声が戻っても、あなたと話したい
十二時の鐘が三つ鳴ったところで、リディアはエドガーの手を取った。今まで指で話していたのに、声が戻った途端、どんな言葉を選べばいいのか分からなくなった。
「エドガー」
彼はその名前を呼ばれると、驚いたように瞬きをした。
「はい」
「私、今夜あなたに会えてよかった。あなたがいなかったら、あの部屋から出られなかったと思う」
「窓から助けを求めたのは、あなたです」
「でも、私の言葉を聞いてくれたのは、あなたよ」
リディアは彼の手を握り直した。大広間にはまだ人が残っている。遠くでは楽団が片づけを始め、誰かが落ちた花を拾っていた。今夜の騒ぎは明日の朝には王都中へ広まるだろう。それでも、彼の前でだけは、他人の目を気にしたくなかった。
「私は、あなたが好きです。七日間ずっと、声が戻ることばかり考えていたのに、今はあなたと話せることが嬉しい。もっと一緒にいたい」
エドガーはしばらく何も言わなかった。リディアが不安になりかけた時、彼は手を離し、両手を胸の前に上げた。
『僕も、あなたが好きです』
それから、声でも続けた。
「子どもの頃から忘れられませんでした。今夜会って、もっと好きになりました。あなたがどんな声で話しても、話さなくても、僕はあなたを愛しています」
リディアは笑った。七日間、妹に自分の声を使われることが嫌でたまらなかった。でも、今この瞬間、声のある自分だけを好きになってほしいとは思わなかった。
「私も。あなたが仕事をしている時も、笑っている時も、少し困っている時も、もっと知りたい」
「僕の困った顔は、これから何度でも見られますよ。妹に叱られるのが得意ですから」
「それなら、私も一緒に叱られましょうか」
エドガーが笑い、リディアも声を立てて笑った。自分の声で笑うのは久しぶりだった。彼はその笑いを聞いて、嬉しそうに目を細めた。
「抱きしめてもいいですか」
「ええ。今度は、あなたから」
エドガーはリディアを抱き寄せた。広間の隅、冬の花で飾られた柱のそばだった。誰かが二人を見ていたかもしれないが、リディアにはどうでもよかった。彼の腕の中は温かく、急いで何かを決める必要のない場所だった。
しばらくして、老書記官が二人を呼び止めた。
「リディア様。今夜の申し立ての控えをお渡しします。それから、教室の土地についてですが、管理権を持つ方が強要に利用していたことを、正式に申告できます。公証院へ申し立てれば、管理者の交代を求められます」
リディアは書類を受け取った。継母が自分の声を奪おうとしたことと、教室を売ると脅したことは、同じ出来事の中にある。証人もいる。エドガーが申し立てを代わりにしてくれると言いかけた時、リディアは首を振った。
「自分で行きます。母の教室のことですから」
エドガーは頷いた。
「では、僕は証人として同行します」
その言い方が、今夜最初に会った時と同じで、リディアは安心した。
王宮の門を出ると、雪が降っていた。馬車を待つ間、リディアは外套の襟を立てた。エドガーは自分の外套を貸そうとしたが、彼女が首を振るとすぐに引っ込めた。
「寒いのを我慢しているわけではないの。自分の外套を着たいだけ」
「分かりました。では、隣で震えていることにします」
「あなたのほうが寒そうよ」
「それは否定できません」
二人は笑った。エドガーは通訳官の徽章を失ったままだったが、リディアが気にしていると知ると、肩をすくめた。
「仕事のことは、僕が決めます。あなたが背負う必要はありません」
「それでも、あなたが大切にしていた仕事でしょう」
「ええ。だから取り戻すために、僕自身で話をします。あなたのように」
リディアはその言葉を聞き、もう一度彼の手を取った。
午前八時、王都の公証院にはまだ客が少なかった。リディアは昨夜の申立書と、教室の管理台帳を窓口に並べた。担当の公証官は、書類の一つ一つを確認し、継母が売却を迫った経緯を聞いた。
「管理者が、受益者本人の権利を脅しの材料にした。しかも、その事実を王宮で証人が確認しているのですね」
「はい。私は教室を続けたいです。母の遺産を、自分の意思で守りたい」
リディアははっきり答えた。今度は声を出せる。だが、エドガーも隣で指を動かしてくれた。彼女が慣れた言葉で確かめられるように。
公証官は帳簿を閉じた。
「現管理者の権限を停止し、後任を選任する手続きに入ります。売却は認めません。ただし、後任には独立した監督者が必要です」
リディアは母の友人で、教室の共同創設者だったミラ先生の名を挙げた。昨夜のうちにリディアが使いを出して頼んでおいたので、ミラはすでに待合室で待っている。公証官が呼ぶと、ミラは厚い手袋を脱ぎ、リディアの隣へ座った。
「私が引き受けます。あの教室は、子どもたちの場所ですから」
ミラは管理者としての誓約に署名した。公証官は母の遺言書と照合し、後任管理者の選任を承認した。継母の売却権限は正式に失効し、教室の土地はリディアの二十三歳の誕生日までミラが管理することになった。誕生日にはリディアへ直接引き渡される。
リディアは受領印を押した。紙に残った自分の指印には、昔の火傷の跡がはっきりと見える。
「これで、教室を売られることはありませんね」
「ありません。管理権の変更は本日付で確定です」
リディアは深く頭を下げた。母の教室を守るために、声を差し出す必要はなかった。誰かに認めてもらうために黙っている必要もなかった。
公証院を出ると、エドガーは立ち止まり、リディアへ手を差し出した。
「教室へ帰りましょうか」
「帰りましょう。子どもたちに話したいことがあるの」
彼は笑い、彼女の歩幅に合わせて歩き始めた。
春の初め、教室の窓は開け放たれていた。リディアは窓辺に小さな鉢を並べ、子どもたちが持ち寄った花を植え替えていた。二十三歳の誕生日を迎え、教室の土地と建物は正式に彼女の名義になっている。
室内では十二人の子どもたちが、母の子守歌を練習していた。声を出す子もいれば、指だけで歌う子もいる。リディアは歌詞の三番を黒板に書き、窓の外を指した。
「ここからが、一番好きなところなの。外へ出られない日があっても、朝は必ず来る、という歌詞よ」
子どもたちは頷き、声と指で歌い始めた。リディアは伴奏をしながら、一人一人の表情を見た。母がここにいたら、きっと同じように見守っただろう。
扉が開き、エドガーが入ってきた。胸元には、王宮通訳官の徽章が戻っている。侍従長の解任後、エドガーは自分で上司に掛け合い、任務解除を正式に取り消させた。今では音楽会の通訳にも、教室の授業にも顔を出している。
「遅くなりました。宮廷で会議が長引いて」
「大丈夫。ちょうど最後の歌よ」
エドガーはリディアの隣に立ち、子どもたちと一緒に指を動かした。最前列の少女が彼を見つけ、嬉しそうに手を振る。
『エドガー先生、今日は何を教えてくれるの?』
『今日は、リディア先生に教えてもらいます』
少女は首を傾げた。リディアも彼を見た。
「何を?」
エドガーは少し緊張した様子で、子どもたちの前に立った。
「僕は、好きな人へ気持ちを伝える時、声だけでは足りないと思うんです。だから、二つの言葉で伝えたい」
子どもたちが一斉に騒ぎ出した。リディアは笑いながら、彼の隣へ並んだ。
エドガーは指で、ゆっくりと告げた。
『あなたと、これからも一緒にいたい』
それから声で言った。
「リディア。僕と、これからも一緒に歩いてください」
リディアは彼の手を取った。子どもたちの前で答えるのは少し照れくさい。それでも、彼が自分の返事を待っていることが嬉しかった。
『はい。私も、あなたと一緒にいたい』
「はい。私も、あなたと一緒にいたいです」
指と声で二度答えると、子どもたちが拍手した。エドガーはリディアを抱きしめ、彼女が頷くのを見てから、額にそっと口づけた。
窓辺では、春の風が花の葉を揺らしている。リディアは母の楽譜を開き、子どもたちへ向き直った。
「もう一度、最初から歌いましょう。今度は私も一緒に」
エドガーが隣で指を動かす。リディアは自分の声で歌い始めた。誰かに貸すためでも、誰かに選ばれるためでもない。大切な人たちと、同じ歌を歌うために。
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