ここ、どこ?
「ここ、どこ?」
気が付くとそこは森の中だった。
「て、そんなことあるわけないか」
と言うわけでいつも通りに部活が終わり、いつも通りの帰り道を歩いている。
太陽が山入端に沈みきるまであと少し、あたりは勘違いされやすい色であるあかね色に染まっている。
足元から延びる自分の影が目の前の道の一部を黒く塗りつぶしている。
「疲れた、お腹すいた、部活なんて何でやってるんだろ、もう辞めたいよ~」
昨日も一昨日も言った言葉、きっと明日も明後日も同じことを言うのだろう。
そんな何の得にもならないことを1人呟いているのは普通の高校2年生の男、名前は加藤貴久。
俺の通う高校は、学力は下の上、運動は上の下と言う割と部活動が有名な学校だ。
俺はその学校で練習が厳しいと言われているバスケ部に入った。
理由はただ中学でバスケをしていたからと言うだけ。
しかしバスケ部は俺が入学して最初の大会で県大会まで勝ち進み優秀な成績を残したが3年生が引退した後、2年生が中心となったチームではなんとその一年の間は公式戦はおろか練習試合でさえも一勝もできず、果ては中学生にまで負けるという情けない実績を積み重ねていった。
当然だが結果が出ないから顧問の先生は今でさえ十分に厳しい練習をさらに厳しくしていく。
しかし生徒のほうは厳しい練習をしても全く結果が出ないから不満が溜まっていく。
俺と一緒に入部した他の17人の仲間はどんどん退部していき、俺が2年になったころには2年生は俺を含めてたったの4人になってしまっていた。
新入部員も少なく、入部して一週間でさらに少なくなり今ではたったの5人。
バスケ部全員でも9人と言うこの状況で厳しい練習に毎日出ているだけあって背の高いデブから背が高くがっしりした体格の後ろ姿はかっこいい人、にランクアップした。
前からは・・・主に顔のことなんか気にしたら負けだと思う、うん。
「部活辞めたら本たくさん読めるよな~、何で辞めないんだろう」
そういいながら俺はカバンの上から帰りに買ったばかりの中に入っているお気に入りの本『戦国伝奇 乱世に咲く花』の最新刊を撫でる。
『戦国伝奇 乱世に咲く花』は簡単に言うと主人公が室町時代後期の尾張に突然召喚されて女の子の織田信長の夫となり、文字通り日ノ本全土を回って各国の女の子になった偉人さんたちと仲良くなっていく話である。
俺は本のことをとても愛している。主にラノベと歴史に関係ある何かが書かれている本。
あまりに愛していて特に気に入った本は内容をほぼ完璧に覚えている。
そんなことをしているせいで部活後のわずかな時間に勉強などするはずもなく、テストの成績は学年のちょうど中間と言ったところだ。
歴史には詳しいのに理系だから歴史のテストはない。
・・・実に腹立たしい。
「『戦国伝奇 乱世に咲く花』もこれが最終巻だし俺も合わせて部活辞めようかな」
もちろんそんな理由で辞められるわけはないのだが、そんなことを考えてしまうほどになんだか生きる気力が減衰していた。本がなければ今頃自殺でもしていたのではないだろうか。
そんなことを考えていたから足元がおろそかになっていたのだろう、俺は突然に垂直落下運動を始めた。
「何でおれは落下しているんだ?」
この状況で冷静でいられるのは日ごろの厳しい練習で鍛えてきた忍耐力のおかげだろう。
「マンホールのふたが開いていてそこに落ちたのかな?」
それにしてはもう結構落下していると思う。だいたい7,8秒ほどたっただろうか。
並の頭で考える高校物理によると
1/2×9.8[m/s²]×7²[s]₌240.1[m]
考えている間にも落下しているしすでに250メートルくらい落下しているのではないのだろうか。
もうこれマンホールとかじゃないよね?
と言うことはこれは異世界への入り口か何かだろうか?
こんなことを考えるのは日ごろろくに勉強もせずに本を読んでいたせいだろう。
「ヒデブ!」
決して頭が破裂したりしたわけではない。
まっすぐに落下していたから地面に足がついた衝撃が頭に抜けてきただけだ
ともかく、やっとどこかに着地したようだ。
普通あれだけ落下したら骨折どころか体中ぐちゃぐちゃになっていると思うがそこは主人公補正的な何かが働いたのだろう。
「ここ、どこ?」
本当にこの言葉を使う時が来るとは思わなかった。
周りを見回すと木が生えているだけ、人はここを森と呼ぶのだろう。
「ラノベだとここで可愛い女の子か可愛くて身分の高い女の子、もしくは山賊とかに囲まれたところをやっぱり強くてかわいい女の子が助けてくれそうなもんだが」
だが周りは見渡す限り木しか見えない。
このままここに居たら熊か何かに襲われて死ぬかもしれない。
「とりあえず、少し傾斜になってるし下に向かって歩いていけばふもとの村かどこかに着くだろう」
異世界だからかまだ日が出てる、日が昇っているところなのか暮れるところなのかは分からないが、日は頂点から少し傾いた位置にある。
山を下っていくと人がすれ違うのがやっとな程度の幅しかない山道を見つけた。
「俺の勘は冴えているようだな。この道をたどっていけばいつかはどこかの村か町に着くだろう。一安心かな」
そうして俺が右と左、どちらに進もうかと左を見てから右を見ると・・・馬上から俺を見下ろす可愛い女の子がそこにいた。
釣り目気味の真紅に輝く瞳。森の中のわずかな陽光をきらびやかに跳ね返す白銀の髪。
他にもなんとか言葉で表そうと思ったがそうすることでこの女の子の魅力が損なわれてしまうような気がしてしまう。それほどにまで美しい女の子だった。
「あんた、誰よ」
女の子が問いかけてくる。
「・・・・・・」
「ちょっと、何とかいいなさいよ」
俺が何も答えなかったからか、女の子は少しだけ目つきを鋭くして催促してくる。
「ああ、ごめん。ちょっと見惚れてた」
「・・・」
女の子の目がゴミでも見るような目に変わる。
そりゃそうだよな、初対面の男に見惚れてたなどと言われても気持ち悪いだけだろう。
「・・・ごめん」
とりあえず謝っておいた。
「そんなこといいからさっさと名乗りなさいよ」
「ああ、俺の名前は加藤貴久だ、よろしく」
「べつによろしくなんてしないわよ」
一蹴されてしまった。
「あんた、加藤って言ったわよね。加藤って三河の加藤のこと?」
三河の加藤って誰だよ! 俺生まれも育ちも愛知県で歴史のこと好きなのにそんな人知らないよ⁉
「そうでもなさそうね」
俺の考えが顔に出ていたようだ。
これかなりまずくないか?
さっき何の考えもなく名乗っちゃったけど鎧着込んだ女の子が馬に乗っている時代に名字を持っているのはかなり身分の高い人だけではないだろうか。
異世界ならまだわからないが目の前の女の子はかっこいい刀まで帯びていていかにも武士といった感じだ。
ならばここは日本の平安時代から江戸時代のどこかだろう。
しかも・・・もしかしたら・・・。
「で、本当に誰なのよ」
「えっと・・・」
加藤と名乗ったから加藤さんについて考える。
真っ先に思い浮かぶのは加藤清正公だが清正公が活躍したのは安土桃山時代後期の秀吉の天下の時代から江戸時代初期だ。
だが、目の前の女の子を見る限り今は室町時代後期だと思われる。
なぜなら目の前の女の子は、今俺のカバンの中に入っている『戦国伝奇 乱世に咲く花』に出てくる長尾景虎にそっくりだったからだ。
「答える気がないならこのまま切って捨てるわよ」
アニメや本の設定だとこういう人は間違いなく目を見たら本当のことを言っているか嘘をついているかがわかるからここは本当のことを言うしかないのだが。
「言うのは構わないけど・・・信じてくれる?」
「それは聞いた後に私が決めることよ」
「ごもっともです・・・では、俺の名前は加藤貴久、身分は・・・平民かな? 出身は今から400~500年後の尾張だ」
学生は平民でいいのかな? 農民や商人じゃないし・・・。
女の子は黙って俺の目を見ている。
俺の言ったことの真偽を確かめているのだろう。
俺はどうでもいい思考を中断してとにかく目をそらさないようにする。
何秒かして女の子は笑みを浮かべながら言った。
「なんか面白そうね。
で、何をしにこんなところに来たの?」
「別に何も」
「何もって・・・それならどうしてこんなところに来たのよ」
「いや来たくて来たわけじゃないよ。道を歩いていたらなんか穴に落ちちゃって、気がついたらこの山にいた」
「・・・嘘をついているように感じない」
「嘘じゃないからね。
さて、できればそろそろ君の名前を聞きたいのだけど」
まあなんとなくわかってはいるのだがまだ確信は持てていない。
これで長尾景虎と名乗ったら確定だろう。
「嫌よ」
えぇ~。
「言うわけないでしょ。他国の草かもしれないのに」
「その割には長々と話していたけど」
「いいの、私が決めたことだもの」
「じゃあいいや、それなら出来たらこっから一番近い村か町までの道教えてもらえないかな?」
「嫌よ」
「それも君がそう決めたから」
「ええ」
「できればもう少し生きていたいからさ、本当に教えてくれない? このままここに居たらたぶん熊か何かに襲われて死んじゃうから」
「500年も先の世から来たって言うなら何か無いの? 瞬時にいろんな場所に移動したり、熊なんか指先ひとつでちょちょいのちょーいみたいなの」
「先の世から来たって言っても所詮はただの人間だからな、そんな不思議な力なんかあるわけないだろ」
「なんだ、つまんないの」
「つまらなくて悪かったな。
それで、どこかの村か町までの道を教えてもらえないかな」
「教えてもいいけど、私にはどんな見返りをがあるって言うの」
すっごい顔がニヤニヤしてるよ、遊んでるよな、間違いなく。
でも実際に何か見返りを提示して満足してもらわないと死んじゃうかもだし何か言わないと。
「じゃあどこか食べ物が食べられてこっちで浮かない服が手に入るところを教えてくれたら俺の用意できるものなら何でも一つ君にあげるよ。できればついでに雨風が凌げるような所もあれば文句はないけど」
俺の服は部活帰りのジャージのままだ。
表面のナイロンなんてこの時代にあるわけないしな。
それに用意できるものなんて言ったが、実際にはカバンの中身かそこいらに落ちているものしか用意できない。
無理難題を押し付けられたり誰かの首を持って来いなんて言われたら・・・その時は諦めるしかないが。
だが女の子はそれを聞いてニヤついていた顔をさらに面白そうに歪めて言った。
「いいわ、あなたのお望みの場所まで連れて行ってあげる。付いて来なさい」
そう言って女の子は活き活きとした動きで山を下り始める。
どうやらどこかに連れて行ってくれるようだ。
「なあ! 本当に名前教えてくれないのか!」
さっさと行ってしまう女の子を小走りに追いかけながら再度問いかける。
「景虎よ。
ほら、答えてあげたんだからさっさと付いて来なさい」
首だけこちらに振り返って言う景虎さん。
本の中の景虎さんから推測するに、きっと何か俺にとって良くないことを思いついたのだろう。
しかし真上から降り注ぐ太陽に照らされてその姿は他の何よりも美しく見えた。
俺も今度は黙って景虎さんの後ろに付いて山を下り始めた。