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チェンバロを日本の仏教になじませるため仏教讃歌を広めたいものだ

 さて、揚屋での藤乃などが行ったチェンバロの演奏は概ね大名の若様や殿様には好評だった。


 天正少年使節団が持ち帰った楽器の演奏を豊臣秀吉は3度もアンコールさせたらしいがそれだけ珍しく良い音だったのだろう。

 もっとも教会の建設とともに持ち込まれたパイプオルガンなどとともにアルパ(手持ちの小さいハープ)、クラヴォ(クラヴィコード)、リュート、ヴィオラなどもすでに全て破棄破壊されているのはもったいないことでもあるが、キリスト教徒にとって聖歌は強い結びつきを持ってるので仕方ないのかもしれない。


 そして、オルガンなどの西洋楽器はキリスト教と深く結び付けられていることも有ってその存在に眉をひそめるものもいるようだ。


「まあ、オルガンとキリスト教会は切っても切り離せない感じはするよな……」


 カソリックであるポルトガルやスペインと違いオランダはプロテスタント国家であるから商業や音楽と宗教は切り離して扱われているのではあるが。


「となればチェンバロを仏教の教えを広めるのに使うべきか」


 宗教と歌や踊りというのは多くの場合縁が深い。


 神道においては神楽舞や雅楽が祈祷祈念と共に行われるように仏教にも、仏典に節をつけて歌い上げる仏教音楽である声明しょうみょうがある。


 感じとしては仏の教えを浪花節や演歌のような感じで歌い上げるというものだな。


 もっとも日本における歌というのは和歌のような五七五七七と句を連ねた構成による詩が主であったりするのでその形式のご詠歌のほうが広まっているのだが。


 また声明は口伝で伝えられたがゆえに明治期の廃仏毀釈により多くが散逸して失われてしまったのだ。


 そのご西洋の賛美歌を参考にお釈迦様の誕生日を祝う花まつりの歌、お釈迦様が悟りを開いた日を祝う成道会(じょうどうえ)の歌、お釈迦様がなくなられたことを追悼する涅槃会(ねはんえ)の歌などが仏教讃歌として明治以降につくられた。


 じゃあ俺もちびっと考えてみるか


 ”てをひろげ

 てのひらにあるものをみてごらん

 しわがはいっているよね

 てをあわせしわとしわをあわせてみれば

 しあわせをてにつつめるよ

 てをあわせいのってごらん

 きょういちにちしあわせだ”


 とりあえず思いついたものを紙に書いて藤乃に出来栄えを聞いてみた。


「小さい子供にわかりやすく仏の教えを教えられるように考えてみたんだが、どうだろ?」


 藤乃が首を傾げながらいう。


「きいただけだと仏様ぜんぜん関係なくありんせんかそれ?」


「そ、そうか、うーむ」


 手と手をあわせる合掌という作法そのものが本来仏教的なものであるはずなんだが、馴染みすぎていてそうは思われないようだ。


「本職の坊さんに知恵を借りたほうがいいかな?」


 藤乃がこくりとうなずく。


「それがええと思いんすえ」


「じゃあ、そうするか、ちょっとでかけてくるな」


「あい、いってらしゃいやせ」


 餅は餅屋というし、さっそく俺は西方寺の道哲さんに知恵を借りることにした。


 西方寺に向かい道哲さんに面会を申し込んだ。


「俺は吉原惣名主の三河屋戒斗と言いますが、道哲様はいらっしゃいますか?」


 対応にでたたぶん見習いの小僧が答える。


「あ、はい、お久しぶりですね。

 奥にいらっしゃいますよ。

 客間で少々お持ちいただけますか」


 俺は客間に通されてしばし待った。


 そして久しぶりに道哲さんに会ったが元気そうだ。


「おや、吉原の惣名主さん、今回はどうなされましたかな?」


「はい、少し相談がありまして……」


 俺はチェンバロの演奏に合わせた子供向けの仏の教えのようなものを簡単に伝えられそうな歌のようなものを作りたい旨を告げたのだ。


「ふむふむ、なるほどそれは面白いですな」


 そして道哲さんは俺が書いたものを見た後でサラサラと紙に書いていく。


 ”なむあみだぶつなむあみだぶつ

 おおきくてをひろげ

 てのひらにあるものをみてごらん

 しわがはいっているよね

 てをあわせしわとしわをあわせてみれば

 みなしあわせをてにつつめるよ

 てをにぎってふしとふしをあわせれば

 みなあらそってふしあわせになるよ

 だからみなてをあわせてほとけさまにいのってごらん

 きょういちにちしあわせにすごせるよ

 あしたもまたいのりをささげれば

 あしたもきっとしあわせだよ”


「おお、さすがですな」


「なに、元をつくられたのはあなたですよ」


 後は曲をつくって、チェンバロで弾けるようにしないとな。


 あーでもないこーでもないと試行錯誤を繰り返して曲を完成させると俺は禿達を揚屋に集めてチェンバロを弾きながら、歌を歌ってみたのだ。


「なむあみだぶつなむあみだぶつ

 おおきくてをひろげ

 てのひらにあるものをみてごらん

 しわがはいっているよね

 てをあわせしわとしわをあわせてみれば

 みなしあわせをてにつつめるよ

 てをにぎってふしとふしをあわせれば

 みなあらそってふしあわせになるよ

 だからみなてをあわせてほとけさまにいのってごらん

 きょういちにちしあわせにすごせるよ

 あしたもまたいのりをささげれば

 あしたもきっとしあわせだ」


 そしてその後に禿たちにおれに合わせて歌いながら手を合わせてみるようにいう。


「みんな、今の歌を俺がもう一度歌うから合わせて手を合わせて歌ってみてくれ」


「あい、わかりやした」


 俺がチェンバロを弾きながらみんなで手を合わせて歌を歌う。


 禿たちは大きい声でみんな楽しそうに歌う。


 うん、やっぱり歌はいいな。


 そして小さなうちにやって良いこと悪いことを歌で歌って覚えられるようにするのもいいことだと思う。


 チェンバロやピアノは技工を極めようとすれば大変だが、比較的弾くのは簡単な楽器だしつくっておく場所を増やしていきたいものだ。

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