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第5話:潮風と自由の味

澄み切った青空の下、黒翼号の甲板に潮風が吹き抜ける。


セレスティアは大きく息を吸い込み、広げた海図から顔を上げた。


かつて彼女の肋骨を締め付けていた、重く苦しいコルセットはもうない。代わりに身を包んでいるのは、上質な紺色の生地で仕立てられた海賊風のドレスだ。


過剰なフリルや装飾を削ぎ落とし、足首丈で動きやすさを追求した特注品である。布地の擦れる軽い音が響き、セレスティアは甲板の階段を軽快な足取りで下りた。


その滑らかな動きに、舵輪を握っていたヴァルクが目を丸くする。


「おいおい、気をつけろよセレス。そんなに身軽に動かれたら、風に乗って空へ飛んでいっちまいそうだ」


「心配には及びません。重心のバランスが完璧に計算された素晴らしい仕立てです。これなら船上の有事の際にも、遅れを取ることなく指揮を執れますわ」


セレスティアはドレスの裾を軽く持ち上げ、その場でくるりとターンして見せた。


「お前が俺の横で指示を出してくれるなら、どんな嵐でも乗り越えられるぜ」


ヴァルクが白い歯を見せて笑い、彼女の頭に大きな手をポンと乗せた。


無作法極まりない行為だ。本来なら即座に鉄拳制裁を下すところだが、セレスティアは一瞬だけ目を細め、その無骨な手の温もりを受け入れた。


なぜだろう、嫌ではない。むしろ、この手の温もりが、今の私の自由を保証してくれているような、不思議な安らぎさえ感じる。


……何を考えているのです、私は。


セレスティアは心の中で首を振り、すぐにいつもの冷徹な表情に戻って海図を指さす。


「感傷に浸っている暇はありません。次の寄港地までの航路ですが、現在の風速なら予定より半日早く到着します。市場の開く時間に合わせ、荷下ろしの手順を再確認しなさい」


「補給物資のリストはすでに作成済みだ。お前が来てから、うちの船は本当に無駄がなくなった」


ヴァルクは感心したように海図を覗き込み、ふと真面目な声を出した。


「伯爵家の令嬢だった頃は、こんなふうに潮風を浴びて計算ばかりするなんて想像もしてなかっただろ。陸の生活が恋しくならないか」


セレスティアは羽ペンを置き、海原の彼方を見つめた。


窮屈な夜会、意味のない社交辞令、見栄を張るためだけの浪費。

領地の赤字を埋めるために昼夜問わず帳簿と睨み合い、どれほど成果を上げても「令嬢の癖に生意気だ」「女の浅知恵」と蔑まれた記憶が蘇る。


誰も、私の本当の能力を見てはくれなかった。この男を除いては。


「恋しい、ですか。……まさか」


セレスティアは小さく鼻で笑った。


「却下します。今は次の航路の計算の方が忙しいのです。それに」


「それに?」


ヴァルクが身を乗り出すと、セレスティアはふっと口角を上げた。


「こちらの職場のほうが、私の能力を遥かに高く評価してくれますから」


その言葉を聞いた瞬間、ヴァルクは空を仰いで歓喜の声を上げた。


「海賊の服を着こなして俺の隣で笑うその姿、最高に痺れるぜ!」


「私は笑っていませんし、まだあなたのプロポーズを受けたわけでもありません。却下です!」


冷たく返しつつも、セレスティアは潮風を胸いっぱいに吸い込み、どこまでも続く自由な水平線を真っ直ぐに見据えていた。


この自由も、この広大な計算の場も、隣で笑うあの男の存在があってこそ……


彼女は心の中でだけそう呟き、二人の未来の航路に思いを馳せた。

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