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子供に対しての躾もちょっとずつしていかないとな

 さて、清花はすくすくと成長していて、もう普通に動き回れるようにもなった。


 妙も大見世の楼主の内儀として無論やるべきことがあるから、そういった場合は乳母さんが清花の面倒を見たりするが、江戸時代はご近所さんで共同を育児したりするので、常に周りには誰かがいて目を配ったり、母親か乳母さんが背中や胸におんぶ紐でくくりつけて、いっしょに外出して、いろいろな光景を見たりもしてる。


 ちょうど今は乳母さんが清花を背負って散歩から戻ってきたところだ。


「只今戻りました」


「とー」


 そして乳母さんの背中から降ろされた清花がとてとてと俺のもとへ歩いてくるので、俺は清花の脇の下に手を入れて抱えあげてやる。


「おうおかえり、清花、たかいぞー」


「たー! あひゃひゃひゃ」


 ちっちゃい子供は高い高いをされると、とっても喜ぶんだよな。


 さて、この時代の育児は基本的にあまり長くはない労働時間と住居が同一だったり接近していたりすることもあって父親も育児に参加することは珍しくない。


 そして子どもに対して行ってはいけない行動に「裏表がある行動・臆病な行動・傲慢な行動」があったりする。


 ちなみにこの時代の人間は儒教や仏教の影響もあってかなり他人の眼や耳や自分たちに対しての評判を気にする。


 なにせ庄屋、名主、家主などの顔役が同席の上、で奉行所や代官所で奉行や代官から犯罪の不心得を聞かされ叱られる叱りという刑罰があって、この時代の人々は公の場所で顔役と共にしかられることは大変な恥と感じ、しばらくの間は世間に顔向けできなかったため結構な犯罪抑止効果があったくらいだ。 


 で子供が泣き叫んだりするのもろくに躾ができない恥ずかしい人間とされてるからまあけっこう育児も大変なのだ。


 そしてこの時代の子育てにおいて最も重視しているのは、幼いうちから「悪い行動」を戒め、人としての「善い行動」を教え続けて行動を躾て、親もまたそれを実践すること。


 年齢が低いからとか関係なくきちんとやって良いこと悪いことを根気よく教え続けるんだな。


 なのでその場限りの嘘で泣き止ませたり、子供が可愛いから、逆に面倒だからなどの理由で子供の問題のある行動を親が見て見ぬふりでそのまま放置するのも駄目であるとされてる。


 それこそ行動や衣食・言葉まで、子供の思うまま・勝手気ままをよしとして、正しい行いを教えないでいると子供は一生を誤るのだから、それは子どもを愛しているといえない。


 子供の好きにさせるのは自分の子に害を与えるのみでこれを「曲愛」というとされてるんだな。


 嘘をついて人をだましたりすることを「知恵がある」と誉めることも同じとされてる。


 このあたりは21世紀の親も見習うべきなきはするんだがそもそも社会が騙したものが勝ちみたいになってるのが問題かもしれん。


 とにかく子どもを養いながらその子供に対して人として正しい道を教えず、また教えてはいても嫌われることを恐れたりなどしてきっちり行わないのは“本当の愛”ではないとされるのだ。


 もっともこの時代はある程度躾をしてもどうやっても駄目だと思ったら子供を捨ててしまうことも多かった気はするけどな。


 例えば気にいらないことがあるからと人を殴ったり物を壊したりしたなどをした場合は、厳しく戒め、二度と同じことをしてはいけないということを教え込むが、このときに頭や尻を叩いての体罰もいけないとされる。


 なぜなら体罰を避けるために嘘をつくようになっていくことが多いからだそうだ。


 とりあえず良い行動をしたらおおいに誉め、人道に反する悪い行いは徹底的に戒めることを繰り返して、それが行動の基準として身についていくとされてるのだな。


 ちなみにこの江戸時代では、子どもが駄目なことをやってしまった時は、祖父母や近所の老人などが子どもと一緒に謝ってくれる「あやまり役」という慣習もあるので、親や子どもにとってもある程度の“逃げ道”が用意されていたりもする。


 第三者が介入することでやりすぎを防止することもできたわけだし、親が子供にたいして感情のままに怒るということに対しての防止策にもなるわけだ。


 根本には親は子供の手本となる尊敬できる人物であるべきという考えがあるわけで親自身がまずは、世間に恥じることのないただしい存在であるべきで、その上で子供にも正しい道を示し叱り諭していくのが大事という風に思われてるのだな。


「さ、清花、おっぱいですよ」


「あーい」


 清花はまだまだ母乳による栄養補給も多く行ってるけど重湯やつぶし粥などもそれなりに慣れてきたみたいだ。


「清花、桃を潰したものだけど食べるか?」


「あーい」


「ほれあーんしてくれ」


「あー」


 桃をペースト状にしたものを匙で口に入れてやるととても美味しそうに食べてる。


「まーい」


 桃のペーストを食べて笑顔を浮かべてる清花には襖や障子に穴を開けたらいけないことだというようなことはちゃんと教え込んでるが無事に成長するようにも目を配ってるよ。


 そして清花が大きくなったときには大見世の太夫が尊敬されるべき存在である状態にしたいよな。

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― 新着の感想 ―
[一言] 腐った心根を子にも受け継がせている筋金入りの議員たちに毎日音読させたい内容ですな
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