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シッケンケン・雪山の恐怖と美しき怪異

遭遇した者を縄で縛り、凍死させる魔物がいるという

帰路を急ぐ男と大雪の山中に現れた美しい女の出逢い

その美しさは冷徹な殺意か、それとも...

極寒の夜に静かに寄り添い合う一夜の怪異譚

雪は、世界をならしてしまう。

山の稜線も、谷の深さも、足元の確かさも、白で塗り潰し、全ての距離が無くなり、同じものに見せてしまう


挿絵(By みてみん)


若い男が異変に気づいた時には既に、足跡も残らないほどの吹雪になっていた

前へ進んでいるのか、同じ場所を回っているのかさえ曖昧だ

何度も通った道なのに、村の方角が判らなくなった


藁沓わらぐつの中に雪の冷たさがしみて足がじわじわと痺れる

息を吸うたびに肺がひりつく。苦しい...

「・・・落ち着け」そう呟いた


挫けそうな心に鞭を打ち、深く積もっていく雪を一歩一歩踏み進めていくと・・・

「あれは?・・・」

雪原に何かが立っている

立ち枯れた木だろうか、と男は思った


それは、女だった

こんな吹雪の山では場違いな白い小袖姿

みのも綿入れ半纏も羽織っていない

そして、素足のようだ

一本の脚で吹雪の中に立っているように見える


風が雪を巻き上げるたび、その姿は揺らぐ。長い黒髪、白い肌。若く、美しい

だがその美しさは、人を迎え入れるためのものではない。雪と同じだ。触れれば凍える。そんな気がした


男は歩み寄り、恐怖を喉の奥に押し込み、声を出す

「通り道を探してるだけだ」


女は動かない

ただ、視線だけが男を外さない


一歩退いた瞬間、雪に足を取られた

転倒する。その拍子に女が初めて動いた


近づく

ふわりふわりと舞うように片脚で

速くはない。迷いを含んだ物腰

擦り切れた縄を握っている手


縄が男の手首に巻かれた

「っ!」

男は歯を食いしばる

「何だこの縛り方は?縛るなら逃げられないくらいにしろ」

震えを隠すための言葉だった


女の指が止まり、結び目がわずかに緩む




吹雪が激しくなる

女は男を岩陰へ導いた

切り立った岩が風を遮り、吹雪はそこで砕ける

白い雪が舞い込み、また吹き飛んで行く


女は男に体を寄せ、支えた。触れ方はぎこちなく、だが離れようともしない


「助ける気なのか? どうする気だ?」


返事はない

女は少し距離を取り、岩肌に背を預けたまま男を見ている

深い湖のような眼差し



夜が来る

寒さと眠気が交互に意識を奪う


意識が落ちかけるたび、女が近づく

冷たい指先が頬や首に触れる。確かめるように同じ場所を何度も


「・・・起きてる。大丈夫だ。起きている」


そう告げると、女は少し身を引く

ためらうような眼差し


男が激しく咳き込み苦しそうに身を丸めると、女は動揺した

覗き込み、胸に耳を当てる。岩陰に二人の呼吸だけが響く


「・・・大丈夫だ。死にはしない」


安堵か、女の肩が落ちる

その拍子に雪が肩口からはらりと崩れ落ちた



夜が深まる

女は膝を抱え背を丸めている。一本足の重心が定まらず岩肌に手をついている。その指先は雪で白くなっていた


「寒いんだな」


女は答えない

だが男の方へ、ほんのわずかだけ身体を傾けた

美しい横顔がすぐそばにある

伏目がちの切れ長の目、長いまつ毛

陶器のように白く滑らかな頬

血管の筋が薄く青く細い首に透けている



夜明け前

吹雪は弱まり、代わりに重たい静けさが岩陰を包む

夜よりも寒い時...

遠くで雪が落ちる重い音がする


男が身じろぎする

女の体が強張る

逃げる、離れる・・・その気配に過剰なほど敏感だ


「逃げると思ってるだろ」

男は声を潜めて言った


「でも、今ここで離れたら、俺は死ぬ・・・あんたもそれは、わかってる」


女は何も返さない。

ただ、男との距離を測り直すように、ほんのわずかに身を寄せた


その縄は・・・強く縛るためのものではない

解こうと思えば解けるように緩く結ばれている


「・・・そうか」

男は息を吐いた。


「独りになるのが怖かったんだな」

それは責める言葉ではなかった

ようやく辿り着いた理解だった


吹雪の夜を 生きている気配を 確かめ合う

誰かと共に こうして居たかったのだろう・・・

どのくらいの長い年月、孤独な時間を過ごしていたのか?・・・


二人は何も言わず肩を寄せ合った

男は服越しに女の肩の肉の薄さを感じた

人の温もりはなく、ひどく冷たい


しかしその冷たさは、男の肌の温もりを奪うものではなかった

岩陰には、二人分の呼吸が重なっていた・・・




吹雪が止み、白く輝く景色に輪郭が戻る


女は縄を解こうとする

指先が、ためらい、そして動く


男は、ゆっくりと立ち上がった

「・・・行く」

短く告げた


男は足元を見る

雪に突き立てていた旅の杖


険しい山道を歩く手足として、

何度も転びそうになりながら頼ってきた一本


男はそれを抜き、女のそばに立てた

差し出すのではなく、並べるように


「寄り添える、もう一本だ」


女は動かない

そして視線が杖に注がれる


女はその杖を指先で触れた

握らない。引き寄せない

ただ、確かめるように触れる


男はそれ以上何も言わず、背を向け足を踏み出した


しばらくして、背後で雪を踏む音がした

一本足ではない

杖に体重を預け、慎重に重心を移す気配


その音が追ってくるものではないと、なぜか確信していた

男は家路へと歩を進める


雪原に女は立っている

一本の足と一本の杖に体重を静かに預けながら


それは歩く姿ではない

誰かを縛る形でもない


寄り添っていた夜を胸に残したまま

独りで在ることを引き受けた姿だった


静かに小雪が舞う

既に遠く離れている

そして振り返って見る

彼女は独りで立っている

立ち枯れてもなお雪に耐える木のように見えた



吹雪の夜はもう過ぎた

想いだけが静かに残っていた



ーーー完ーーー


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