3-9 まさかプロポーズされるなんて!
この町に来て七日が経った。
蛾が飛び廻る街灯の下で何をするでもなく立ち尽くす俺は、宿の支払いを終えた際のリンゼとの会話を思い返す。
――ネリメアさん今朝戻ってこられたそうですよ! 浴室のお掃除入った時に私もお会いしたんですけど、もうツヤ肌で!! 疲れ知らずでイキイキされていました! まだ仲直りされてないにしては、ギルさんとは大違いでしたよ!
――教えてもらえて助かるけどさ。……俺に当たり強くない?
――やだ! ひどい! ギルさん考えすぎですよぅ。私は日に日にやつれてるギルさんが心配なだけなのに! そうそう、ネリメアさん宿泊延長の希望をされなかったので、今日お帰りになられると思いますが何か伝言ありましたら受けたまわりますよ?
――それじゃあ待ってるって伝えてほしい。場所は……
人によっては短く、人によっては長い一週間。
俺にとってはぐいぐいと縮まったリンゼとの親睦も、彼女にとっては普通なのだろう。フランクに距離を縮めるのが上手いだけでなくて、俺が知りたいことや頼みたいことを先回りしてくれる。
それができるのは宿屋の状況をしっかり把握しているからで、人とのコミュニケーションが円滑な仕事に繋がることを彼女は正確に理解しているのだろう。俺の何倍も対人においての能力が長けているに違いない。
看板娘になるべくしてなったようなリンゼが言うのだから、ネリメアは元気に過ごしていたのだろう。
俺との別れを引き摺ることなく。
俺と出会う前の――元来の彼女の一人旅に戻ったのだろう。
(あの日をやり直したいって俺は悔やんでるけど、ネリメアは違った)
寝ても覚めても、ネリメアを拒絶したあの日が頭にこびり付いて離れない。
毎晩見ていた悪夢がすり替わるほどに。
ネリメアに何を言ったらどうなっていたのか。
空想の中で何度も繰り返しては、現実ではないのだからと馬鹿馬鹿しく感じて。それでも考えてしまうくらいには脳が埋め尽くされていた。
(ネリメアも同じだったら良かったなんて、どうかしてる)
俺には悔やむことがあるが、ネリメアにはないのだろう。
自分がもう過去の人物になってしまったようで無性に腹立たしい。
(理不尽だ。俺が突き放したのに勝手に期待して、思い通りにいかないからって苛立って)
――ねえ、ギル。ひとりでいいなんて寂しいこと言わないで。
いつだって。声にならない憤りを拾ってくれたのは幼馴染だった。
――私はギルといたい。ギルが悲しかったことも、辛かったことも。私は知りたいし、そばにいたい。私の話をいつも聞いてくれるのはギルなんだから、私にも聞かせてよ。
俺の気持ちに寄り添って、耳を傾けてくれていた。
今でも幼馴染が語りかけてくるかのように鮮明に思い浮かぶ。
(俺は感情を言葉にするのが今も昔も苦手なままだ)
いつも憤りの根元は悲しさからだった。
理解されなくて、思うように伝わらなくて、理想と違って。
元から何も期待しなければ、相手に何も求めなければ、きっと悲しくもないし、怒りも生まれない。
そう分かっていてもどうにもならない心がもどかしかった。
それに自分自身の心の機微を正しく認識することも難しい。認めたくない気持ちがあれば、言葉に言い表せない気持ちもある。意識が向かずに蓄積される気持ちも、逆に意識し過ぎて見逃す気持ちも。
(スリィは根元の感情に目を向けるのが上手かった。自分だけじゃなくて人の気持ちにも敏感だった。スリィだったらどうするか――なんて考えても、それが苦手な俺には上っ面を取り繕うことしかできない)
そんな俺だから、一人での旅は楽だった。
その場その場で出会う人に愛想良くしていれば事足りるから。
簡単には踏み入ることを許さない領分に互いに近づかない距離感でいられるから。
俺はひとりの時間と、俺の感情にいつだって向き合えてこれた。自分と向き合うだけで良いのは楽だった。
これまで通りの旅に戻ることに不自由ないはずなのに、一体どうしてネリメアに未練がましく執着しているのか。
「スリィはどうだったんだろう」
幼馴染を殺した吸血鬼に恋をしていた幼馴染には、俺のように執着じみた感情があったのだろうか。
「スリィってだぁれ?」
街灯の火明りを求めて飛び回る蛾の羽音がする。
風が吹かず、木々のざわめきも聞こえない夜に、待ち望んでいた彼女の声が俺の元に届いた。
間伸びした陽気な口調。
それなのに、緩さのない、芯が通った彼女の声音。
足音は聞こえなかった。
声のした方角を向くと、表情がはっきり見えるほんの数メートル先に彼女は立っていた。
「ギル、お待たせ」
感じなかった彼女の気配がその一言でぶわりと肌身に伝わる。鳥肌が立った。
「――――ネリメア、ごめん。来てくれてありがとう」
けれど、口から出た言葉はこれまで何度も考えて導き出せた俺の本心だった。
(ネリメアは危険だ。これまでの吸血鬼とは違う。そう俺の身体が警戒してるのに、気持ちは変わらないみたいだ)
口元を覆うストールの下で彼女は美しく笑う。
頬を上げて、目を細めて、俺の言葉の続きを待っている。
「本音を言うとネリメアを信用しきれない気持ちは今もある。それでも、俺はネリメアと旅がしたい」
目は逸さなかった。
光の加減で見え方の変わるネリメアの赤い瞳。
鮮血の赤にも、ルビーの赤にも似た瞳から逸らしたいと思わなかった。
「ギルは正直だね」
くすくすと笑う彼女に「本当にごめん」と謝った。
「知りたいんだ。ネリメアのことも、吸血鬼のことも。俺が思っていた"吸血鬼"も、ネリメアも、正しく認識できてない気がしたんだ」
得体の知れない恐怖に足がすくむのに離れがたい。
他者の見識が記された本では得られない知識を、彼女という未知の存在を知りたい。
実のところ、彼女と旅をしていい理由を見つけれたら何でもよかった。
それでも俺の本心の一部であることに変わりない。多少不純な動機が混ざっていても、互いさえ良ければ許されるのではないか。
「だから。もしネリメアが嫌じゃなければ、もう少しだけ一緒に旅しないか?」
ザリ、と土埃を踏み込む足音が夜の冷えた静寂を引き締める。
石畳みの舗装された道には風で飛ばされた土埃が所々に被さっていて、ただ歩くだけで音は鳴る。
ネリメアも歩けば、人間と同じように足音を鳴らすのだ。
ストールの留め具に手をかけたネリメアは、ひとつ結びの長い髪を揺らしながら首元からストールを抜き取る。
俺の目前。手を伸ばせば届く距離でピタリと止まるネリメアは伏せられた眼差しを一転させて、うっとりと微笑んだ。
「ギルが良いなら私は初めからそのつもりだったよ。でも吸血鬼を殺さなくていいの? 憎くて仕方ないんでしょう」
態とだった。
普段は隠す口元を見せて、大きく口を開けた笑みを浮かべて。見せつけるように細い人差し指で牙を指差す。
ネリメアは俺から受けた理不尽な拒絶に怒っている。
血に濡れた真っ赤な瞳。
獲物を見つけた蛇みたくギラついた眼差し。
浮べる表情とその視線のアンバランスさが掴みどころのない彼女らしくもあった。
「殺さないし、油断させて捕えようなんて騙し討ちはしない。神に誓う」
俺は彼女から、ここ数日で決意した覚悟を試されている。
今すぐにでも腰に括った剣を手に取って首筋を払いたい。思考よりも先に身体が動きそうになる漠然とした恐怖に呑まれないかを見定められている。
「ネリメアはいつでも俺を殺して良いよ。やらないだけで出来るだろ?」
「どうかな。ギルを殺したいと思ったことないから分からないけど、ギルがそう思うなら出来るのかもね?」
吸血鬼は人を殺す。血を大量に奪って失血死させる。
吸血鬼であれば容易なことを彼女は曖昧にぼかす。
「――それじゃあ、行こっか?」
くるりと身を翻して話は終わったとばかりに歩き出す。
尾を引く長い髪を追って、俺は口を開いた。
「あのさ」
「なぁに? ギル」
振り返って微笑むネリメアに怯える要素は見当たらない。
俺が知っている、これまで見てきたネリメアの姿だった。
「もしもの話なんだけど」
笑った口元から時折見える牙を除けば、俺が知っている彼女がそこにいる。
「もし、ネリメアが血を吸いたくなったら。誰よりも先に俺の血を飲んでくれないか? 他の奴の血なんて吸わないで、俺を選んでほしい」
それなのに変わってしまった俺たちの関係性はどれくらい歪なのだろうか。
ネリメアと関わることで俺は変わってしまった。幼馴染と同じ末路を辿る選択を望んでしまった。
呆けた彼女から笑みが聞ける。
「随分と熱烈なプロポーズだね」
横並びになった俺とネリメアが目を合わせると、互いに声を上げて笑い合った。
「俺も少し思ったけど、冗談抜きで真面目にさ」
「――いいよ。私も約束する」
彼女を殺さない誓いと、俺を真っ先に殺させる約束を交わして。
月が昇る夜道をランタンで灯した俺たちの旅は再び始まった。
ここまでギルとネリメアの物語をお読みくださり、ありがとうございます!
小説のストックがなくなってしまったので、区切りの良い今回で更新をお休みさせていただきます。(亀更新だったのに執筆が追い付かず……)
ある程度の分量を書き溜めて戻ってきますので、ギルとネリメアの旅の続きをお待ちいただけますと幸いです!
また、リアクションやブクマ、☆評価や感想などで応援や反応いただけますと嬉しいです。執筆の励みにいたします!




