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三浦屋の看板太夫、二代目高尾の具合が悪いらしい

 さて、ある日のこと三浦屋が俺の見世にやってきた。


「お前さん、済まねえが、うちの高尾の具合が悪いみたいなんで様子を見てやってくれねえか」


 俺は三浦屋の言葉に首をひねった。


「ああ、それはいいが医者に見せたほうがいいんじゃねえのか?」


「医者に見せたんだがなかなか良くならなくてな、お前さんが色んな人の病を治したって話も聞いてるしなんとかならねえかと来たんだ、どうか見てやってくれ」


「わかった、じゃあ様子を見させてもらおうか」


 ちなみに今の三浦屋の高尾は二代目で本来なら昨年もしくは一昨年の年末に死んでいるはずだが昼見世のみに改めた事もあってまだ無事生きているようだ。


 この二代目高尾は万治高尾・仙台高尾・道哲高尾とも呼ばれて、11代のうち最も有名で多くの挿話があるとされるが、結構作り話も多い。


 高尾には仙台高尾という噺になっている伝説のようなものがあって彼女には島田重三郎という情人があったので馴染みとなった陸奥仙台藩主・伊達綱宗の身請け話を蹴っ飛ばして、それによって余計に意地になった綱宗が高尾の体重と同じ重さの黄金二十貫で身請けしたがそののちに芝の下屋敷へ舟で連れていく途中、隅田川の現在の清洲橋と永代橋の間にあった砂洲の三つ又で吊るし斬りにしたという話がある。


 伊達綱宗は伊達政宗の孫にあたりその母が後西天皇の母方の叔母に当たることから、綱宗と後西天皇は従兄弟関係になるくらい血筋はいいのだが、万治元年(1658年)、父・忠宗の死により数えで19歳の若さで家督を継いでからは、酒色に溺れて藩政を顧みない暗愚な藩主とされ、更には叔父に当たる陸奥一関藩主・伊達宗勝の政治干渉や家臣団の対立などの様々な要因が重なって、藩主として不適格と見なされて幕命により万治3年(1660年)により21歳で隠居させられた。


 もちろん彼が江戸に出てくることはあったろうし吉原に来たことぐらいはあったかもしれないが高尾をほんとに切り捨てていたら改易になってるだろう。


 ちなみに高尾の遺体が漂着した場所には高尾大明神を祀った高尾稲荷社ができて全国でも非常に珍しく実体の実物の頭骸骨を祭神として安置しているらしい。


 本来は伊達騒動とは関係ないはずなんだが仙台高尾のなまえはそこから。


 墓所が道哲さんの西方寺にあるために道哲高尾という名前になったわけだ。


 今は普通に二代目高尾とだけ呼ばれてるけど。


 とりあえず俺は三浦屋の所へ行くことにした。


「よう久方ぶりだな、高尾太夫」


 確かに顔色はあんまりよくねえな。


「おや、三河屋の楼主はんやありまへんか」


「ああ、なんか体調が悪いらしいって聞いて来たんだが」


「あい、そうなんでやすよ、最近は手や足のしびれがようおきやして」


「うーん、となると可能性が高いのは江戸患いか?

 ここの米は何を食べてるんだ?」


「はあ、普通に白米でやすな」


 なるほどな、俺の見世では米は玄米や雑穀米、麦飯などにしてるが三浦屋はまだ白米のままだったか。


 脚気の原因は、主にビタミンB1不足が原因とされるが、その他のビタミンやミネラル、動物性タンパク質の不足、古米に付いてるカビなどもその要因となってるらしい。


「お前さんは太夫だしやっぱ肉とか卵とか食わないよな」


「あい、お客はんの事も考えると食えまへんわ」


 この時代は将軍、大名・豪商クラスの食事でも基本は一汁三菜でタンパク質が結構少ない。


 基本的には米を多く食べるわけだが遊女は太らないためや体臭や口臭の防止の為にも肉などは食わないし食事の量は少なくなるから余計だな。


「さてどうしたものかな」


 自分の見世の遊女であれば食事を強制的に変えることも出来るが他所の遊女にはそこまでできないしな。


「三浦屋、高尾はおそらく江戸患いのなりかけだな」


 それでも史実よりは病状がいいのは睡眠時間をちゃんと取ってるからだと思うが。


「江戸患いか、じゃあ、どうすればいい」


 三浦屋が聞いてきたので俺は答える。


「まず白米ではなく古くなってない麦飯や玄米飯・雑穀飯を食わせること。

 できれば卵も食わせてやったほうがいい」


「麦飯に卵か、臭くなったりしねえかな」


「それは大丈夫だ、あとなるべく鰯や牡蠣や烏賊なんかも食わせてやってくれ」


「鰯に牡蠣に烏賊かわかった、やってみる」


 俺は三浦屋にうなずく。


「じゃあその前にうちのお好み焼きを食ってもらうか」


 そして二人を連れてお好み焼きの店へとやってきた。


「おう、イカ玉と豚玉ひとつずつ出してやってくれ」


「あい、わかりやした」


「うちの見世の奴らも結構来てるが評判はいいぜ」


 真ん中に穴が空いた座卓に穴の下に七輪を下においてその上に丸い鉄板をおいてある。


「一体どうやって食べるんです?」


「ふむ、じゃあ俺がまずやってみるな」


 俺は水で溶いた小麦粉に小さく切ったイカやすりおろした山芋、刻んだネギ、解いた卵の入ったお好み焼きのネタを手桶から柄杓でそれをすくって、刷毛で油を引いた鉄板の上に垂らすとジュウっとそれが焼ける音とともに良い匂いがしてくる。


「これはなかなかおもしろいな」


 三浦屋がそう言う。


「お前さんら食べたことなかったのか?」


「そうでんな」


「はは、実はそうなんだ」


 そう言う二人だがまあわざわざでかけて食うということも少ないしな。


「んじゃまずは片面を焦げ目が付く程度に焼いてから」


 俺はヘラでそれをひっくり返す。


「反対にひっくり返して熱が十分通るのを待つ。


 焦げたら旨くないから適当に見計らってな」


 三浦屋は頷く。


「なるほどな、俺はもう一つの桶を使って同じにすればいいんだな」


「おう、やってみてくれ」


 三浦屋が柄杓で烏賊の代わりにイノシシ肉の入ったお好み焼きのネタを鉄板に垂らす。


「ほう、こいつはなかなか楽しいもんだな」


「おう、俺の内儀も同じこと言ってたぜ」


 お好み焼きが両面焼けたら鉄板からすくい上げて皿に載せマヨネーズとソースをかければいい。


「こんな感じだ、まずは高尾太夫食ってみてくれ」


 高尾太夫がうなずく。


「あい、分かりやしたわ」


 そしてお好み焼きを口に入れてちょっと驚く高尾。


「ん、美味いでんな」


「三浦屋もどうだ」


「ああ、こいつはいいな、今まで食いに来なかったのが悔やまれるぜ」


「まあ、これからはたまに食いに来てくれ」


「そうしやすわ」


 とはいえ太夫がそうそう来るわけにもいかないか。


 高尾にはビタミンだけでなく鉄や亜鉛も足りてない可能性が高いんだよな。


 女性は生理がある分ミネラルの補充が大事なんだが意外と肉はそういった物が豊富なんだけどなかなか遊女には食わせられないから困ったもんだ。


 初代高尾は承応3年(1654年)ごろに吉原に来て自分の子どもを禿として抱えて道中したので子持高尾と言われているが彼女は万治3年(1660年)の正月になくなってるはず。


 そして2代目がその後を継いだのはいつなのかはっきりしないがそこまで前ではないとも思うしもう少し長生きしてのんびり余生を過ごしてほしいものだと思う。


 しかし、俺の見世以外の遊女の食事はあんまり変わってないのも困ったものだな。

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