純と岳
放課後。純は部活動の説明を受けて教室に戻ると、そこには帰り支度をしている岳の姿があった。
彼に頭の上で蛍光灯を破裂させられた純であったが…
放課後。剣道部への入部届けを出したばかりの純は、部活動に必要となる防具等の購入手続きや説明を顧問から受け、教室へ戻った。
廊下に出た途端、純は思わず「おぉ」と声を漏らした。
突き刺すようなオレンジが窓を貫いていた。それは激しい西陽だった。若干蒸している校内の空気に、純は早くも夏の気配を感じていた。
教室へ戻ると一人、帰り支度をしている生徒が居る。
その姿は逆光になってしまい、ぼんやりとしたシルエットのみが純の目には映った。
目を凝らすと、それが猪名川だと気付いた。
「あ、どうも」
純は気まずくなるのを恐れ、無意識のうちに声を掛けていた。「あぁ」と言いながら岳は軽く会釈する。岳が微笑んでいるようにも見えたが、蛍光灯の一件が純の頭を過ぎると純は上手く微笑みを返せなかった。
転校して来てから一緒に帰っていた佑太が今日は部活動の為に一緒に帰れない事を思い出すと、純は何となく岳と話してみようかという気持ちになっていった。うろ覚えだったが、純と岳は同じ通学路だったのだ。
純はある提案を思いつき、声を掛けた。
「あのさ、猪名川君だよね?」
純に話し掛けられた岳は
「あぁ。新川君だよね?」
とオウム返しをした。純は少し、はにかみながら伝えた。
「良かったらさ、一緒に帰らん?方向一緒だと思うんさ」
「あぁ、いいよ」
この時、岳は「蛍光灯の事できっとこの後殴られるに違いない」と覚悟を決めていた。
夕陽に染められた木々を見上げながら、二人は無言のまま学校裏手の校門へ向かった。
夜へ向かう風が、季節外れの蒸し暑さを和らげている。
走り込みをしている運動部の生徒達が校門から戻ってくると、数人が擦れ違いざまに岳とハイタッチをした。
純はその様子を横で眺めながら、岳に持っていたイメージを考え直していた。
「猪名川君てさ、もしかしたら自分から友達作らないタイプかい?」
「俺?うん、そうだね。なんか面倒臭いからね」
「実はさ、俺もそうなんさ。話し掛けるの苦手でさ」
「そう、話し掛けるのがダメなんよ。でも話し掛けて来たじゃん、すげーよ」
「いや、気まぐれかな」
岳はいつ殴られるのかと思って気が気では無かったが、純はそう言うと少しはにかんだ。
その様子に僅かばかり緊張を解した岳が、じっと純の目を見た。神妙な面持ちだった。
「新川君さ。あの、この前マジでごめん」
岳の真剣な眼差しを見て、それが蛍光灯の一件だとすぐに気付いたが、純は照れ臭さを覚えた為にはぐらかした。
「何のことだい?いやぁ、分からんけど、俺は大丈夫よ」
「いやいや、蛍光灯の事なんだけどさ。本当、ごめん。怪我無かった?」
「あぁ、あの事ね」
そう言うと純は「はは」と笑った。
「あの日急いで帰らなきゃいけなくてさ、余裕なかったんさ。でも怪我は大丈夫だったよ」
「そうか……怪我なくって良かった、本当ごめん」
「いいよいいよ!でもさ、その夜シャンプーしたら頭からごっそり破片出てきてさ!もうビックリしてさ!」
純は冗談交じりに言ったつもりだったが岳はそれを聞くと目を丸くし、再び「ごめん」と謝った。
その姿を見て、純は心の中にあったはずの怒りの面影をすっかり失くしたのだった。
学校近くの交差点で二人は信号待ちをしている。空と大地が離れている。車道の向こうには広い畑が広がっている。その風景に純は何故か懐かしいような、けれど寂しくなるような気分を覚えた。風が吹くと純には嗅ぎ慣れない類の肥料の匂いが微かに混じっていた。
純はふと、疑問に思っていた事を岳にぶつけた。
「猪名川君さ、この匂いって何なんかさ?普通の肥料より強烈ってかさ」
「あぁー、鶏糞だね」
岳は笑いながら答えたが、純には言葉の意味が分からなかった。
「ケイフン?何だい、それ?」
「鶏のウンコ」
「鶏のウンコかい!」
「そうなんよ。めっちゃ臭いっしょ?」
「牛の方がデカイのに、鶏の方がくせぇんかい!」
純は群馬訛りで大声で言うと、自ら発したその言葉がよほど純のツボに嵌ったのだろう。信号が変わっても純は腹を抱え笑ったまま動かなかった。
岳は調子付いて追い討ちを掛けるように言った。
「ケンタッキーはないけど、もっとパンチ力凄いのがこの街にはあるんよ」
「ははは!」
純は更に手を叩いて笑い続け、岳は「こいつアホみたいに笑うな」と半ば呆れていたが、純を見ていると何故か可笑しくて堪らなくなり、二人は笑い続けた。そして、笑いが収まるとゆっくりと歩き出した。岳が純を向かないまま照れ臭そうに言った。
「あのさ、呼び方「がっちゃん」でいいよ。皆そう呼んでっからさ」
「あぁ。俺も「純」で良いよ。佑太も俺の事、呼び捨てだからさ。「親友だから当たり前じゃん!?」だって」
「ははぁ、佑太らしいね。でも、いきなり呼び捨ては失礼だから「君」はつけるで」
「そうかい?」
その季節にはまだ早い、夏の気配を空気が運んだ帰り道。二人は他愛もない話で盛り上がった。
純と同じく岳も転校生だと言う事。純が感じていた「この学校は「ヌルい」教師が多い」という話。純の藤岡でのデートコースや、初めてキスをした場所の話。複雑故にネタにもなる岳の親の離婚話。純は絵が苦手で岳は数学が苦手という話。血液型が同じという事から互いに面倒臭い事が嫌いと言う話。誕生日が比較的近いという事。アーケードゲームが出来る駄菓子屋のババアが中々死にそうになく、筐体が置いてある癖にゲームをやると「ゲームをやる子は不良」とババアに言われる話。他にもゲームが出来る場所があるという事。駅近くのベイシアは最近出来たという話。男衾駅から池袋までは一本で行けるという話。互いにロックを中心とした音楽が好きだと言う話。
伸びた影が徐々に薄闇に紛れて行くのも忘れ、二人は話し続けた。
そして時を重ね、親友となった。
その後同じ高校へ進学し、新たな友人が出来ても、旧友と集まる機会があっても、互いの存在と言うのはいつでもどこか特別な存在だった。
他の者には決して代わることの出来ない場所に、互いは居た。
それはいつまでも、変わることは無かった。
当時純の感じていた「ヌルい」教師が多いというのは岳も日頃から感じてはいた。
小学生に比べ、最低限の「躾」が必要ないからだろうとは思っていたが、それにしても「大人」というより「友達」という感覚で生徒に接している教師が多いように感じていた。
上川は時折激怒する事もあったが、怒ったとしても「○○が心配したらどうする。○○に迷惑をかけたらどうする」が口癖で、どこか他人事のようだと常々感じていた。
クラスメイトの男子が帰り際にふざけて職員室前の水槽にグッピー用の餌を全量投入し、翌朝見ると熱帯魚が全滅していた事もあったのだが、目くじらを立てる教師は特に居なかった。
学年には分かりやすいステレオタイプの不良がおらず、代わりに目立つ為に不可解な行動を取る生徒が多く見られる学年だから、教師達は手を焼いているのかもしれない。
岳はそう思いながら日々を過ごしていた。
ぬるま湯のような学園生活が卒業まで続くのだろう。誰もがそう思っていた僅か数日後。岳と純を含む2年4組の全員の考え方を揺るがす出来事が起きた。




