最終話 勇者、うつと闘う
◇
「――エテネ‼」
手を伸ばし叫んだ先で、魔王が白い光に呑まれる。
しかし、魔王――エテネはその光を障壁で阻む。緑の障壁は波を描きながら光を吸いこんだ。光は一気に収縮していき、ついにエテネの手の中に納まってしまった。
呆然とするソーレの魔導士たちに、エテネは鼻を鳴らし嘲笑する。
「この程度で我を倒せると思ったか。片腹痛いわ」
エテネは縮めた光を空中に浮かし、再び光を膨張させていく。十数人の魔導士分の光の玉は何倍にも膨れあがり、拡大する。
「これは返すぞ」
そう言って、前方に向かって手を下げる。たちまち大きな光の玉はソーレ軍に飛びこんでいった。ソーレの魔導士たちは逃げようとするものの間に合わない。光はためらうことなくソーレに突っこみ、弾けるように地面を抉った。
爆発音が響いたかと思うと、余波が周囲を吹き飛ばす勢いで震撼した。ソーレの兵士たちが空中に投げだされる。クラリスはヴェースに咥えられ、飛ばされずに済んだ。
エテネは衝撃波をものともしていない。鮮やかな黒髪だけが後方に流れる。
光が吸いこまれた先は空高く煙を立てている。地面は大きく陥没していた。そこに人間の姿はない。不快な音と、立ち込める腐臭。エテネの放った反撃で、クラリスたちの囮であった火薬庫の火は収まりを見せた。
クラリスは呆然と辺り一帯を見る。立っているのはエテネと配下の魔族だけ。
ソーレの軍が沈黙する中、遠くで大きな爆発音が数回聞こえた。音の方に視線をやれば、メンシス王国から火薬以上の火柱が数か所で上がっている。
「あやつめ、手加減しろと言ったはずだが」
「伝達いたしましょうか?」
近くに寄っていたルゥが大狼姿でエテネに問う。エテネはそれに感情の伴わない声で「構わん」と返す。
「メンシス王国の兵士は殺すなと命じてある。そのくらいの脳はあるだろうよ」
攻撃を見て戦意喪失し、立ちあがることができないソーレの兵士たちを見て、エテネは興味を失って身をひるがえした。
「このあとは?」
「おまえに任せる。ソーレは好きにしろ」
「はっ」
ルゥは四匹の狼を連れて、まだ戦い足りない仲間の元へ指示を飛ばしにいった。
ヴェースの背に乗せられたクラリスは、人間と魔族の圧倒的な力の差を痛感する。これが魔族の長である魔王の率いる部隊なのだと、恐ろしいほどに身に染みた。
自然と恐怖はなかった。あったのは置いていかれる寂しさと、鍛錬に励ねばという焦り。
「クラリス!」
暗器を携えてウンブラが走り寄ってくる。エテネの出現と攻撃により近づけなかったウンブラはようやくクラリスの元に辿りついた。
「クラリス、怪我は⁉」
「ない。ウンブラは?」
「僕もない。大丈夫だよ」
お互いの安否を確認すると、ヴェースが顔をあげた。その先にはエテネが立っている。
「……エテネ」
真顔でクラリスを見つめるエテネに、クラリスはもう一度名前を呼んだ。エテネはクラリスの足元に屈みこむ。クラリスの手を掬い、顔の高さまで上げた。
「――エテネ」
魔王――エテネは、再び名乗る。
「エテネ・ヴィヴィ・アウ・モルティだ。そなたにだけ、その名を呼ぶことを許す」
遠い昔に聞いた名に、クラリスは涙が込みあげた。
「気づくのが、遅くなってすまない」
エテネの両頬を包みこみ、クラリスは額を合わせる。
「全くだ。待ちくたびれたぞ」
そう文句を言いながらも、エテネは顔をほころばせる。
「そなたが気づくのを、ずっとずっと待っていた」
顔を上げて、クラリスはエテネをしっかりと見つめた。
「エテネ、久しぶりだ」
「ああ。久しぶりだ」
クラリスは重い腕を持ちあげた。その意図を悟ったエテネはクラリスを抱きあげる。
「フィーアの元に連れていってくれ」
クラリスを腕に乗せたまま、エテネは荷馬車に向かった。荷馬車は外部がところどころ衝撃で剥げていたものの、その物の形を保っていた。
荷馬車の扉を開けると、魔物の女性たちが肩を寄せ合って震えている。突然開かれた扉に大きく肩を揺らし、彼女たちはおずおずと顔を上げた。
「待たせた。もう出てきて大丈夫だ」
エテネに下ろしてもらい、努めて優しい声音で語りかけると、フィーアが大粒の涙をこぼしながら走り寄ってきた。
「フィーア!」
「クラリス様! 全くもう無茶をして! 私は怒っています。クラリス様は、クラリス様は絶対に安静にしてなきゃ駄目なんです!」
泣きながら怒るという高等な技術を使いながら、フィーアはクラリスのかさついた手の平を包みこむ。
「待たせて悪かった」
「いいえ、いいえ! 来てくださってありがとうございます。助けてくださって、ありがとうございます!」
フィーアは勢いよくクラリスに抱きついた。反動で後ろに下がった体はエテネが支えてくれる。クラリスはフィーアの背に腕を回すと、耳元で囁いた。
「一緒に帰ろう」
魔国へ――。
二人にそう告げると、それぞれが喜色を含んだ声で「ともに帰ろう」と返すのだった。
◇
境界線での戦闘を終えて、魔王はメンシス王国と中央国家ソーレに命じた。二つの国の停戦と、魔国に関するすべてと、クラリスへの不介入を約束させたのだ。
本来であれば、横暴ともいえる一方的な約定に人間たちは黙っていない。しかし、二国は圧倒的な魔国との力の差を知ってしまったため、「否」と言うことはできなかった。
そういった戦後の諸々をクラリスが知ったのは、魔国に帰り、三月も経ったあとだった。
その間、クラリスは寝台から起きあがれない生活を送っていた。
フィーアを助けるために使った力の反動は大きく、気持ちが最大限に高ぶったあとの降下は凄まじかった。
体は全く言うことを聞かず、目も開けられないほどの疲労に満ちていた。吐き気と頭痛が収まらない。涙は流れるばかりで体から水分がなくなっていく。
ぐるぐると自分を責める感情しか見えず、誰かに愛されていると知っていても「いつか嫌われるのではないか」と恐れを抱かずにはいられない。これからずっとこのままなのかという、無限の恐怖に襲われて、常に寝不足であった。
風呂に入る体力がなく、食事も喉を通らない。せっせと世話を焼いてくれるフィーアに申し訳がない思いがいっぱいで、自責に潰されそうになった。
汚く寂びれた姿をエテネに見られることが恥ずかしかった。今まで何度も恥を晒していると分かっていても、醜い姿をこれ以上見られたくなかった。フィーアが「乙女ですからね。当然の感覚ですよ」と微笑んでくれるのを受け流すこともできない。
ぐちゃぐちゃの混沌とした感情の渦から、少しずつ少しずつ回復に向かおうともがく。焦れば焦るほど、その渦からは抜けられない。
再度気分が持ちあがったのは戦闘から三月後のことで、クラリスは事の顛末をようやく知ることとなったのだ。
「こけたな。少しずつでいいから食事を摂れ」
面会を拒絶していたエテネと、久方ぶりにクラリスは会った。エテネは寝台で横になるクラリスの頬を撫でながら命じる。
高圧的ともとれる態度が心配からくるものであることはすでに知っている。表情の変わらないエテネの感情も、何となく察せられるようになっていた。今はクラリスに会えたことで喜びを抑えこんでいるようだ。エテネの想いが嬉しくて、クラリスの心に温かなものが灯る。
「今更だけど、迷惑をかけた。すまなかった」
終わったすべての事柄を聞いて、クラリスは謝罪を口にした。
クラリスが助けにいかなくとも、フィーアはエテネによって救いだされただろう。むしろクラリスが事を掻きまわし、人間と魔族との仲を悪化させてしまった。その事実はクラリスの新たな後悔に加わっている。
その暗い感情さえも見通しているのか、エテネは目をつぶって首を横に振った。
「そなたは間違っていない」
「でも、無駄なことをした」
「無駄ではない。クラリスのおかげで、フィーアはここにいる」
エテネがそう言うと、横で控えていたフィーアが顔を出す。
「そうですよクラリス様! クラリス様が助けてくれたから、私は今も無事に生きています」
人を安心させる笑顔を向けてくれるフィーアに、クラリスは無意識に入れていた体の力を抜く。
これ以上気持ちが昂るのは、明日の身としてはよろしくない。それでも嬉しいという感情は抑えられそうになかった。
「……エテネ、フィーア」
二人を呼ぶと、「なんだ」と優しい声をかけてくれる。
「ありがとう」
自分を支えてくれる者たちがいる。自分の病気を理解してくれる者たちがいる。すぐそばにはエテネやフィーアが。遠い地にはウンブラやロスが。その他にも、案じてくれる者たちがいることをクラリスは知っていた。
それは強みだ。勇者としての力が薄れても、新たな力に相違ない。
クラリスはこれから何年、何十年かけてうつ病と闘っていくだろう。その道は困難なものだ。つらく、苦しく、死んだ方がマシだと幾度も思うかもしれない。
それと同じくらい、幸せだと思うことも多いだろう。なくした分だけ、得るものがあることをクラリスは知っている。
エテネがクラリスの名を呼び、クラリスはその金の瞳を忘れないよう、しっかりと見つめ返した。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました!!!




