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夫婦

「・・・」

 俺の話を聞いても晴信は何も言わない、ただ俺を見下ろしている。

「・・・」

 俺も言うことは言った、だからなのかこれ以上は言葉が出なかった。

 しばらく、いやほんの数秒したところでさっきまで感じていた威圧感がふっと和らいだ。

「貴久」

「はい」

「あなたはどうしてここにいるの」

「俺は、俺の意志でこっちに来たわけじゃない」

「なら、どうして長尾家にいるの」

「たまたま俺がこっちに来て最初に会ったのが景虎だったからだ」

 晴信が俺のことを聞き始めた。

「長尾家で何をしているの」

「今は景虎の屋敷で働いてる」

「普段は何をしているの」

「何も、お金も何もないから仕事をする以外は何もしていない」

 晴信から先程までの威圧感は感じないが今の俺の立場を考えると晴信の質問に答えなければ殺されるだろう。

 俺が生き残るにはこの問答の間に俺が武田にいることで武田に利益がある事を示さなければならない。

「川中島に植えたのはなぜ」

「それは景虎が決めたことだ、理由は知らない」

 かと言って長尾のことを何でもかんでも喋ることはできない、この件については本当に知らないわけだが。

「あなたは武の心得があるの」

「いや、ない」

「こんなことをしたら戦になってもおかしくない、なのにあなたはどうしてついてきたの」

「確かに危険だけど、菜種を植えようと言い出したのは俺だ、俺が行かないわけにはいかない」

「分かった」

「え」

 問答はこれで終わりのようだ。

 しかし晴信はまだ俺のこっちに来てからの境遇は聞いたが、俺にできることを何一つ聞いてはいない。これでは俺を生かしておく利益は見つかってないだろう。

「勘助、信房、昌秀」

「ま、まってくれ!」

 俺の利用価値が見つかっていないこの状況で三人を呼んだのは俺を処分するために違いない!

「もういい」

 そこにさっき晴信に追い出された三人が戻ってくる。

 終わった。俺が一人で絶望していると・・・俺の手が暖かい何かに包まれた。

「もういいから、大丈夫だから」

 晴信の手が俺の手を優しく、温かく包んでいた。

「ずっと傍に居て。あなたは心配しなくていい。私が守るもの」

「・・・」

 俺の目には・・・涙が浮かんでいた。

「大丈夫」

 そういうと晴信は立ち上がる。

「今から長尾との戦を始める、今回だけは負けられない」

 晴信の言葉には力が感じられた。

 何が何でもやってやる、そんな強い意志が感じられた。

「「「は!」」」

 勘助さんに信房さん、昌秀さんも力強く答える。

「して、お屋形様、この男はいかがいたしますか」

 そうだ! このままでは殺されてしまう!

「信房」

 晴信が信房さんに声をかける、俺の首を落とすように命を下すのだろう。

「貴久のことを、この男なんて言っては駄目」

「は?」

 死者にも礼を尽くせということだろうか。

 しかし俺はまだまだ人のことを分かっていなかったらしい。


「貴久は、私の夫になる人」


 ・ ・ ・ は?

「・・・お屋形様、今・・・何と?」

 信房さんが聞き返す。

「貴久は、私の夫になる人」

 おかしいな~?変な言葉が聞こえる。

「お屋形様、申し訳ありません、もう一度だけお願いします」

「私は、貴久と夫婦めおとになる」

「ええええぇぇぇぇぇぇーーーーーー!!!」

 叫んでしまった、でも仕方ないよな。

 なんかおかしい⁉ なんで⁉ なんで急に夫婦めおと

「お屋形様・・・しかしなぜ、貴久殿なのですか・・・」

「そ、そうだ、何で急に夫婦なんだ」

 景虎のときもそうだが、こっちの人は省略しすぎで分からない。

「最初に言った、貴久は優しくて、とってもいい人」

「・・・もう少し詳しくお願いします」

 昌秀さんがたまらず尋ねる。

「貴久には身寄りがない、そこを景虎に見つかって屋敷に連れていかれた」

 確かにこっちに身寄りはいないし森をさまよっていたところを景虎に見つけられて屋敷に行った。

「屋敷で働き始めたけどお金をもらえないから毎日仕事をするだけの日々」

 まありょうの時に1貫貰ったけど俺の懐には1銭も入っていない。

「お金を稼ごうと考えたことは景虎の手によって進められ、戦を始めるきっかけにされた」

 ま、間違ってない。俺がお金を稼ぐために菜種を植えることを提案した、そして景虎の考えに従って川中島に植えることになり、今長尾と武田の戦が始まろうとしている。

「それでも貴久は自分の考えたことだからと、こんな危険なところまで自ら足を運んできた」

 そうだけど、確かにその通りなのだど!

 いろんなところを俺を良く、景虎を悪く考えすぎている。

「いや、あの・・・」

 どうしよう、俺にとって都合のいい? 解釈をしてくれている。

 その時、俺の肩に手が置かれた。

「苦労されてきたのですな」

 と信房さん。

「お辛かったことでしょう」

 と昌秀さん。

「もう大丈夫だ」

 と勘助さん。

「これからは、私と家族。寂しくない」

 と晴信。

「いやいや待て待て! どうしていきなり夫婦なんだ⁉ 三人もいいのか、お屋形様がどこの誰ともわからない奴と夫婦になろうとしてるんだぞ!」

 駄目だろ、いきなり夫婦とか普通駄目だろ! ・・・こっちでも・・・ふつうは駄目だよな?

 景虎と言い晴信と言い何でいきなりそこに行きたがるんだ。

「貴久は優しくて、とってもいい人。こんな人と夫婦になれたら、幸せ」

 えぇ~、それだけで夫婦ですか・・・。

 さらに信房さんが続く。

「お屋形様の言う通り、こんな好青年は天下広しといえどそうそう見つかるものでもあるまい」

 俺くらいの人ならそこらじゅうにいると思う、掃いて捨てるくらいいると思う。

「それにさっき、ずっと傍に居てって言ったら泣いて喜んでくれた」

「違う! 違うんだ、あの時は・・・」

「みなまで言わなくていい」

 晴信が盛大な勘違いをしている! 正さないといけないのに!

「いや本当に・・・!」

「大丈夫ですよ、私たちもあなたの気持ちは十分に察していますから」

 昌秀さんにまで阻まれた! 全然察せてないのに!

 俺があの時涙を流したのは晴信の「あなたは心配しなくていい。私が守るもの」が「あなたは死なないわ。私が守るもの」に似ていたからだ。理系ならみんな知っている名言だ、知らない奴は潜りだ!

 そんなすばらしい名言に近い言葉を本気で使っているのを聞けたら・・・そりゃあ感動もするでしょ!

「それに貴久の知恵は役に立つ、長尾はその知恵を目的に酷い条件で働かせながら貴久を手元に置いておこうとしている」

「そんなにひどい条件では・・・」

「大丈夫です、今は長尾のことを考えなくてもよいのです、あなたはもう武田の一員なのですから」

 やめてください勘助さん! 全然大丈夫じゃないんですよ! しかもさらっと言ったけどまだ武田の一員になったわけではないですよ!

「では皆、戦の準備を。長尾には手紙のような事実はないと返事を。分かっているとは思うが、この戦、負けるわけにはいかない!」

「「「は/はい!」」」


 そんなわけで多大な勘違いをしてしまった武田軍は長尾に「長尾方の人物を連れ去った事実はなく、武田は長尾家が不当に捕らえている賢人を人道的な考えから保護しただけである」と回答した。


 武田方は茶臼山ちゃうすやまに布陣、長尾方は妻女山さいじょさんに布陣した。

 あのままいきなりぶつかり合わなかったのは安心したが、長尾景虎ほどの人物が7000対15000の兵力差でまともにぶつかり合うわけもないと思い直し、むしろ何をする気なのか怖くなった。

 そして最大の問題はこの布陣だ。

 ここで戦をすればこの布陣になるのは当たり前なのかもしれない、戦の専門家でも何でもないから確かなことは言えない。でも、武田と長尾のこの布陣は、俺の知る第四次川中島合戦の布陣と同じだ。

 第四次川中島合戦、八幡原の戦いとも言う。第一次から第五次にわたる川中島の戦いの中で唯一大規模な戦いとなり、多くの死傷者を出した合戦だ。

 この戦で武田軍4,600、上杉軍3,400もの戦死者が出たといわれている。さらに名のある者で武田信繁や山本勘助などが討ち死にしている。


「よって、信房殿と高坂殿で妻女山を急襲、山を下りてきた長尾勢を待ち構えている本体でたたく、この作戦でいこうと考えております」

 勘助さんが史実通りの『キツツキ戦法』を提案している。

「分かった、私はこれでいいと思う。何か異議のあるものは」

 晴信もこの作戦でいくことに賛成している。

 このままでは史実通りの川中島合戦が起こってしまうかもしれない・・・・・俺はそんなの認めない、何としてでもこの戦を止める!

「無いならこの作戦で・・・」

「異議ならある」

 みんなの視線が俺に集まる。

「貴久殿、拙者の策に何か問題でも?」

 勘助さんが声音だけは押さえて問いかけてくる。心の中ではついさっき武田方に加わったばかりの奴に長年使えてきた自分の策を否定されるのは面白いことではないはずだ。

「貴久は軍略には精通しているの?」

「比べたことはないのでどの程度なのかはわかりません」

 もちろん精通なんてしていない、軍略は気になったものを調べた程度・・・と、趣味で孫子と魏武注孫子はなんとなく読み込んだ。だがそれを念頭に置いて実際に策を考えたこともないから精通どころか素人だ。

「かまわない、言ってみて」

「ではお言葉に甘えて。

 ・・・この策は失敗すると思う」

「なんだと!」

 勘助さんが声を荒げてくる。

「勘助静に。貴久、その理由は?」

 ここからが問題だ、まだ起こっていないことを話しても武田の伝説的軍師である山本勘助の策を引っ込めさせることはできない。

 この戦を生業とする偉人たちを説得するのは簡単ではない。

「ではその理由を述べましょう、俺が勘助さんの策が失敗すると思った理由は今夜から明日の朝にかけて霧が出るからです」

「霧?」

 晴信が首を傾げる。

「何を言うか、この辺りでは最近雨は降っておらず川の水嵩も減っている、今夜雨が降る様子もない、水のないこの状態でどうして霧が出ると言えるのだ」

 勘助さんがすかさず反論してくる、しかし予想の範囲内だ。

「水ならあります」

「どこにあるというのだ?」

「地面です」

 勘助さんが分からないといった顔をする。

「勘助さん思い出してみて下さい、長尾勢がここ数日やってきたことを」

「菜種を植えただけ」

 晴信が答える。

「そうです」

「それがどうしたというのだ」

「菜種を植えたんです、作物を植えたらすることがあるでしょう?」

 そこまで言ってみんなも思い至ったようだ。

「そうか! 菜種にも水をやっていたのか!」

「その通りです、毎日毎日植えた菜種に水をやってきました、今この辺りの地面には大量の水が溜まっています、そして景虎はもちろんこのことを知っている」

「・・・だ、だが霧が出るとは限らない」

「確かに出ないかもしれません、しかし霧が出る可能性は極めて高い、そんな状況で兵を二手に分けてあの長尾景虎を相手に夜討ち朝駆けを仕掛けたら・・・負けますよ」

「・・・・・」

 勘助さんが腕を組んで黙りこくる。

「勘助、言いたいことは」

「まだ霧が出るとは限りません」

「でも、貴久の考えを聞く限り霧が出る可能性は高い、つまりこの策が失敗に終わる可能性も高い」

「・・・分かりました、今回の拙者の策は取りやめさせていただきます」

 やった、これで史実の第四次川中島合戦は避けられた!

「それで、拙者の策を退けて貴久殿はどのような策をお持ちなので?」

「策・・・か」

「まさか、何も考えていなかったのですか?」

 勘助さんが鋭い目を向けてくる。

「確かに、俺には長尾勢を撃退する策なんてない」

「なんと! 策を待たぬのに拙者の策を退けられたのか!」

 勘助さんがまた声を荒げる。

「勘助」

「ぅ・・・」

 晴信の一言でまた勘助さんが押し黙る。

「貴久、何か考えがあるの?」

「ああ」

 そして俺は長尾が動き出した時から考えていたことを言う。

「俺が景虎と話をするよ」

「駄目」

 晴信が間髪入れずに言ってくる。

「でも話ができれば誰も傷つかずに終わらせられる」

 少しだけ、晴信が目を閉じて考える。

「・・・ちゃんと、帰ってきてね」

「ああ、帰ってきたらまた話をしよう」

「約束」

 晴信が真剣な顔で言ってくる。

「約束だ」

 だから俺も余計なことを言わずにそれだけ言っておく。

 晴信は一瞬だけ表情を緩めて笑顔を見せた。

「いつ景虎と会うの?」

 また一瞬後にはさっきまでの無表情な顔に戻って話し始める。

「今夜のうちに長尾勢は霧に乗じて妻女山を下って明日の朝には武田勢の目の前まで来ているはずだ。そこで使者を出して景虎と話し合いの場を設けようと思う」

 こうして軍議は終わった。


 そしてその夜には霧が出た。

 朝になって霧が晴れると、目の前には長尾の軍勢が忽然と現れていた。


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