ただいま、人間界
全6話予定です
今日こそ俺は旅に出る。
その言葉の主はベッドの上にいた。
両手を頭の下に置きながら、足を組んで寝ているその姿は、とても先程の言葉を発した者とは思えない。
黒髪の頭を掻きながら、天井を見つめる目は動かない。
不意にその目が動いた。視線の先にあるのは一本の剣。
黒い鞘に収まっているその剣は、持ち手の部分が新しい。
その剣を見ている青年が笑った。突然の笑いは我慢しきれずにこぼれ出たというような、不意な笑いであった。
目元をぬぐいながら、声を上げて笑い続ける彼は剣を手に取り、
「お前もそう思うよな、うん」
立ち上がった。
青年が部屋から出ると、慌ただしく動くメイドが目についた。
青い肌にひれがあるしっぽを揺らしながら歩く彼女は、忙しいという雰囲気を醸し出しながら、両手に真っ白のシーツを抱えている。
声をかけるのに少し戸惑うが、それでも聞きたいことがあった。
青年は意を決し、言葉を発した。
「やぁ、今何時かな」
「あら、こんにちはユーリ様。やっと起きやがりましたの」
「もう昼なんだ」
毒舌を吐かれることは、この子に会えばいつもの事だからスルー。
にこにこと笑いながら、メイドに感謝を述べると、彼女は笑みを浮かべた。
メイドは勝気な瞳を細めて笑い、
「ほんと、貴方はここに来た時とは別人になりましたわねぇ」
そう言った後、踵を返して歩き去って行った。
その背に手を振って見送り、ユーリも自分が目指す場所へと歩いていく。
ユーリが廊下を歩くと、様々な人とすれ違う。
挨拶をする者でも、腰を折り曲げて挨拶をしてくる者やこちら側からしなければしてこない者と種類が分かれる。その中にはけんか腰な口調で話しかけてくる者もいたが、そのような人物には相応な回答を示した。
すれ違うのはその全てが魔族だ。勿論種族は多岐にわたったが、自分がすれ違う中に人間という種族は、只の一人もいない。
ふと、窓の外を見るとそこには訓練をしている者達がいる。
晴天の下、規則正しい動きを取りながら動く者達もまた魔族であった。
「ほんと、どれだけここにいたのだろうか」
ユーリは自嘲気味に、低く笑った。
晴天の下、大きな建造物がある。
それは黒を基調としており、中央にある搭を中心に、七角の建物が周りを囲っていた。
搭とは角となる部分が連絡用の通路でつながっており、それぞれが機能を宿している。
魔族がこの建物の中にいる事は周知の事実であった。
この大陸を支配する魔族、その集権的施設であるこの建物の名は、全世界にとどろいているからだ。
七角の建物は高さはそれほどでもない。首を少し上に傾ければどこが頂となるか、すぐに分かる程度であるからだ。
だが、搭は違う。
雲を突き抜ける程の高さは、この世界に比類なきものとしてそこにある。
その搭の中にいるのは限られたもの、この大陸の中でも屈指の人物である事を知らしめるかのように。
この建物は、パンデモニウム。
しかし、多くの人は魔王城と呼んでいた。
ユーリは自分がどこにいるかを再確認した。
ここは魔王城、パンデモニウムであり、人は自分以外にはいないという事を。
だからこそ、すれ違う人物が全て魔族であってもおかしくはないという事も。
しばらく歩き続けると、銀の長髪をたなびかせてこちら側に歩く若い男を見つけた。
袖がない服を着ている彼は、隆起した筋肉を見せつけるように歩いている。が、その顔は美男子といえる爽やかさであり、自分に向けられたその笑顔は同性異性問わず人気なのだろう、と思わせた。
「やぁ、ユーリ。君がここまで来るのは珍しいね」
「久しぶり、ローウェル。まぁそうかな、基本的に俺は動かないから」
だらしない、と笑うローウェルはユーリの肩を抱く。
長く、しなやかという印象を持たせるそれは、ユーリが歩む進行方向に向けて、主と一緒に移動する。
「こっちに来るのか? 何か用があったんじゃ」
「いいんだ、いいんだ。久しぶりに友と出会い、語らうよりも優先するものはない。君こそ何の用が?」
「グルディアスに会いに行く」
ローウェルは軽やかに笑いながら、そうか、と言いユーリの肩を抱いたまま歩いていく。
並んで歩くと、ローウェルの方が少しばかり身長が高い事が分かる。それは指で表せる程の少しの差であったが、ユーリは面白くなかった。
ローウェルはそんなユーリの微量な変化に気づき、彼に聞いた。
「ユーリ、君がここにきて何年になる」
「5年。目が覚めてからなら、3年程」
「そうか、もうそんなにも立つのか。」
ローウェルは、ユーリから手を離した。
歩みの速度を少し速め、前に立ちながら、大げさな身振りをしながらため息をついた。
顔を下に向け、腕を左右に開いた姿は、いつも前向きな彼には珍しい。
ユーリはそう思った。
「人はすぐに死ぬ。君もまた、いつか死んでいくのだろう。私はそれを思うと、胸が張り裂けそうになる」
「で、本音は」
「寿命で死ぬぐらいならば、この私に殺させろ」
ユーリはため息をついた。
ローウェルは人狼、さらに魔界屈指の実力である魔界七将軍の位を授かっている。
彼とは、ここに来る前、自分がパーティを組み魔王を殺すことを目的に旅をしていたころ、幾度なく殺し合った。
彼は命を尊び、武器を使わずに拳で殺す事で、その尊さに敬意を表している。
その性質を自分は好んでいる。
高い実力、されど驕る事はない。それが、彼への評価だった。
しかし、この城に世話になり始めた頃、それに一つ評価が追加された。
彼はことあるごとに戦いを望む。つまりは戦闘狂だ。
満月の時に彼と出会えば、死を覚悟しろ。
それはこの魔王城にいる者達には、必須の情報だ。
「いいじゃないか、やり合おう、ユーリ。君が老いて死んでいく事は尊いものだ。だが、その人の身とは思えない強さが失われていく事を見過ごしていくのは、あまりに惜しい」
「買い被りすぎだよ。ローウェル、俺は強くない」
「それは嘘だ! 私は覚えている、今も夢に見る、瞼を閉じれば思い出す。君たちのパーティ、白銀の空が魔王城に突入したことを。我ら七星将を蹴散らし、宙の搭へと歩んだことを」
ユーリは懐かしい名を聞き、目を細めた。
白銀の空
それは自分が所属したパーティ。
人間族と多くの種族が同盟を結んだ全種族連合、それを相手取った魔族が世界を滅ぼしかねないと恐れられていたころ。
多種にわたる種族をメンバーに加えた魔界へと乗り込んだ馬鹿な者達。
魔界七星将を打倒し、魔界最強とうたわれた魔人レイナルートを宙の搭から叩き落し、魔王へとたどりついた者達。
そして、魔王によりその中心的存在、リーダーを殺された者達の名だ。
「買い被りすぎだ、本当に。俺たちはお前たちに負けた、それが事実であり、結果だ」
「だが、そうだとしても……!」
ユーリはローウェルの横を抜き、歩いていく。
後ろを振り返らず、真っ直ぐと自らの目的地へと向かう為に。
ローウェルは彼を追いかけなかった
もうすぐ彼の目的地だという事と、これ以上の問答は無駄だと悟ったからだ。
ユーリは赤い扉の前に立っている。
そしてこの扉の先にいる主の魔力を感じ取っていた。
隠すつもりが感じ取れない魔力の奔流は、戦闘時ではなくとも強烈なもので、主の強力さを表している。
しかし、それは自分にとっての恐れる材料にはならない。
ためらわず、その扉を開けた。
赤い扉を開けた先には、資料とにらみ合いをする大男。
剃髪の彼は、今はその身を人間としているが、その正体は魔界屈指の強力な一族。
竜。
巨躯、高い魔力、高硬度を誇る鱗。
かつて勝利を掴んだことあると思うと、不思議だといつも思う。
彼の作業が終えるのを待っていると、剃髪の男、グルディアスは顔を上げた。
「ユーリか。何用だ」
「前から話していたことだ。俺はこの城を出る」
ふむ、とグルディアスは肘をついた。
こいつはいつもこうだ。
言葉数が少ないが、その癖頭の中で何を考えているか分からない。
いつもレイナルートの傍に付き添い、七星将の統率を取っているのはこの男だ。
俺はこの男が苦手だ。
考えて、そして即決行。これはとても心臓に悪い。
「ふむ、なら行こうか」
「なっ、ちょっ……!?」
ほら、こんな感じ。
グルディアスは立ち上がった。
すると、奴の足元を中心に青い線で出来た魔法陣が広がっていく。
それはこの部屋を覆い尽くすと、淡い光を発した。
ユーリは自分が森の中にいる事を知った。
それはけたたましい鳥の鳴き声、香る土のにおい、そして何よりも目の前に広がる緑がそれを知らせた。
そして、もう一つ気づくことがある。
これは、生まれた時から感じた、久しく感じ取れていない魔力の質。
「ここは人間界か……?」
「その通りだ」
目の前に強面の禿が現れた。




