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帰り道は善光寺や諏訪大社によって参拝していこう

 さて、今回の全国遊廓対抗戦は開催地の伊勢の優勝で終わった。


 江戸から一緒に来た町民や農民なども下宮内宮の参拝や中には熊野詣なども終わって古市での精進落しなどを楽しんだようだし、伊勢のお土産に品種改良された米や農具などをもらった農民などもいるようだ。


 伊勢の芝居小屋や揚屋の作りなどは、吉原でも参考になりそうだし来たかいはあったな。


「さて、大見世の看板太夫がいつまでもいないのもまずいし、そろそろ江戸に帰らせてもらうぜ」


 そこへ大阪新町の名主が声をかけてきた。


「どこで何を開催するか決定するのは持ち回りということですが来年は大阪新町でやらせてはいただけませんか」


 俺はそれに答える。


「ああ、それはいいんじゃないか、吉原や丸山は集まるのはきついやつも多いだろうけど、大坂なら京や伊勢と変わらんしな」


 伊勢の惣名主もうなずく。


「ふむ、そのほうがいいかもしれんな」


 他の遊廓も賛成したので次は大阪新町での開催となった。


 そうして俺達はそれぞれ帰途についた。


 おかげ参りの人間も結構な数がいるが皆伊勢にきて御札などをえられたことでホッとしてるようだ。


 証拠になるものがえられないと立場がないからな。


 そして去年は東海道を淡々と歩いて帰ったが、今年はちょっと変えようと思う。


「帰り際に善光寺と諏訪大社によって参拝していこう。

 後信濃は温泉も多いしな」


「それはいいでんな」


「善光寺にもいけるのはうれしやすな」


「ああ、むしろそうしてもらえるとありがたいですよ」


 町人たちも否やはないようだ。


 そうなると帰りは中山道を通ることになる。


 中山道は、江戸時代の五街道の一つで、江戸の日本橋と京都の三条大橋をつなぐルートを武蔵・上野・信濃・美濃などの内陸経由で結ぶ街道でそれまでは東山道と呼ばれていた。


 木曽路とも呼ばれる事があり東海道に比べると中山道は六十九次あり、距離も東海道より長く、宿場数がおおいのは、東海道に比べて比較的険しい山道が多いなどで1日の歩行距離が短くなってしまうからであるようだ。


 しかしながら船が許されず川越人足であった大井川、安倍川、尾張の船での航路などでの長期にわたる足止めは比較的少なく、箱根峠など交通難所が多い東海道に比べると安定して歩けるという理由で中山道を選ぶ者も多くいたりする。


 また中山道筋の旅籠の宿代は、東海道よりも安く旅費はさほど変わらなかったりもする。


 善光寺は奈良時代にはもうできている東日本でも最も古い寺院の一つで、飛鳥時代の人物である本田善光(ほんだよしみつ)によって善光寺式阿弥陀三尊が持ち込まれたという。


 最初の宗派は不明で、日本において仏教が諸宗派に分かれる以前からの寺院であることから、宗派の別なく宿願が可能で、女性の救済も含まれている珍しい寺なのだが、平安時代には善光寺は園城寺の天台寺門派に属することになる。


 善光寺平はいわゆる川中島で平安時代末や鎌倉時代末以降の戦国期には合戦場となることも多く何度も焼けているが、鎌倉幕府や室町幕府が積極的に再建を行ったために江戸時代でもちゃんと残ってるのだな。


 で、どの時代からかはわからないのだが善光寺には浄土宗の寺院もできて、天台宗と浄土宗が別々に管理をしている。


 おそらく江戸時代にはいってからだとは思うんだけどな。


 ”遠くとも 一度は参れ 善光寺”ともうたわれて、伊勢参りと同じように江戸時代には善光寺参りも盛んだった。


 まずは近江の大津から琵琶湖沿いを北上して東に向って美濃に入り関ヶ原を通過して中山道の洗馬宿から善光寺西街道を北上して善光寺宿に至りそこで善光寺参りだ。


「善光寺参りもすれば来年はきっと勝てんだろ」


「そうありたいものですなぁ」


 善光寺の参拝を済ませたら洗馬宿まで戻って中山道に戻り、下諏訪宿で諏訪大社下社を参拝しつつ、ここは中山道唯一の温泉宿場でもあるから温泉をのんびり皆で楽しんだ。


「やっぱ温泉はいいもんだな」


「そうですなぁ」


 下諏訪からは甲州街道を通って帰ることにする。


 下諏訪宿から江戸までは甲州街道のほうが北側に大回りする中山道よりは距離が短い。


 ただ、物価が高いことや街道沿線の宿場町などのインフラ整備の遅れが理由で参勤交代などで使う大名は少なかったらしいけどな。


「一度は内藤宿を見ておきたいしな」


 東海道の品川、東山道の板橋、日光街道奥州街道につながる千住のように甲州街道の内藤新宿は関東四宿の一つだ、そしてここはあまり良い噂を聞かないんでな。

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