本心
次の日、維月は、瑞姫と共に学校の談話室に居た。瑞姫は蒼と瑶姫の間に出来た娘で、瑶姫にも似ていたが維月にもよく似ていた。両親の離婚には少なからずショックを受けて落ち込んでいたが、最近は明るく戻って来ていた。
その瑞姫は、維月に恋の話を聞きたがった。神の世の姫と違い、人の世も知って育った瑞季姫にとって、恋とは憧れのものであるらしかった。まして、年の近い紫月が恋を成就させて早々と結婚したこともあり、さらにその憧れは強くなったようだ。今は授業中で、この談話室にも人影はない。瑞姫は目を輝かせて維月に言った。
「おばあ様、本日はお父様にも邪魔はされませぬわ。こちらへ参られる事は滅多にございませぬから。どうぞこの間の続きをお聞かせくださいませ。」
維月は苦笑した。自分も恋とは無縁で生きていた。なので経験豊富な訳ではない。本当に十六夜と、維心様しか愛した事はないのだ。維月は言った。
「そうね…でも本当に私はあまり恋のことはわからないの。物心ついた時から十六夜が話し掛けて来て、そして何でも相談してね…幼稚園の発表会とかも、両親に見せるより十六夜のために頑張ったものよ。夜になって話せるのが待ち遠しくて、誉めてもらえるのが嬉しくてね。人の男など目にも入らなかった…だって、十六夜のために生きてたようなものだったから。十六夜に手を引かれて来たのよ。本当に何もかもね。それが恋だと知ったのは、中学の時にクラスの男子に告白された時。十六夜が心に浮かんだの…そして、絶望したわ。」
瑞姫は驚いた顔をした。
「絶望?好きなかたが出来たのに?」
維月は頷いた。
「だって、私は人だったのよ。遠く離れた月を愛して、成就すると思う?…つらくて悲しくて、その日は十六夜がいくら話し掛けて来ても泣いてばかりいたわ…十六夜は光の玉になって初めて傍まで降りて来てくれたわね。その光に包まれて眠ったのを覚えているわ。あの時、私は十六夜を死ぬまで愛そうと決めたの。そして、高校生の時に十六夜に結婚してって頼んだの。」
瑞姫はまた仰天した。殿方に自分から?!
「まあ!おばあ様…すごくお強くていらっしゃるわ…そのようなこと、女の方から…。」
維月は笑った。
「何でも言える仲だったもの。でも十六夜は、真面目に答えてくれたわ。もしも私が月になるか、十六夜が地上に降りられたら、結婚しようって。その時はあるはずのない事だとわかっていたのよ。でも、その心だけで充分だった。だから私は、私が死んだ後も十六夜が一人にならないように、子供を産む事を決心したのよ。それも一人じゃなく、何人もね。そうすれば十六夜は、寂しくないと思ったから…。」
瑞姫は、その強さに感心した。愛するかたのために、他の殿方の子を産むなんて。それがこの、祖母の気を作る強さなのだろう。
「でもね、つらかったわ。」維月は続けた。「どんなに愛しても遠くて。愛してると言えなかった…お互いにつらいだけだから。私は人で、しかも寿命の短い家系だったから…早く逝きたかったわ。なので、闇と戦うのも怖くなかったの。死んで終わりにしたかった…どうせ叶わないことなら。」
瑞姫はその頃の二人の、悲しい愛情を思うと胸が痛くなった。不死の十六夜もどれほどつらかっただろう…この祖母の寿命が来ることに怯え、祖母はつらさから死に急ごうと戦い続ける。距離は縮まらず、祖母はついに死んで…。
「…死んだ時は、実は後悔したのよ。」維月はフフっと笑った。「向こうから見ると、十六夜は私を呼んでばかり…ただ泣いて悲しんで、苦しんで。その声が聞こえるのよ…あまりに深い気持ちだから…。私も苦しくて。だから維心様が黄泉帰りをなさって呼んだ時、一刻も早くと急いで…あんまり慌てたから、むせ返って維心様に呆れられてね。だから、維心様との第一印象は最悪なのよ?」
瑞姫は身を乗り出した。あまりに間近に来たので維月はびっくりした。
「龍王様との事がお聞きしたいのですわ。そんな最悪な第一印象から、どうしてあのように深く愛されるようにおなりなのか。」
維月は困ったように眉を寄せて首を傾げた。
「それが皆目見当もつかないの。」本当に分からないようで、うんうん唸っている。「愛情を疑う訳ではないけれど、どこをそんなにお気に入ってくださるのか、未だにハッキリとは…なので、維心様のお心は維心様に聞いたほうがいいわ。」
瑞姫は、本当にそこが知りたかったようだ。残念そうだったが、維月を見てめげずに言った。
「では、おばあ様からは?お聞かせくださいませ。我はおばあ様と龍王様のように、いつまでも仲睦まじく居る夫婦になるのが夢であるのです。なので、どうすればそこまで愛されるのか、知りたくて仕方がありませんの。参考になるかもですわ。」
維月は肩をすくめた。
「参考になるかは分からないけど。維心様はね、私の月の命が安定するように、助けてくださった時から意識するようになったのよ。あちらはどうか分からないけど…でも、本当に私の好みのど真ん中に入る容姿でいらしてね。まさに理想が着物を着て歩いているような。」維月はフフと照れ隠しに笑った。「最初は見とれてしまったわ…でも、いけないと思って。十六夜が夫だったし、好きとかの感情は起きないように考えないようにしていたのよ。自分がつらくなるだけなんだもの。」
瑞姫はなんだか、ドキドキした。確かに龍王様は端正なお顔立ちで、不機嫌そうな時でも何とも言えない美しさを感じる。威厳がにじみ出ていて…十六夜も美しい顔立ちだが、あんな重みはないので、タイプは違う。
「…でも、維心様の方からお子を生んで欲しいと言われたと聞きました。なので、きっとその頃にはおばあ様を思ってらしたのですわね。」
維月は頬杖を付いた。
「そうなのよ…維心様はそうおっしゃるのだけど、余計にわからないの。あの時までに、そんな愛されるようなやり取りはなかったと思うのよね。」とため息を付いた。「いきなり寝台の上から始まった関係だから、私も最初は緊張してしまって。でも、知らなかった気質や、考え方を知るにつれて、どんどん惹かれてしまって…そんな気持ちは初めてだったから、戸惑ったわ。変な所を見られたら恥ずかしいからおとなしくしよう、とか、維心様に嫌われないように皆の話し方に合わせよう、とか、とにかく一生懸命だった。維心様が維月と呼んでこちらに来られたら、そのお姿にキャーキャー言いたくなるのを抑えるのに苦労したわ…何しろあんなに凛々しいのだもの。そのうちにただの憧れでなく、本当に愛してしまったのを知って…十六夜との間でそれは悩んだわ。十六夜も愛してるんだもの。でもね、十六夜には不動の身内に対する愛情みたいなのを感じるわね。維心様は、初めて男性として愛したかたね。本当に愛しているわよ…今でも変わらず。他の神なんて目に入らないわ。だって、誰よりも凛々しいでしょ?フフ。」
維月はなんだか、得意そうだった。結婚して50年以上…深く愛しているのだ。左手の結婚指輪を、愛おしそうに触れている。瑞姫は羨ましかった。
「ああ…我もおばあ様のように、いつまでも愛し愛されて、共に居られるかたが現れて欲しいですわ。どうすれば出逢えるのでしょう…。」
瑞姫はため息を付いた。維月はそんな瑞姫の頬に触れた。
「ねえ瑞姫…運命なら、何もしなくても出逢えるわ。そうなって行くのよ、回りがね。私は人だった。でも、運命に導かれて月になり、十六夜と維心様に出逢った。別に努力はしてないわ。やるべき事をしていただけ。自分の責務に忠実に居たら、運命は動くのよ。焦らないで…あなたにはまだまだ時間があるのだから。」
瑞姫は維月の目を見返して頷いた。
「はい…おばあ様。」
蒼は困っていた。維心に、入った事のないこの学校の建物を見せてくれと言われ、そこに母の気を見付けて来てみたら…瑞姫と維月が話していたのだ。維心は蒼に黙るように仕草で示し、気配を消した。蒼も仕方なく気配を消したが、母は瑞姫に乞われるまま、思った以上にたくさんの事を話していた。…きっと、維心様が居ると知ったら絶対に言わなかった事なのに。
これ以上何か言わない間に、姿を現したほうがいいのではと思っていたら、瑞姫が顔を上げて維月を見た。そして言った。
「でも、おばあ様。そう簡単に王と逢うなんてありませんわ。神の会合にでも行かない限り。」
維月はあら、という顔をした。
「王?瑞姫は王と結婚したいの?」
意外な言葉だったようだ。瑞姫はきょとんとした。
「だって龍王様だって王でしょう。しかも最強の王であられて、あんなに大きな宮を持っていらっしゃる。おばあ様もそれで嫁がれたのでしょう?」
維月は長い溜息をついた。
「まあ、瑞姫…私はそんなこと関係ないわよ。むしろ、王でなかったらよかったのにって思う時があるわ。」
瑞姫は驚いた顔をした。
「なぜですの?強いかたであるのに、越したことはないのではありませんか?」
維月は笑った。
「それはそうかもしれないけど、私が殿方を選ぶのに、王であるとかなんとか関係ないわね。私は維心様自身を愛してるの…もし弱くても関係ないわ。私が守るもの、月だし。」と腕を曲げて力こぶを作るフリをした。「私はあの性質とか、とにかく維心様を構成している全てが好き。だから、王の責務をこなされていて、お傍に行ったり出来ない時とか、危ないことをなさる時なんて…ほんとにただの神か人ならよかったって思うの。」
瑞姫は驚いて口に手を当てている。蒼は吹き出しそうになった…母さんらしい。私が守る、なんて。まあ月なんだから、出来るだろうけど。オレ達5人を守っていたんだものな…たった一人、十六夜の力を借りて。
瑞姫が言った。
「…まあ…とても奥が深いですわ…。」
維月はふふふと笑った。
「そうよ、簡単なものではないのよ。肩書きとかにこだわっているようでは、運命の殿方なんかに、出逢えないわよ、瑞姫。自分の身は自分で守るぐらいの気概がないと。ついでに相手も守るんだって気持ちが持てないとね~。まあ私もあのかたでなかったら、守りたいなんて思わないけれど。ふふふ。なんだか今日はのろけてばっかりみたい。駄目だわ、顔が緩んじゃって…シマリのない顔じゃ嫌われてしまうわ。」
維月は両手でビシビシと自分の頬を叩いている。確かにこれでこそ蒼の知っている母だった。こんな姿、絶対に絶対に維心様に見られたくないはずなのに。そっとここを離れる決心をした蒼が、維心の方に合図を送ろうとして目をやると、なんと維心は気配を封じている力を解いた。蒼はびっくりして叫びそうになった。
思った通り、維月がハッとしたようにこちらを見た。
「…誰か居るの?」
仕方なく、蒼は今入って来たばかりのような顔をして、出て行きながら言った。
「母さん?瑞姫と話してたんだ?維心様が学校を見たいとおっしゃるから、案内しようと思って来たんだよ。」
隣に居る維心を見た維月の顔は、見る見る真っ赤になった。
「い、維心様!」と蒼を見た。「…あなたまさか、ずっとそこに居たんじゃ…。」
絶対にものすごく怒られる。蒼は慌てて手を振った。
「母さん、そんなこと…」
「聞いておった」と維心が言った。「我がそのようにした。主はいつも、我にはそのように話してくれぬから…。」
蒼は簡単に白状する維心にドキドキした。オレも同罪で裁かれるんですけど…。いくら嘘が付けないって言っても、黙っていたほうがいい事もあるのに。
瑞姫は呆然としている。まさかこんな所に来るなどとは思ってもいなかったのだろう。確かに普段だったらこんな所には来ないのだから。維月はあんまりにも恥ずかしかったらしく、維心が手を差し出すのを見てクルリと窓の方を向いて、背を向けてしまった。
ああ怒った…蒼は思った。立ち聞きならまだしも、盗み聞きだもんなあ。
だが、維月は怒ってはいなかった。それよりもただ一番聞かれたくなかったかたにそれを聞かれたことが恥ずかしかった…まだこんなことを言っているのかと呆れられたと思うと、悲しくなって涙も浮かんで来る。それを知ってか知らずか、維心が歩み寄って、その背を抱いた。
「なぜに背を向けるのだ、維月。我を愛しておると言うてくれておったではないか…こちらを見よ。」
維月は急いで顔を袖で隠した。血が上って真っ赤になってるような気がする。
「お許しくださいませ、維心様。私、ご無礼を申しました。失礼を。」
維月はサッと身を翻すと、談話室を出て走って逃げた。もう無理。恥ずかしくって限界!とにかく逃げよう。その後のことは、後で考える!
「維月!」
維心は維月を追って出て行った。取り残された蒼は、困って瑞姫に言い訳するのが大変だった…。
一方維月は、今度ばかりは追い付かれてはと思ったので、宮の外へ飛んだ。学校からはすぐ前が外になる。そして、宮の傍の森にある、湖の方へと抜けて行った…よくここへ来たら、散歩コースにしてる所だ。ただ、今はそれどころではなかった。
湖の畔について後ろを振り返ったが、維心が追って来ている様子はない。蒼が止めてくれたのかも…。維月はホッとして、いつも腰掛ける岩の方へ歩いた。
「…いつもここへ来るのか?」
維心の声がした。維月は驚いて上を見た…維心が上に浮いていた。
「きゃー!」
維月は思わず叫んだ。上に居るなんて思わなかったのだ。維心は地上へ降りると、維月を引き寄せた。
「我から逃げられる訳はなかろう。そもそも、なぜに逃げるのよ…維月。無礼とはなんだ。我は、主が人の言葉で我のことを話すのを、初めて聞いた。あれが主の心であろう?何も無礼なことはないであろう。我を愛しておるのであろう?」と維月の顔を上に向かせた。「こちらを見よ。そうであろう?」
維月は維心があまりに必死な表情なので、驚いた。
「だって…人の言葉で言うと俗な感じに聞こえるでしょう?王であられるのに、軽い感じに聞こえてしまうし。私…ほんとにお恥ずかしいです。」
維心は真剣な顔で首を振った。
「そのような。我は人の言葉も解するのだぞ。俗ななどとは思っておらぬ。それよりも、我を、本当にあのように愛しておるのか、維月…?あれは偽りではないか?」
維月は、そっち?と驚いて維心を見た。
「偽りなど申しませぬ。瑞姫は私の孫に当たる子。嘘を教えてなんになりますでしょう。」
維月が少し憮然としてそう答えると、維心がいきなりふるふると小刻みに震えた。維月はびっくりして維心の頬を両手で包んだ。
「維心様…?どうなさったの?」
恥ずかしかったことは忘れてしまっている。維心は維月を抱き締めた。
「維月…なぜに我にもっと早ようああ言ってはくれなんだのよ。我は、主の本当の気持ちを、飾り気のない主自身の言葉で聞いてみたいと思っておった。それこそが本心であるからだ。主が我を語ってくれて、我は嬉しかった。」と両手で維月の顔を挟んだ。「おお維月…我とて主が月でなくとも愛しておったぞ。しかし第一印象が最悪だなどと申すな。我なりに良い印象はあったのだぞ。十六夜が居ったゆえ何も言わなんだが。」
維月はまた思い出して赤くなった。ほとんど全部聞いてらしたのではないの!
「い、維心様…私、やはりお部屋へ帰りまする。」
維心はがっつり維月を抱き締めた。
「帰るなどと申すな。十六夜が、明日まで主をこの手に抱かせてくれぬのよ…今手放したら明日まで触れることも出来ぬ。我はこれほど主に今愛情を感じておるというのに。」と少し身を離して維月を見た。「我を見よ。良く分からぬが、主はこの姿を好ましく思うてくれておるのであろう?」
維月は自分をじっと見つめる維心を見返した。端正な顔立ちに、深い青い目、通った鼻筋に引き締まった薄い唇…。昔から変わらない。改めて見つめられると、維月はどきどきしてポッと頬を染めた。維心はそれを見て思った…昔、こんな反応を見たことがある。他の女が我をこんな風に見たことが何回かあった。あの時はなんなのかわからなかったが、そうか、そうだったのか。維心は維月に両手を広げて見せた。
「維月…主の夫であるぞ?遠慮は要らぬ…来るが良い。」
維月はおずおずとこちらへ寄って来たかと思うと、維心に抱きついた。維心はそれを抱き留めて、満足げに笑って言った。
「よしよし、素直で良い…我も主を愛しておるぞ。」と維月に口付けた。「僅かばかりでも共に過ごそうぞ、維月。明日まで我慢出来ぬわ。主もであろう?」
維心は維月をサッと抱き上げると、薄く気を遮断する膜を張った。そして、そのまま、湖の畔の東屋へと飛んで行ったのだった。




