表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/6

最終話

 バタバタとした数日間が終わり、私は自分の部屋でゴロンと横になっていた。

 パパは国葬でもって弔われた。パパの葬儀の間も私の心は平穏だった。兄の姿を見て、私の浮足立った心も地に足が着いたが、かといって悲しみが時間差で訪れることもなかった。パパの死は、私の横を通り過ぎて行ってしまった。

 兄は正式に天皇となった。あのフランス人女性は兄の恋人ではなかったのだという。思いを伝えていなかった兄が、飛行機に乗る直前、土壇場で思い直してその場を飛び出しフランスに向かい、思いを伝えて玉砕して帰って来た、ということだった。きっと自分の事でいっぱいいっぱいの兄が、相手の気持ちもムードも考えずに一方的に伝え、フラれたのだろう。実に兄らしい。あの写真は同じ研究所に所属する女性と一緒に歩いているところをただ撮られただけ。そんなものを私は早合点し、パパの死を悲しみ損ねてしまったのだ。

 気が付いたことが二つある。

 一つ目は、私はこういう人間なのだということ。長谷川の夢もろくに応援できず、兄の実績も素直に褒めることができず、パパの死も悲しむことができない。ピンチになったら一目散に逃げ出し、私を心配してくれていた璃子をも目の敵にする。どこまでも自分本位で他人のことは顧みない。そんな風に、自己嫌悪に陥ることもなく、投げやりになることもなく、冷静に自分を分析していた。きっと私は本質的にこういう人間で、これからも変わらないのだろう。そう考えると気持ちが楽になるような気がした。

 もう一つは、私の皇族としての価値についてだ。兄が次期天皇になることが正式に決まると、女系天皇を認める法案についての議論はあっさりと見送られることになった。兄が結婚した後、男子が生まれてこなかったときにまた考えればいいか、ということだ。あまりにもあっさりと見送られたため、少し悲しくなってしまった。結局みんなが必要としているのは兄なのだ。男子なのだ。私は二分の一の確率で生まれてくるハズレの方、そう言われているような気がした。私が四年間考え続けてきたこととは一体何だったのだろうか。

 あまりにも都合よく私という存在を使われているような気がした。結局のところ、私の身には何も起きていない。それなのにあそこまで取り乱した自分が惨めではないか。こんな思いをしてまで、ここに残り続ける理由とは一体何なのだろうか。そんな疑問は、芽生えるとすぐに成長し、果実が実るとすぐにそれを地に落とした。あっけなく、私は皇室を出ることを決意した。

 長谷川に「結婚しようよ」とメッセージを送った。一週間程無視していた割にはすぐに「いいよ、いつ?」と返信が来る。「次の私の誕生日」と送ると「本当にいいんだな?」と来たので「うん。いいの」と送った。「わかった。親に言うわ」長谷川からそう返信が来ると、私もママの部屋に向かった。

 ママの部屋を二回軽くノックすると、パタパタという足音が聞こえてきた。ガチャっと開くと、老眼鏡を掛けたママが「あら、どうしたの?」と言ったので、「今いい?」と私が言う。「いいわよ」とママ。ママは椅子に、私はベッドに腰を掛ける。

「ママ、手大丈夫?」

 と私は自分が思い切り引っ叩いてしまったママの右手を見ながら言った。

「大丈夫よ。痛かったけど」とママ。

「ごめんね」と私。

「いいの。怖い思いをさせちゃってごめんね」

 ママはそう言って、老眼鏡をテーブルに置いた。テーブルには書類が散らばっていた。

「今、忙しかった?」と私。

「ちょうど忙しくなくなったところ」とママは少し笑い、

「舞子、何かを言いに来たんじゃないの?」

 と続けた。ママはこれから私が言うことが分かっている、そんな気がした。

「ママが前に何でも言ってちょうだいって私に言ったの覚えてる?」

「もちろん」とママ。

 私は、少し間をおいて、

「私、結婚したい」

 と言った。ママは一瞬だけ驚いた表情をしたが、すぐに笑顔になり、

「長谷川君って子?」

 と言った。私はママが長谷川のことを知っていることに驚いてしまった。

「なんで知ってるの?」

「あなたね、二人で三回もすがわらに行っておいて隠しているつもりだったの?」

 店主からママに話が筒抜けだったようだ。あのジジイ、そう思ったが結果的には話が早く進みそうだ。

 そして私は「ジジイ」に脳内検閲が働いていないことに気が付いた。二重線が現れない。きっと私はすでに皇室の人間でいることをやめてしまっているのだろう。私の中には、もう「舞子様」はいない。

「なんだ、知ってたんだ」

「もちろん」

「いいかな、結婚しても。できれば私の誕生日がいいんだけど」

 私が少し自信なさげにそう言うと、

「もちろん、いいに決まってるじゃない」

 とあっさり認めてくれた。私は少し拍子抜けしてしまった。

「いいの?」

「だって、ダメって言って急に出て行かれても困るし、舞子の事だから、きっと相談じゃなくて報告に来たんでしょ?それにパパとの約束もあるし」

「パパ?パパが関係あるの?」

「そう。ちょっとだけ昔話をしましょうか。聞いてくれる?」

 ママがそう言う。私が頷くと、ママは優しい口調で私の知らない話を語り始めた。


 私がパパと結婚したときはね、もうすでに皇族の数が少なかったの。だから、世間の人はね、私がたくさん男の子を生むことを望んでたの。ほら、女の子はいつか出て行っちゃうかもしれないじゃない?私が最初にお兄ちゃんを生んだときは良かったんだけど、それ以来私は妊娠しずらい体になっちゃってね。世間からすごく叩かれたの。ひどいと思わない?私を子供を産むための機械かなんかだと思ってるのかしら。でも現代の技術ってすごいわね、私が不妊治療を続けてるとあなたを身籠ったの。でも女の子だってことがわかるとまた批判されちゃってね。璃子の時もそうだった。それでパパはすごい怒っちゃったの。舞子も璃子も俺の娘なのになんでそんなこと言われないといけないんだって。二人には何の罪もないじゃないかって。絶対にこの二人は幸せするぞって息巻いてたのよ。それでね、舞子が三歳くらいの時にしばらく入院したほうがいいんじゃないかって話が出たことがあったの。舞子は小さいとき体が弱くてね。でもパパはそれに猛反対したの。三歳で家族から離れて生活させるわけにはいかないって。それでわがまま言って医療機器を全部家に運ばせて、うちで療養することになったの。その時もパパはほとんど舞子から離れなかったの。見てて心配になっちゃうくらいに。あの時は大変だったのよ。璃子もまだ一歳とかだったし。でもそのおかげで舞子の体は良くなって、それからしばらくは元気だったんだけど、ある日、突然舞子が人が変わったみたいに静かになっちゃったの。舞子が十四歳くらいの時だったかしら。学校から帰ってきたら思いつめた表情をしてて、どうしたの?って聞いても生返事ばっかりで。野球に興味ないのに急にイチローさんの動画ばっかり見始めて、どうしちゃったんだろうって私が心配してたらパパが、「そうか、舞子の場合はイチローか、確かにそうかもな」って妙に一人で納得しちゃったの。かと思ったら舞子にイチローさんのバットをプレゼントするって聞かなくなっちゃって。あの人、頑固だから一回決めたら絶対に曲げないのよね。でもサインバットにも色々あるらしくて、実際に試合で使ったものだと、見つかりにくいしとんでもない値段なの。イチローさんって本当にすごいわね。でもパパはそんなことは気にしなくて、実際に業者の人を家に呼びつけては「本当にこれはイチローが試合で実際に使ったやつで間違いないんですよね?」って鬼気迫る表情で何回も確認するの。私も横で見てて冷や冷やしちゃった。あの人、舞子のことになると自分が天皇っていうことを忘れちゃうみたいなの。それでね、バットをプレゼントした後パパが私に言ったの。「もし今後舞子が何かを言ってくることがあったらそれは絶対に拒否しちゃいけない。舞子は俺たちで守るんだ」って。だから、舞子、気にしなくていいの。これは、パパとママの約束でもあるから。


 聞き終えた頃、私は息ができないくらいに泣いていた。


 そして、高校三年生の秋、私は結婚した。


 ※


「それじゃあ教科書四十二ページを開いてください」

 給食終わりの五時間目。ぽかぽかとした夏の陽気にさらされた生徒は半分近くがこっくりこっくりと船を漕いでいる。先生の声は生徒の鼓膜を虚しく揺らすに留まり、脳には届いていない。解放された窓からは柔らかい風が教室に注ぎ込み、揺れるカーテンの波間からは、新緑の大地と等間隔で配置されているロールベールラップサイロが見え隠れしている。

 先生は教室を見渡した。生徒はたったの十六人。その中の目が合った一人の生徒に狙いを定めた。

「吉野、太枠の中読み上げて。全員をたたき起こすくらい大声で」

 吉野は少し不満げな表情を浮かべるが、「はい」と返事をすると、のそっと立ち上がり、

「天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」

 と、気だるげに読み上げた。

「ありがとう」

 先生はそう言うと、吉野が読み上げた内容を一言一句黒板に書きこんでゆく。

「せんせー」

 と声が上がる。先生が振り返ると、吉野が手を上げていた。先生が目線で発言を促すと、

「先生のお兄ちゃんが今の天皇ってほんと?」

 と無邪気に質問した。

「そうよ?だから先生にはため口を遣っちゃだめよ?不敬罪で死刑になっちゃう」

 先生がクスっと笑いながら吉野にそう言うと、

「まじ?ごめんなさい」

 と吉野は謝る。

「冗談。でもお兄ちゃんが天皇なのは本当」

 先生が笑いながらそう言うと、生徒が一人、また一人と起き始め教室がざわざわし始める。

「はい、静かに、この日本国憲法第一条は大事だからみんな覚えるんだよ。特にこの象徴の部分は穴埋めの四択問題で頻出だから。わかった?」


 ※


「ピンポーン」ってインターホンが鳴って、私がびっくりして目を覚ましたら長谷川も今起きたみたいでバチっと目が合っちゃった。あ、って思って急いで目を瞑って寝たふりをしたら「おい」って言われた。それでも私が狸寝入りをしていたら「しょうがないな」って言って長谷川が立ち上がったけれど、急に立ち上がるからベッドがグワングワン上下に揺れて、ちょっとおかしかった。もっとゆっくり立てないの?って思ったけれど、長谷川が荷物の受け取りに行ってくれるみたいだから黙っておくことにした。時間を確認したら午前十一時だった。大学生ってほんとにだらだらしてるんだなーって思ったけれど、怠惰の誘惑にはやっぱり勝てなくて、私は目を閉じた。

 私と長谷川が結婚してから九か月くらいが経って、今は一緒に札幌で暮らしてるけど、北海道の夏ってこんなに過ごしやすいんだってびっくりしてて、なんでみんな札幌来ないんだろうって思うけれどきっと冬がそれ以上に過酷なんだろうなって。三月に北海道大学の入試で来た時もすごく寒くて死んじゃうかと思った。けれど、一面全部真っ白の雪景色にすごく興奮して、今は冬が楽しみで楽しみで仕方ない。でもそれを北海道の人(道産子っていうらしい)に言ったら「今だけだよ」って笑われちゃった。

 北海道大学を受けるって決めたのは長谷川と結婚してからで、その時にはもう共通一次試験まで四か月くらいしかなかったけれど、共通一次試験が終わっていざ蓋を開けてみたら、私はA判定で、長谷川はC判定だった。大丈夫?ってなったけど、何とか二人で合格して、受験勉強がようやく終わると、長谷川との結婚生活がやっと始まった。

 大学に入ってからは毎日が楽しくて頭がおかしくなりそう。サークルも三つ入った。まあ、一つはほとんど行ってないんだけれど。イベントで帰りが遅い日が続くとたまに長谷川が拗ねてるときがあって、それもそれで面白い。北海道大学は道産子の人が四割くらいとそうじゃない(内地とか道外っていうらしい)の人が六割くらいの割合で、色んな出身の人と友達になれてすごく新鮮な感じがする。色んな友達ができて興味深いなって思ったのが、人によって反応が全然違うこと。「私だったら絶対皇室抜けない!」っていう人もいれば「皇室かー私はやだなー」っていう人もいて、「普段の生活ってどんな感じなの?」って興味津々に聞いてくる人もいれば、全くそれについて触れてこない人もいて、前に長谷川が言ってたみたいに人それぞれの捉え方があるんだなって実感した。

「荷物、璃子ちゃんからだよ」

 璃子からの荷物。なんだろうって思って玄関に向かい、袋を開けてみると黒いフォーマルなジャケットと手紙が二枚入ってた。手紙の一枚は、

「This jacket is a little too small to me(このジャケットは私には小さいの)」

 ってリリーの筆跡で書いてあって、もう一枚は、

「This jacket is a little too big to me(このジャケットは私には大きいの)」

 って璃子の筆跡で書いてあった。

 きっとリリーが小柄な璃子をからかったんだと思う。で、リリーと璃子のちょうど間くらいの私に送ってきたわけだ、って合点がいった。袖を通してみたらピッタリだった。

「どう?学校の先生っぽい?」

 って長谷川に聞いてみたら、

「いい感じ。似合うよ」

 って言った。せっかく璃子からもらったんだし、この後の塾講師のバイトの面接はこれを着て行こうって思った。ちょっとだけ気分も上がるしね、こういうのって。

 ご飯食べて、歯磨いて、着替えて、化粧して、髪の毛セットして、履歴書ちゃんと持ったか確認したら、

「行ってくるね」って長谷川に言った。

 私が玄関で靴を履いてたら、すごい緊張してることに気が付いた。もしかしたら受験の時よりも緊張してるかもしれないってくらいに心臓がバックンバックンいってる。だから私は、靴箱に立てかけてあるイチローさんのバットを右手に取った。

 私はずっと、イチローさんを「日本国の象徴」として尊敬してた。けど、やっぱり憧れっていうのは一方的で、主体的なものだから、私が皇室を抜けると同時にそれは終わった。だからと言ってイチローさんへの尊敬が無くなったわけじゃなくて、今度は「小さな努力をコツコツと積み重ねる人」っていう風に変わっていった。きっと、私の人生でイチローさんは、形を変えながらもずっと私の指針であり続けるんだと思う。

 バットを胸元で垂直に掲げる。そしてゆっくりと右腕を横に伸ばした。この状態で右手の手元を見ると、集中力がギュッと凝縮されて、心が研ぎ澄まされる気がする。共通一次試験の時もこれをしたし、二次試験の時もこれをした。今のところ私は人生通算二打数二安打。今日の面接で三打数三安打になるといいなって思う。四千三百六十七安打まではまだまだ遠いけれど、これからの長い人生でイチローさんに追いつけるように頑張りたい、そんな風に私は思う。


ご静読ありがとうございました。

これは私が人生で初めて書いた小説ということもあり、非常に思い入れがある作品になっています。

天皇のこと、日本のこと、色々と考える余地はあるかと思います。実際の皇族の生活はこんなんじゃない、護衛の仕事はこうだ、色々あるかと思います。

小説というものがどれだけ事実に準じていなければならないかというものは非常に難しい問題です。

私自身がこうであると、断言するのもまた違うのかとも思います。

この作品につきましては、あくまでフィクションとしてお楽しみいただけたのであれば、私としても幸甚に存じます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ