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――囮になるくらいが関の山だが、こればかりは死ねない肉体がありがてえぜ!!
内心そうぼやきながら、オペラカーテンの向こうへとナラクは駆け出す。仮面の剣士は、見込みどおり挑発に乗り、こちらを追ってきてくれた。
――よし、あっさり喰らい付いてきやがった。おれだけが目当てってことなら話が単純だ。
相手が鎧などの重量物を身につけていないおかげで、驚くべき俊敏さなのは想定外だったが。
狭く迷宮のように入り組んだステージ裏の通路を、ナラクは夜目が利くことを武器に、敵を巧みに誘導する。通路の行き止まりへと誘い、分かれ道へと導き、いくつもの扉を開け放って。
今のこの体がかつてほど思いどおりにならず、息が上がるのもあっという間だ。それも織り込み済みで、現状で考え得るもっともマシな目的地点まで敵を誘導していく。
相手が城にどうやって忍び込んだのかは知るよしもない。剣士自身が使節団の誰かとすり替わっていたのか、それとも聖王国側の手引きだったのかも。相手が城にダガー一本しか持ち込めなかったのは幸運と言えようが、そんなものだけでミュゼの防御魔術障壁を打ち破ってみせたということは、つまりは――
――万が一あのダガーがとんでもねえ魔術武具か宝器の類だとしたら、この不死の肉体もさすがにやべえかもな……フフ……。
幸運の女神とされるエフメローゼの庇護下にある聖王国であれば、その手の不死属性無効化の加護が付与されたダガーを保持していたとして不思議ではないのだ。
辿り着いた目的地点――城の武器倉庫の扉を開け放ち、その中へと飛び込む。予想はしていたが、武器倉庫を見張る番兵どころか、扉の鍵さえ外されていた。
たとえ辺境地とはいえ、ここは一領主の居城だ。武器倉庫であれば、さすがに誰かしら武装した人間がいると踏んでいたのだが。なのに番兵をけしかけて敵を押し止めるという頼みの綱が、こうして脆くも断ち切られたわけで。
「……はー、こいつはまいったな、うまく引き付けてやったつもりが、こっちが袋ん中に飛び込んだネズミになっちまった。ここまで用意周到に罠を張りめぐらしていやがったとは、相手を甘く見すぎたか」
無我夢中で飛び込んだ武器倉庫には、四方の壁際に、剣や槍などの武具を立てかけるための棚がずらりと並んでいる。それらを使う憲兵たちのための控室も兼ねているようで、脇には六人がけのテーブルが三つ。やはり、どう見ても無人だ。
ナラクは手ごろな長剣を鞘から引き抜くと、それを手に、どっかと椅子に腰かけて敵を待ち受ける。開け放ったままの入り口の向こう側から、生ぬるくかび臭い風とともに、威圧的な足音が近づいてきていた。
「――それは心外だな、罠をしかけたのはわたしじゃない。これは人払いの術の類だな。リュクテアのひとたちが余計なことをしてくれたんだろう」
こちらが逃走を諦めたと悟ったのか、現れた仮面の剣士が落ち着いた足取りで、この部屋のランプ灯りに照らし出される。
「へえ、まるでてめえが女神教団とは別の思惑で動いてるみたいな言い草じゃねえか」
長い黒髪を揺らせて、唇を不敵につり上げてみせる仮面の剣士。そして扉付近の壁に手を這わせる。すぐに浮かび上がってきたのは、青白い光で編まれた印――つまり、この武器倉庫に最初から仕組まれていた、人払いの術を発動するための魔法印だろう。
探り当てたそれを彼女は解除せず、まだ話を続ける。一対一で決着を付けるつもりらしい。
「悪いけど、彼女らの立場を利用させてもらったんだ。魔王を暗殺する役目は、リュクテアの清き聖女たちが負うには汚すぎる仕事だからね」
「……で、差し詰めその聖女サマが、てめえの代わりに手を汚す役をカネで雇った、って仕組みか。どのみち汚えことに変わりねえじゃねえか」
くくっ――と思わず喉を鳴らせてしまう。ラパロ以外では久しぶりだったのだ。人間なる種族がときおり見せる、こうした薄汚さを。
「ああ、わたしもそう思ってたよ――殺す相手が、あの魔王ナラクデウスでなければ、ね」
そう言うと、仮面の剣士がダガーを抜き――
「もう先月のことさ。ヴェナントの領主が魔王を復活させたって報せが届いたとき、最初は怒りで全身が震えたよ。魔王が生きてる限り、人界と魔界の憎しみあいは永遠に終わらない。魔王のいる世界が存続する限り、〈聖者の紋章〉も〝新たな勇者〟を見そめ続ける。でも、そんな気持ちは最初だけだった――」
――それを何故か、座したナラクのすぐ背後の壁へと投擲した。頬を肉薄する距離を突き抜けたダガーが、木組みの壁面に突き立つ。
「――魔王が……おまえが今も健在だと知って、本音を言えばすごく嬉しいと感じてる自分に気付いたんだ。小躍りしちゃうくらいに」
宙を舞うこの黒髪は、ナラク自身のものだ。
「自分の方がどうかしてるって思った。でも、考えてみれば何もおかしくなんてなかったんだよ。……だって、おまえを倒すためだけに、小さいころから剣を磨いてきたんだよ? そうやって、これまでがむしゃらに生きてきた自分に、今さら嘘なんてついてもしょうがないさ」
そう言うと、仮面の剣士は、手近に置かれていた剣を引き抜いて向ける。
「知らねえし、おれさまたちの仕事の邪魔なんだよ。なにがしてえんだ、貴様は。その剣で対等に決闘ごっこしろってか? 貴様、ここ三年で職にあぶれて没落した騎士かなんかか」
それもよくある話だと、ありきたりだが皮肉らずにはいられない。自分が魔王として君臨していた時代の方が、不思議と輝けていたものたちがいたのも事実なのだから。
「はは……なんだそれ。そこにある鏡で自分の顔をよく見てみなよ。今の世界を見渡しても、おまえほど〝没落した〟って言葉が似合うやつもいないよね」
仮面越しに浮かべたそのあざ笑いが、まるで自嘲めいて聞こえて。
「まったく、ほんとうに冗談じゃない。アイドリア・クラウン? なんなんだよそのザマは? なんなんだ、その格好は? 一体何がどうなったら、あのおまえがそんなワケのわからない喋り方になるんだ? それで人間にでもなったつもりか? 魔王、ナラクデウスよ――!!」
一瞬――――そう、瞬く猶予も許さないほどの一瞬だった。
次にナラクが仮面の剣士の姿を認識できたのは、至近の間合い。振り乱された彼女の黒髪が鼻先をくすぐってきたのを感じたときには、座したこちらの股ぐらがブーツで抑え付けられていた。相手の剣背が、既に肩口を裂いていることを痛みが遅れて知らせてくれる。
「人間にここまでの恨みを買った覚えは――いや、さすがにありすぎて、どいつの件だったかもう思い出せねえな」
ぴちょん、ぴちょん。床へとしたたり落ちる真っ赤な血液。背後のテーブルに突き立った切っ先。傷そのものはまだ浅い。だが、彼女が少しでも剣に力を込めれば、こちらの動脈をいつでも断てる体勢で。
「残念だが、おれさまはどうやって殺そうとも死なねえぜ? 恨むんならアイツを恨みな、みんなイデアリスの〈使徒〉のやつのせいだ。まあ、アイツをよみがえらせた責任まで問われちまったら、おれの言い分なんて微塵にもねえが……」
だがナラクに後悔の念などない。そのようにしか生きられない存在だから。
黙りこくり、彼女はこちらの言葉など耳に入らないかのよう。その仮面の奥にある瞳で、ナラクに何を見出しているのだろう。この期におよんで、ここで何を得ようとしているのだろう。
「殺せなくたってかまわない。死ななくたってかまわない。ただ、おまえを――――たおす。魔王を、この手で倒さなきゃいけないんだ」
その言葉も、途中からは震える喉から絞り出すほどになっていた。何故とどめを刺そうとしないのか、それにも彼女なりの理由があるのだろうか。
「……くそっ……おまえがどんなに弱くなったとしても、人間の振りをしていたとしても……倒さなきゃ……終わらせなきゃ……呪われた因果を断ち切らなきゃ――――この《《ぼく》》が」
まるで涙を堪えているようにさえ見えたのが、錯覚なんかではないのだとしたら。それは悲しみのようなわかりやすいな感情ではなく、それこそ彼女が口にした呪いにも似た何かで。
――呪い、か。
呪いなんて言えば、このナラクデウスもそんな悪夢に追い続けられる生き様だ。
どうしてだろうか。〈使徒〉の手で創り変えられたこの世界はもう、勇者も魔王もなしに歩むことができた。そして、死ぬことができない呪いから救ってくれる歌こそが、ナラクの暗闇に射し込む光だった。だから、自分はずっと今の〝ナラク〟を演じ続けるつもりでいたはずなのに。
なのに、この時ナラクの中で、ふとした気まぐれ起きてしまったのだ。
「――――ユー……フレティカ」
そう、ある種の呪文めいて呟くと、ひっ――と、彼女の喉が悲鳴にも似た音を鳴らした。
「もう思い出したくもなかったが、確か、こんな響きだったな――ユーフレティカ・リュクテア・エクストラ。リュクテア王家の、表舞台に立てなかった末娘の名だ」
「お……まえ……きゅ、急に、なにを、言って…………」
おののく喉が、続きの言葉を躊躇わせる。
「そして、そいつはひとりで勝手に城を飛びだして、剣に生きる道を選び、戦火が過ぎ去ったあともまだ世界中をさまよい続けている――魔王ナラクデウスという敵を求め、今もこうして」
「や……めろ……」
もはや、この剣を振り下ろすことすらできなくて。何かを恐れ足掻こうとしても、ここまで知られてはもう取り返しがつかないのをわかっていたのだ。
「そこまでしておれという呪いを断ち切りたいんなら、いいだろう、おとなしく貴様の言いなりになってやる。代わりに、顔くらいは見せてもらうぞ――」
戯れのつもりで、彼女の仮面に触れる。
「――三年ぶりの対決なんだ、それくらい必要だろ?」
きっと抵抗されるだろうと踏んでいたので、無言で応じた彼女にナラクも面喰らって。ただ、仮面を外そうにも、いかなる仕組みで顔に固着しているのやら、一向に外れてくれない。
そんな無様さに呆れたのだろうか、彼女の指先がナラクに手にそっと添えられる。
おっ、と素っ頓狂な声を上げてしまったナラクの前で、剣士の仮面が外れた。外れた――というよりは、掻き消えてしまったと表現できようか。
それどころか、さっきまで漆黒の艶を返していたはずの髪の毛が、いま目の前で白銀の煌めきを放っている。あの仮面には、装備者の姿を偽るための幻術が仕組まれていたのだろう。
ユーフレティカ――ナラクがそう呼んだ背の高い娘は、仮面で素顔を覆い隠していた時よりもずっと幼い顔立ちをしていた。
特に、活発な少年のそれを思わせる大粒の瞳だ。今は涙に濡れそぼった瞳。その葡萄酒色すらどんな魔工石よりも鮮やかで、とにかく美しく凛々しい娘であることなど、ナラクも元より知っていた。
そして、彼女が一番ひた隠しにしたかった秘密――大きく開かれたその額に刻まれた、神話に生きる古竜を思わせる紋章。それも今さらナラクが驚かされる類の真実でもないが。
「今さらこの名で呼ぶべきかためらうがな――勇者、エクスよ。人間という種族にとって、時の流れとはかくも残酷なものなのだな」
言葉にいかなる感情を込めればいいのか、ナラク自身にもよくわからなかった。だが、こうして自分を追い求めてきたかつての勇者が、面影をこうまで成長させていたとは。
「……どうして、正体がぼくだとわかった。なにもかも、ずっと秘密にして独りで戦ってきたんだ。なのにおまえは、最初からぼくのすべてを見抜いていたみたいな言い方だったじゃないか……」
彼女はまるで糸が途切れてしまったかのように、こちらから体を離すと、目を背ける。
「愚か者め、知恵のないものに魔王が務まると侮っていたか。ああ、見抜いていたとも。酒場に現れた仮面の剣士が《《成長した貴様》》だと、一目してわかったさ」
彼女の戦意はとうに失せていた。テーブルから剣を引き抜くも、茫然として力が入らないのか、手を滑らせ床に転がってしまう。
「だが、我はもう貴様に関わるべきではないと決めていたのでな。ゆえに貴様には、これからも――否、未来永劫に〝ただの仮面の剣士〟のままでいてもらうつもりだったのだ」
そう、ナラクは全てを見抜き、全てを見通していたのだ。その上で、自ら選択した道が結局この結末に行き当たるとは、何たる因果だろうか。
「かかわるべきじゃない!? じゃあ、おまえはぼくから逃げたのか。あのとき倒したぼくにとどめを刺さないでおいて、なのにこのぼくから目を逸らしてきたのか。魔王を名乗って君臨してきたおまえが、この期に及んで何様のつもりだっ――――!」
刃から解放したその代わりなのか、こちらの胸ぐらを掴むと、力任せに立ち上がらせられてしまった。
「……フ、人間ごときには理解できまい。我は奈落の淵に生まれしもの。呪いの因果というなら、呪いこそが我そのもの」
「だからこそ、ぼくは今度こそお前を断ち切ろうと――」
「そして魔王とは――魔界を統べるものとは、あらゆる全てを欺き、あらゆる全てを利用するからこその魔王よ。今のこのナラクデウスも、必要だからこのように演じているに過ぎぬ。それすらも理解できぬ愚か者なら、我がこれ以上なにを人間に語れるという?」
「……ふざけないでくれ。そんな煙に巻くような話なんてどうだっていい。ぼくは、おまえの本心を話せと聞いている! ぼくの正体を知りながら、これまでなんのつもりで勇者エクスと対峙してきた! おまえは……おまえは、このぼくの何を知ってるっていうんだ……」
唐突に何を言い出すのだろう、この人間は。まるで親の胸にでもすがるように、かつて勇者だった少女がナラクを揺さぶってくる。
「――すべてて。そう……貴様のすべてだ、まだ幼く、そして愚かな勇者よ」
この人間に真実を突きつける行為に、さほど意味が見出せないことをナラクも理解していた。だが、それでも今はこうすべきなのだろう。だから、彼女の望むがままに。
「怠惰にして傲慢なる己が兄たちに代わり、貴様が少年として――選ばれし勇者として生きる道を選んだことであれば、二度目に剣を交えたときに知った」
先の大戦時、〈聖者の紋章〉をまんまと手中に収めたのがリュクテア聖王国だ。だが、勇者候補を名乗った王家の男子たちはみな俗物ばかりだったため、誰ひとりとして〈聖者の紋章〉に見そめられなかったのだ。その真実をひた隠しにしてきたのは、王家に代わってリュクテアを実効支配してきた女神教団だった。
そして勇者としての証――選ばれた男子に、聖剣を始めとする聖者の力を与えてきたのが〈聖者の紋章〉に宿る聖者テュテスだ。
「気まぐれな紋章の聖者に愛されるために、貴様は勇敢な男を演じなければならなかったという悲劇も知っていたぞ。貴様の出自など、とうにこの魔王みずから調べつくしていたわ」
ナラクの知る限り、テュテスとは神話世界の存在だ。ひとりの男に取り憑き、寵愛の見返りに己が力を授けるとされる、聖なる乙女の名。その乙女に不運にも見そめられた悲劇こそが、ユーフレティカ・リュクテア・エクストラがこれまで男として生きざるを得なかった呪いの正体だった。
「すべては、我が仇敵エクスを手のひらの上で踊らせるためだ――これで納得がいったか?」
すべて、包み隠すことない真実だった。
「は、はは……はは。そこまで知っていて、どうしておまえは何も言わなかったんだ。うまく利用すれば、リュクテア王家を陥れてぼくと仲違いさせることだってできたはずだ。聖者の紋章の力を奪うことだって……」
いつまでこのような問答を続けるつもりなのだろう、この人間は。ナラクとしてもいい加減、馬鹿らしくなってきて。かつての魔王を演じるのにも飽き飽きしてしまって。
「……ああ、そうかよ。じゃあ言ってやろうか? 少なくとも三年前の貴様はな、ただ力と正義感だけが取り柄の単細胞――人間どもの言葉で言えば〝ただのガキ〟だったんだよ。だがな、魔王って役割は、魔界の利益を追求するためのもんだ。おれさまみたいな〝オトナ〟にゃ、いちいちまともにガキの相手ばっかしてるヒマはねえんだよ。わかったかよ、ションべんったれのクソガキが」
「なっ――――――!?」
決して皮肉だけではなく、ただ相手を挑発するためだけではない声色で。
それが不思議とミュゼに対してのものと同じになってしまったのに遅れて気付いて。我ながら馬鹿をやったことがおかしくて、自然と笑えてきたのが顔にも出た。
勇者は途端に意欲が失せたように、掴んでいたナラクを突き放した。再び椅子に腰を落としたこちらに向けた背中は、もはや戦意を取り戻せないことを物語っている。
――おっと、そろそろ術が切れる頃合いか。まったく、こいつはこういうとき抜けてやがる。
もう説明するのも面倒になって、ナラクは背を向けていた勇者エクス――今はユーフレティカという剣士の少女を無理やり胸元へと抱き寄せた。
「――――え、ちょっ……――――――わわっ、急になんのつもり?!」
自分の胸元から聞こえた、上ずった悲鳴。あれから見違えるほど大人びてきた体に反して、それがあまりにも女らしくなかったのが愉快で。
「――おお、ようやく助っ人のお出ましか。いい加減、おれも待ちくたびれちまったぜ」
ナラクの声が自分に向けたものでないと察して、扉側を振り向こうとするユーフレティカ。ナラクは強引に抱きしめて、彼女の顔を胸に埋めたままにする。
――いいから察しとけよ、このクソガキが。
さすがにもう彼女の耳にも届いているだろう、迫り来る複数の足音が。
「……あーれれ、はてはて、これはこれは。あぁたくしには、まあったく状況が読めないのですけど、あなた一人なのですか、ナラクぅ?」
領主ラパロ直々のお出ましだ。四人の近衛憲兵を引き連れ、ずかずかと武器倉庫まで入ってきた。




