。馬鹿じゃないんですか?」
爪先で地面を蹴りつつ、ラビが罵倒した。受け身をとって体を起こし、シロがその姿を認める。
「攻撃を避けるだけで逃げ回ってばかり。これじゃあ訓練にならないじゃないですか。ちゃんと働けって話ですよ」
「訓練ってなに」
蹴られた箇所についた土汚れをはたき落としながら、シロが訊ねる。
「抜き打ちの防衛訓練ですよ。というか、今のは入ったと思ったのに、どんな反射神経してるんですか。──ほら、お前たちも解散!今日の訓練は覚悟しておけ!」
半目でシロを睨みつつラビが両手を打ち鳴らすと、大捕物に参加していた兵士たちが慌てて散り散りになっていった。
「あいつら鍛え直しですね。収穫祭の空気にあてられて気を抜きすぎでしょう」
「説明、ほしいんだけど」
歩み寄ってきたシロが改めて訊ねると、ラビは不機嫌を隠そうともせずに答える。
「陛下や隊長殿が、迂闊なお前を庇うために芝居を打ったんですよ。大臣たちにまで口裏を合わせさせて『丁度いい人材が来たから、賊が侵入したと仮定した訓練を行う事にした』と。文官連中を黙らせるのにどれだけ苦労したか」
「嘘ついたのか」
「芝居っつってんでしょうが。一応言っておきますけど、お前も今回の騒動のことを聞かれたら『訓練だった』って答えるんですよ。陛下の御心を無下にするような真似したら蹴り殺します」
そう言ってラビは城に入っていく。シロがその背中を見送っていると、その身を翻して戻ってきた。
「なんでついてこないんですか」
「なんでついていかないといけないんだ」
シロの切り返しが癪にさわったのか、ラビは耳をピクリと動かすのと同時に脚がシロの頭巾を掠めた。
「危ないよ」
「ちっ」
当てるつもりだった蹴りを難なく避けられ、舌打ちしつつ再び背を向ける。
「陛下への事後報告にいきます。ついてきなさい」
言われるがままについていき、上ることのないよう祈ったばかりの上層への階段も上がっていく。
「神も仏もいないのか」
「何言ってるんですか?仏とやらは知りませんけど、神は寝てるそうですよ」
振り返りもせずに言うラビに、シロが目を丸くする。
「寝てるって、実在してるみたいに言うんだな」
「……ああ、そうでした。お前は知らなくてもおかしくないんでしたっけ」
胡乱な目を向けた後でシロの事情を思い出し、「なるほど、これは面倒臭い」と頷いた。
「昔話ですよ。昔も昔の大昔、この大陸は一柱の神が治めていました」
その頃の大陸は一つの国だったが、いつの間にか二つに分かれ、三つに、四つにとバラバラになって諍いを起こすようになった。己の統治に問題があったのかと嘆いた神は、自身の力を八つに分け残して眠りにつく。残された大陸の民は八つの御物を国の象徴とした。そして長い月日が経ち、かつてこの地を統べていた神の名は忘れ去られ、神の国はラピス大陸と名を変えた。
「と、そんな感じです」
「神が治めていた大陸……。御伽話じゃないのか?」
「さあ?実際に象徴である宝物は存在しますし、あながち夢物語とも言い切れないんですよね。まあ、私はどっちでもいいですけど」
シロが驚くような気配を感じ、ラビが肩越しに手を振る。
「今でも神様を信仰する人はいるみたいですが、私が崇拝するのは陛下お一人だけですよ。というか、神様がいるかいないかなんて本気で考えている人、今の世の中にはいませんよ」
もしいたとしても、それはよほど一途な学者か夢想家のどちらかだろう、とラビは言う。
「着きましたよ。ラビ先生の授業はここまでです」
最上層の一室の扉を叩き、部屋の主に入室許可を求める。すぐに返事を貰い、扉を開いてラビはシロを伴ってアールマンの執務室へと足を踏み入れた。
椅子に座ったまま出迎えたアールマンは、まず部下を労いの言葉をかける。
「ご苦労だったな、ラビ。無事に回収出来たようだな」
「はい。手も足も出なかった部下たちの情けなさに頭を抱えたこと以外は恙無く、事態は収束しました」
「ふっ」
ラビの報告にアールマンが小さく笑みを漏らすと、ラビは至極を垣間見たといわんばかりに目を見開いて両膝をついた。
「陛下の微笑みを拝することが出来るなんて、今日という日をラビは生涯忘れることはないでしょう……」
「……いちいちそんなのを覚えないでくれ」
感極まったのか地を出し始めた部下に苦笑し、アールマンはシロを見る。
「随分と派手に賑やかしたものだな」
「勝手に騒いだのはあっちだ」
「そのようだな。だが、お前も軽挙だったことに違いはない」
「む……」
その事に反論はないらしく、シロは小さく声を漏らしはしたものの、すぐに口を閉ざした。
「とりあえず今回は抜き打ちの訓練ということで落ち着いたが、そう何度も通じる手ではない。こちらも兵にはよく言い聞かせるが、お前も早く環境に慣れろ。警戒する気持ちも分からなくはないが、こちらも部下に仕事をするなとは言えないのでな」
「……善処はする」
「ならいい。さて、ここからはついでの話だ。昨日は聞けなかったが、何か必要なものはあるか?無理のない程度には要望を聞こう」
問われたシロは遠慮なく、起き抜けに思ったことをアールマンに伝えた。
「地べたに寝るなんて、変わった風習ですね」
いつの間にか再起動していたラビは首を捻りながらそう言ったが、アールマンは少し考えるような素振りを見せたあと、机の引き出しから紙を取り出した。
「ふむ、私室は生活の基盤だ。落ち着くように整えることも必要な作業と言える。細かく聞こう」
シロから必要不必要に関わらず、元の世界で身近にあった生活用品や武具の特徴を聞いては紙に書き込んでいき、あらかた出尽くしたところでその一覧を見直した。
「色々と面白いものがある。しかし、再現するには素材や技術的な問題があるものも多いな」
作ろうと思えば作れなくもないのだろうが、シロの頭にあるものと同等の品が出来上がるかどうかは分からない。武具に関しては特に厳しいだろう。
「近い内に必要な技術に該当しそうな職人を呼び寄せよう。感覚的な知識を伝えるだけでも、再現の参考になるはずだ」
「いいのか?」
「構わん。ただし、再現に成功し、量産が可能と判断した品については、国内に流通させることも有り得る。それを容認出来るなら、だ」
「ああ、それなら問題ないかな」
シロが考え出した知識というわけでもない。この見知らぬ土地での生活がしやすくなるなら、その程度の条件は鵜呑みに出来る。
「あ、でも」
「ん、なんだ?」
紙に印を押しつつ、アールマンが聞き返す。
「柳流に関しては広めたくない。教えろと言われても拒否する」
「……柳流とはなんだ?今の話には出ていない名前だな」
「僕の一族の流派だ」
それだけを言い口をつぐむ。深くは聞けそうにないと判断し、アールマンはラビに視線を向ける。
「どうだ、ラビ」
「んー、恐らく問題ないかと。一、二回やり合っただけですが、こいつの動きは獣人でも、見よう見まねで模倣できるようなものじゃないです。技術というより、もっと根本的な部分で常軌を逸してますよ」
横目でシロを見るが、ラビの発言に対しても何の反応も見せない。よほど表に出したくない理由があると見える。
「だ、そうだ。お前が能動的に流布しない限り、その柳流とやらが広まることはないだろう」
「わかった。なら、いい」
「今のところ、話はこれで終わりだ。ラビ、部屋まで送っていけ」
「はい、わかりました」
入ってきた時と同じように、ラビが先に立ってシロもその後に続く。
扉が閉まったことを確認し、アールマンは静かに息を吐いた。
「使えるが扱い難い、か」
今回の一件、本来ならば迅速に収束させることも出来た。あえてそうせず、急ごしらえの理由で反論を封じて騒ぎの規模を大きくしたのは、シロという少年を試す意図があった為だ。
結果的には、その能力は未知数のままである。
だが常駐している兵士全員を相手に双方無傷で逃げおおせた辺り、かなりの高水準であることは推察できる。突発的な出来事に対して弱いらしいことを除けば、頭の回転も悪くはなさそうだ。
だが最後のやり取り。条件を提示してきたシロからは不動の意志のようなものが感じられた。アールマンの身近にいる者にもそういった決意を抱いているものは多いが、その殆どが皆一筋縄では行かない性格の持ち主だ。無論、その中にはアールマン自身も含まれる。
「最善は身内と認識させること。最悪は敵に回ること。肝要なのは警戒させないこと、か。こちらの常識が通じない辺り、難易度が高そうだな」
愚かではなく、敵意に敏感。その性質故に謀りをもって接することは出来ない。教育役を置くにしても、自分やファルンのような腹に一物を抱える人物は除外しておく必要がある。
候補を挙げるなら、特に役割を担っていないセリスとユウリか。だが、あの二人では性格の面で不安が残る。
「……となると、やはりラビか」
シロと面識があり、ああ見えて将軍補佐職という立場に見合う知識を有している上に根は正直だ。条件は合致するが、彼女に関しては先の二人とは違う意味で不安がある。
なんというか、その、忠誠心が強すぎるのだ。
ラビは父王がまだ存命だった時にアールマンが拾ったのだが、その時はもう少しまともだったように思う。いつの間にあそこまで振り切ってしまったのか。
「うーん……」
アールマンが頭を悩ませている頃、階段を降りながらラビは主の魅力を延々と語っていた。
「陛下の御髪ほど美しいものはないと、ラビは思うのですよ」
「さっきは『金色の瞳が世界一輝いておられる』って言ってなかった?それに、あれは伸ばしっぱなしにしてる無精の産物だと思う。もっと言えば、僕の髪も同じ黒色」
「お前なんかと同列に語ってんじゃないですよ。陛下の全ては神聖なものなんです。というかお前、今陛下の御髪をあれ呼ばわりしましたか?」
「気のせい」
幸か不幸か、シロは聞き手として優秀といえた。ただ相槌を打つだけではなく、適度に意見を出すことでラビの発言を促し、時には受け流す。ラビも地を隠さなくなる程度にはシロに馴れ、思いの外相性が良いと言えるかもしれない。
「そういえば、あの人居なかったね。あの赤毛の女」
「……ラビに対してはともかく、完全に目上の隊長殿にすら敬いの欠片も示さない辺り、お前も一貫してますね。隊長殿はお前の尻拭いの為に、文官連中相手に折衝の最中ですよ」
「ふぅん」
ただ聞いてみただけなのか、関心の薄そうに相槌を打つ。
「お前、本当に変わってますね。〝旅人〟っていうのは皆そうなんですか?」
「さあ。前は山の中で暮らしてたから、他の人間なんて数えるくらいしか知らないし」
「……ラビのお前への評価、未開の蛮人って感じなんですけど合ってます?」
「さあ?」
首を傾げるシロに嘆息し、ラビは足を止めて耳を軽く震わせた。
「何度も言いますけど、お前変ですよ。元の世界と自分自身に対して、関心が薄すぎます。そのくせ敵意には過敏に反応する。自分で異常なのわかってます?」
「………………」
互いに、表情を宿さない顔で相手を見つめる。空白を絵にしたような時間が数秒ほど続いた。
「まあ、どうだっていいですけどね」
先に動いたのはラビだった。耳を揺らして前を向き、歩みを再開する。
「ラビにとって大事なのはお前の去就なんかではなく、陛下にとって有りか無しかの一点だけです。もしお前が陛下にとって有害だと判断したら──本当に殺すからな」
ぞくりと、シロは背筋が震えるのを感じた。本物の殺気。これを感じるのはいつ以来だろうか。
「せいぜい上手く立ち回りなさい。ラビは陛下の為なら、その御言にすら逆らってみせますよ」
警告は終わりとばかりに、ラビは殺気を鎮めた。
その背に付き従うシロの口元は、本人も気付かないほどに僅かながら、笑みを形作っていた。