愛着
維心は上機嫌で自分の対の居間へ座っていた。なんだか分からないが、とても気持ちが軽い…いつもと同じことをして来ただけなのに。いつもより、本当に愛されているという気がして…だが、いつもと変わりないのに。維心は、維月の「気」を思い出して、ぼうっとしてホッとため息を付いた。本当に、あの気に溺れるように維月に惹かれてならない。維月に寄って来る、他の者達もそうなのだろう。だが、我はあの「気」だけに惹かれているのではない。だから、他と違って維月が愛してくれるのだ。維月を構成している全てを愛してる…維月が、我を構成している全てを愛していると言ってくれていたように。
維心はそれを思い出すと、思わず知らず頬が緩むのが感じられた…いけない、こんなに舞い上がって居ては。
そう思って表情を引き締めて、小さく咳払いをした時、声が飛んだ。
「お邪魔みたいだが、話しがあるし入るぞー。」
十六夜の声が言ったかと思うと、戸が勢いよく開いて、そこには十六夜が立っていた。
「何を一人でニヤニヤしてやがるんでぇ、維心。」
維心は見られていたかと、ばつ悪く横を向いた。
「ニヤニヤなどしておらぬわ。それより何用ぞ。」
十六夜はフンと横を向いた。
「あのなー維月がさっき帰って来たと思ったら、お前とおんなじ状態なんだよ。赤い顔をして戻って来て、部屋の隅に座ったかと思ったら、壁向いてにやけてたと思うとぼうっとしたりよ。」とじっと維心を見た。「お前…維月に何をしたんだ?」
維心は、維月もそうなのかと一瞬嬉しかったが、顔を引き締めた。
「何って…別にいつもと同じことだ。我らがもう50年もしておることよ。なんら変わりないわ。確かに主には明日まで待てと言われたので、約束違反であるのは謝るが…。」
十六夜はふんと横を向いた。
「どうせ維月が言ってた事を聞いて、舞い上がったんだろうよ。オレもまあ、舞い上がったからお前の気持ちは分からないでもないが。」
維心は目を丸くした。
「聞いてたのか。」
十六夜はチラッと横目で維心を見た。
「ここは月の宮だ。お前と同じで、オレだってここで起こってる事はまあ、見ようと思えば見えらあな。だからお前が追って行ったのも知ってるよ。ただオレは止めなかっただけだ。」と少しふて腐れたように傍の椅子に座った。
「あのさ維心、オレは確かに体が云々気にしねぇが、ここに帰ってる時ぐらい我慢しろよ。オレと維月の時間に割り込まれると、いくらオレでも怒るぞ。つまり、オレと維月の心の交流の邪魔ってことだけどな。オレがもし、しょっちゅう龍の宮へ言ってベタベタしてたら、いくら話してるだけでもお前でもキレるだろうが。たまにしかこんなことはないんだから、少しは譲れよ。確かにオレ達は月で繋がっているから、会わなくても話しちゃいるがな。聞いたろう?あいつはオレが育てたようなもんさ。オレのために生きてくれてた。だから信頼関係があって、こうしてオレもキレずにお前に話してるがな。たまには気がねなく二人で過ごしたいのさ。普段は譲ってやってんだから、今は我慢しな。わかったか?」
維心は目を伏せた。確かにそうだ…もしも自分の宮で維月が十六夜の事ばかり考えていたら、自分もつらいだろう。里帰りの時は譲ってるのに、と…。それでなくても十六夜は、維月を追い掛けてここへ来るのを許してくれている。維心は十六夜を見た。
「…すまなかった。我が考え無しであった。維月の言葉で我をどう思っているのか聞いて、我を忘れてしもうた。確かに主の言う通りよ。我は主と違ごうて、ついつい心の繋がりと体の繋がりを持ちたくなってしまう…まだまだであるの。最近は落ち着いたと己では思うておったのに。」
十六夜は苦笑した。
「まあ、箔炎があんな風に来た後だったしな。気持ちはわかるんだよ。だからオレも止めなかったんだがな。オレよりお前の方が堪え性がないのは知ってるし…ま、明日までもうちょっと我慢しな。」と立ち上がった。「じゃあな。しかし、お前らこんなに長い間四六時中べったり一緒に居るのに、よく飽きないなあ。」
維心は眉を寄せた。
「主など維月が赤子の時から一緒であろうが。」
十六夜は手を振った。
「オレはまあいいとしてさ。何しろ子育てから嫁入りまで世話してる訳だから、逆に離れられないだが、お前は途中から参戦して、オレ以上にべったり一緒じゃねぇか。」と腰に手を当ててため息をついた。「オレは別に、一緒に暮らしてた訳じゃねぇからなあ。お互い別の生活してて、お互い相談し合ったりしてたってだけで。だからこそ続けられたんだって、結婚して生活し始めてから知ったんだ…飽きることは絶対にないが、四六時中一緒だと、ケンカばっかりになっちまってよ~。何しろお互いに遠慮がねぇからな。今頃別居してたかもしれねぇ。お前が維月と暮らしてて、オレは普段は話すだけでたまに会うからうまく行ってる気がする。維月もそう言ってた。だからまあ、お前のおかげでうまく行ってるようなもんさ。だからオレだって気を使ってんだぞ、これでも。」
維心は複雑な表情をした。
「…我は別に何も我慢はしておらぬし、特別なことはしておらぬがな。我こそ、主がツクヨミの件で維月から離れておった時、それは困ったのだ…相談相手がおらぬからの。なんと言っても、主は維月の心のことは一番よく知っておる。なので我が維月のことで悩んでおる時に、主に相談出来ぬのはキツかった。神と人は違うしの。主に教えてもらわねば、ここまでうまくは行っておらぬぞ?我らはお互いに…人の世で言うキブアンドテイクなのだ。」
十六夜はびっくりして維心を見た。
「維心!お前、人の言葉のを覚えたのか!」
維心はフフンと笑った。
「ここへ来てから暇であるから、学校のパソコンでいろいろ学んでおるのだ。主と維月が話しておる時、たまに分からぬ時があるのが気になっていたのでな。そうそう、主らがこの間話しておった、サドとマゾの意味を知ったぞ。あのような意味があるとは…驚いたが。」
十六夜は慌てて手を振った。
「おいおい、あれは冗談だぞ?お前がほんとにサドなんて思ってないからな。」
維心はクックッと笑った。
「良いのよ、当たってなくもない。そうかもしれぬと思うたわ。」
十六夜は呆れたように戸の方へ足を向けた。
「へーへーそうかい。維月にもそう伝えておくよ。」
そして、今度こそ出て行った。
維心は思い立って、また学校の方へ出掛けて行ったのだった。
炎託がふらふらと将維の部屋へ入って来た。将維は驚いて炎託を見た。
「炎託?主、部屋にも帰らず何をしておったのよ。まさかまだ図書室かと、見に行ったが居らぬし、昨夜は心配したぞ。」
炎託は重苦しい顔で頷いた。
「パソコンは確かに面白かったが、ゲームならもっと面白いものがあると、あの若い軍神達に誘われての。奴らの房で、家庭用ゲーム機とかいうので、RPGとかいうのを試しておった。これがまた面白うての…一晩と半日掛かって攻略した。」
将維はびっくりした。そんなことをしておったのか。
「…と言うて…何を浮かぬ顔をしておるのよ。一晩や二晩寝ずとも、平気であろうが。気も全く減っておらんしの。」
炎託は将維の部屋の椅子に力なく座った。
「体が辛いのではないわ。精神的につらいのよ。」と将維をじっと見た。「人とはほんに知恵の回るものよ。そのゲームというのがまた、先を知りたくなるような進み方をするものでなあ。我はある国の王という設定で、近隣の国からひとつ、友好関係を築く国を選べと言われるのよ。条件やらなんやらと見せられて、我は一つの国を友好国にしようと決めた。それでの、いろいろとその国と関わって行くのよ…そこの大臣やら、皇子やら、王やらと仲良くなって共に戦ったりしたのう…」何やら思い出しているようだ。「いろいろと話しもして、仲良うなったのよ。問題も共に片付けた。それであるのにある日、あっちの王族の一人が裏切りおった…隣国にたぶらかされおって、我が国を共に攻め落とそうと、軍を動かしおって。親善のフリをして入り込んだ刺客に、我の妹のリリアが殺されてしもうて…!」
将維は拳を握りしめる炎託に、退いた。妹は華鈴であろう。リリアとは誰だ。
そんな将維には構わず、炎託は続けた。
「我を庇ぼうての。責めるか否かの決断で、もうそこまで軍は来ておるし、我はその親善大使を斬り殺し、一気に攻め入って、王宮で今までの仲間であった王達や大臣を倒してしもうたわ。その足でたぶらかされた隣国も攻め入った。そこで倒したはずの、かつての仲間の王が居ったのだ。あやつは最初から我が国を狙っておったのだ。」炎託はため息を付いた。「…全てはそれを気取れず、最初に友好国にしようとあの国を我が選んだのが悪かったのだろうがな。我はそれで、精神的に疲れてしもうて…リリアは実にかわいい妹であったのに。」
将維は複雑な表情をした。そのゲームは知っているが…どっぷりはまっておるではないか。
「炎託…現実に帰って来い。それは人の作った話よ。選択肢によっていろいろな結末が待っておるのは我も知っておるし、確かによく出来ておるが、おとぎ話というものであるゆえ。」
炎託はハッとした顔をした。
「おお、確かにの。将維、あの世界はやり直しがきくのよ。またやればよいだけであるわ。」
と立ち上がり掛けた炎託を、将維は止めた。
「おい、炎託!主は凝るタイプであったのだな。わかった、そんなに気に入ったのなら、良いエンディングの本が出ておるゆえ、それを教えてやろうぞ。なのでもう、ゲームはよせ。それを読んで気をおさめよ。」
炎託は残念そうな顔をしたが、頷いた。
「確かにの…ずっと画面を見ておったら疲れてしもうた。しかしあの動く絵はきれいであるなあ、まるで本物のようであるわ。」
将維はホッとした。炎託は凝り性であるが、あっさりしているようだ。あまり長く月の宮におったら、今度は何を見つけるかわからぬな…。
将維はため息をついた。ともかく、炎託の落ち着き先に、月の宮の推薦は止めておこう。
炎託はまた、ぶらぶらと出て行った。
炎託は実は、悩んでいた。早く身の振り方を考えなければならないが、選択肢は多くない…元は王族であった自分が一人、生き残っているのも稀なことなのに、行き場など前例がなくて考えることが出来ない。父はもう、龍になっているので、龍王の臣下になっていてもおかしくないが、自分は鳥なのだ。
やはり、箔炎の所へ行くしかないのだろうか…。
だが、箔炎の所へ行く気にはなれなかった。鷹族とは確かに同じ種族から分化したが、それでも向こうは鳥などなんとも思っていないのだ。そんな面倒事を抱え込んでくれるとも思えない。
そんな不安を紛らわせるために、月の宮は絶好の場所だった。目新しいものがたくさんあって、自分の境遇など考えている暇もない。他に何かないか…。炎託は、思わず知らず訓練場の方へ向かっていた。
訓練場では、義心と蒼が汗を拭きながら何か話していた。炎託に気付くと、蒼が手を振って呼んで来る。炎託はそちらへ寄って行った。
蒼は、笑顔で炎託を迎えた。
「炎託、ゲームにハマってるんだって?さっき龍の若い軍神達が教えてくれたよ。だけど、そこそこにしておいた方がいいぞ。初めてやると、面白いかもしれないけど…神には現実世界の方がよっぽど大変なんだから。」
炎託は苦笑した。確かにそうだ。
「我は別に、あればかりしたいと思っておるのではないので。確かに、現実のほうがややこしいものよの。」
蒼はその言葉を聞いて、義心と顔を合わせた。
「では、我と一試合どうでありまするか?憂さ事など、体を動かすことでしばし忘れてしもうたらよろしいのですよ。」
炎託は恨めしげに義心を見た。
「…我が主に敵うと思うてか。」
義心はフッと笑った。
「指導用の打ち合いを致しましょうぞ。腕は少しずつ上げて行けばよろしいのです。将維様との立ち合いは見ておりましたが、筋はよろしいのですから。まだお若いのですし、これからでございまする。」
「これを使うといい。」蒼は自分が手にしていた木製の棒を放って寄越した。「スカッとするぞ。オレは最近武術を始めたばかりなんで、ほんとに初心者なんだけど。」
炎託は渋々その棒を手に取ると、義心相手に打ち合い出した。




