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きみのねむるまち(プロット)  作者: 大枝 岳
中学時代
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動揺

ヌルい教師が多いと感じていた純と岳であったが、その考えを揺るがす出来事が2年4組に巻き起こる。

 その日、英語担当の大河原おおがわら 美由紀みゆきは、教卓に立つと口元に笑みを浮かべ、ゆっくりと教室全体を眺め回すと持ち前の良く通る声で生徒達へ告げた。


「分かってると思うけど、こないだの小テスト返すわよ。名前呼ばれたら前へ!」


 大河原は二十六歳の若手教師で、自称「財閥」の娘であった。ややふっくらとした肌が健康的な魅力を感じさせ、物怖じせずはっきりと物を言う性格から男子にも女子にも人気のある教師だった。

 月に一度は「この前「も」お見合いを断った」という話を持ち出すことで有名だった。

 岳や他数名のクラスメイトの中学一年時の担任でもある。


「猪名川くん!サボったね?」

「いや……先生、これが俺の全力投球です」

「ふぅん……少年よ、肩を鍛えなさい!はい!次!」


 答案を受け取った生徒達はすぐさま点数を確認し合う。苦々しい表情を浮かべながら岳は純に声を掛けた。


「純君、どうだった?」

「俺?ははは。50点!」

「おー!俺45点!」


 二人は互いの出来の悪さに笑い合う。そこへ佑太が肩を落としながらやって来た。岳が薄笑いを浮かべながら佑太に尋ねた。


「お、ボスが来た。どうだった?」

「じゃーん!20点!」

「さっすが!!」


 三人が笑い合ってると、それを見ていた玲奈が「君達、本当にアホなんだね」と冷ややかに声を掛けた。

 佑太が「玲奈さんはどうなんすか!?」とおどけて尋ねると、玲奈は「95点」の答案用紙を何も言わずに見せつけ、笑いながら自分の席へと戻って行った。


 各々が自分の実力に喜び、落胆した。自慢する者、何事もなかったかのようにすました顔で取り繕う者もいる。

 そんな中、一人の女生徒が大河原の教卓へ向かった。

 どうやら大河原が採点をミスしたようであった。


「ごめんなさいね。そうね、こういう表現の仕方もあるわ。あなた、凄いわね。見落としてた」


 とある受け答えについて「英語で答えよ」との質問で正解とは別回答をした女生徒だったが、英語の答え答え方としては正解だった。大河原は自らの非を認め、答案用紙に丸をつける。

 それを見ていた男子の谷郷たにごうが立ち上がり、大河原に向かって冷やかすように叫んだ。


「先生!それヒイキだよぉ!」


 谷郷につられた徳永とくながも立ち上がり、両手を広げて叫ぶ。


「ヒイキ、ひぃきー!先生さんよぉ!人類は皆、平等だぜー!」


 岳と徳永は一年の頃に大河原のクラスで散々悪ふざけをしていた。二人で漫才コンビを組んでネタ発表と称し、授業を潰した事もあった。岳にいたっては始業式後の自分の「自己紹介」の為に授業を一時間潰してみせた。しかし、大河原は「楽しければよし」として目をつむっていた。

 当然真剣に怒られる時もあったが、それでも徳永も岳も大河原を教師として、また大人として信頼していた。

 岳は徳永をぼんやり眺めながら「こいつ、また怒られるな」と感じていた。

 しかし、この日はいつもと違った。


「座れ」


 大河原は真顔のまま、押し殺すように言った。徳永の表情が一瞬のうちに曇り、そこに影が生まれた。

 返事も出来ないまま二人は着席する。教室の空気が凍りつき、皆が大人による圧力めいたものを肌で感じ始めた。

 純は前中学校に居た国語教師の事を思い出していた。生徒を事あるごとに殴る教師だった。女子には張り手を食らわし、男子を殴り飛ばすと侮蔑の言葉まで投げつけた。その言葉は人格の否定だった。純はその教師に対し「嫌な教師だ」という以外の感情を抱いた事が無かった。そして、今。

 教室に張り詰めたこの緊張感と、大人による圧力の気配を懐かしいとさえ思っていた。しかし、歓迎すべきものではないことを純は誰よりも知っていた。

 大河原が谷郷の前に立つ。


「さっき、何て言った?」

「え……先生、贔屓だよって……」

「谷郷、ちゃんと敬語で言いなさい。何て言った?」

「先生、贔屓だよって……言いました」


 大河原は谷郷に一瞥もくれず、今度は徳永の前に立つ。


「徳永。おまえもそう思った?」

「あの……俺は……すいません。ふざけてました」

「ふざけてた?私はいつも真剣なんだけど」

「はい、あの……先生、ごめんなさい……」


 岳が二人のやり取りを見つめていると、徳永の横顔が震え出した。大河原の怒りは、いつもとは全く違った怒りだった。

 大河原が「キレた」んだ。岳はそう感じていた。


 大河原は教卓に戻る。大きな溜息を一つして、話し出す。


「私が一番嫌いな言葉は「贔屓」です。それをこの二人は、私に言いました。皆も私が贔屓したって、そう思ってんの?」


 どの生徒も何も答えられないまま、俯いている。岳が大河原を見つめていると目が合った。しかし、すぐに大河原の方から視線を外した。

 幼い頃の家庭経験から、岳は大河原には話し合いをする気が無いと読み取った。

 徳永のすすり泣く声が聞こえ始めた。しかし、大河原は続ける。


「分かりました。もうこのクラスで私はあなた達とコミュニケーションを取る事はしません。差別が生まれ、また贔屓だと思われるからです。私はずっと、ずっとずっと平等にあなた達を見てきた。それが私の信念ですから。でも、伝わってなかったみたいです。徳永は一年も一緒にいたのにね。残念です。今後、このクラスの皆さんには極めて平等な形式で授業を行っていこうと思います」


 大河原が言い終わると同時に授業終了のチャイムが鳴り響いた。日直が「起立」と言い全員が椅子を引く。大河原は教材を手早くまとめると「礼」を待たずに教室を出て行った。

 その瞬間、教室は目の前で爆発が巻き起こったかのような騒ぎになった。

 皆が皆、口々に大河原を批難し始める。

「大事件大事件!」と叫びながら教室を飛び出す者もいる。


 千代が慌てながら玲奈の元へ向かう。玲奈は冷静そのものだった。


「ヤバイよ!どうしよう、大河原、絶対キレてたよね!?」

「てかさ、ババアが生徒相手にヒス起こしてんじゃねーよ」

「ヒスってたのかなぁ……」

「ババア、欲求不満なんじゃね?」

「え!?どういう事?」

「ババアはセックスしないとイライラするって事」

「やぁだー!」


 千代の大声のリアクションを耳に挟みながら岳が徳永の元へ向かう。既に数名の生徒が徳永を取り囲んでいた。その中に茜もいた。

 茜が徳永を慰めている。


「徳永悪くないよ。だってあんな風にキレるのおかしいじゃん!大人のやる事じゃないよ」


 徳永は責任を感じているのか、泣き止む様子は無く首を横に振り続けた。

 四時限目の他クラスでの英語の授業が終わり次第、大河原に有志数名で謝罪しに行こうという話しになり、徳永、谷郷、岳、他三名で授業を終えた大河原の元へ向かった。

 岳は徳永に声を掛けた。


「なぁ。大河原先生とはずっと仲良くやれてたじゃん?」

「うん。俺、また先生と仲良くなりたいんだよ。ちゃんと謝りたい」

「でもさ、謝るのって何か違くね?って思うんだけど。話し合い出来ないんかな」

「いや、言っちゃいけない事言った俺が悪いよ。とにかく、早く謝りたい」

「それでまた戻れるんならいいけどさ……」


 岳は謝っても何も解決しないだろうという不安を抱いていた。大河原にはきっともう、何を言っても取り合ってもらえないだろうと。

 しかし、徳永の真剣な想いに大河原が考え直してくれる可能性に他力本願で微かな望みを賭けたのだ。


 有志六人が教室の前へ来ると、それに気付いた大河原が入り口へ向かって歩いてきた。

 徳永は姿勢を正した。大河原は腕を組んで徳永の前へ立った。その目は冷め切っているように見えた。


「他のクラスの人達が、私に何の用ですか?」


 何も言わず、徳永と谷郷が頭を下げた。そして徳永が再び泣き出しながら、大河原に言った。


「先生、本当にごめんなさい!俺達が何も考えなしに、ふざけて先生を傷つけてしまって、本当すいませんでした!前みたいに、俺達に普通の授業をして下さい!俺は、いつもの先生が好きです。お願いします!」


 岳を始め、他の者も頭を下げる。しかし、大河原は腕を組んだまま微動だにしなかった。


「私は平等に授業を行いたいの。だからあなた達のクラスに対しては今までと違う方法を取るしかないの。分かったなら戻りなさい」

「先生!本当お願いします!」


 徳永は謝り続けたが大河原はそれを無視し、教室の中へと戻って行った。そしてすぐに、数名の女生徒と楽し気な笑みを浮かべ、話し始めた。


 2年4組の有志達は自分達の非力さに落胆し、肩を落として教室へ戻った。

 徳永と谷郷は他の有志達に「何も出来なくてごめん」と泣きながら謝罪した。

 岳は一年の頃の楽しかった大河原との授業風景を思い出していた。

 徳永が授業中に冗談を言う。大河原に怒られるとさらに徳永は冗談でそれを返す。思わず笑う大河原。そんないつもの授業風景を思い出していた。


 すると、岳は胸の底から怒りが湧き上がって来るのを感じた。


「大人が大人の理由をこじつけてぶつけてくるなら、子供には子供なりの理由があるという事をぶつけてやろうじゃないか。何が平等だ。贔屓だ。ふざけやがって。話し合いをしない時点で平等なんかない。圧力をぶっ壊してやる。徹底的に対抗してやる」


 岳は平等の中にいる事の放棄、そして教師の持つ圧力めいた空気に抗う事を意識し始めた。

 後に「変態倶楽部」と称されるメンバーの岳にとっての原動力はそこにあった。


 六月。生温いと感じていた校内の空気が、少しずつ変わっていくのを岳は感じ始めていた。

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