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御台所様の赤小本”生まれてきてくれてありがとう・私に抱かれてくれてありがとう”

 さて、赤小本も定本も順調に集まってきている。


 そんな中で小太夫が大奥の奥女中より預かってきたという本の中に御台所様の直筆のものという赤小本があった。


 題名は”生まれてきてくれてありがとう、抱かれてくれてありがとう”と言うもの。


 現在の顕子女王(あきこじょおう)が、上様である徳川家綱公のもとに嫁がれたのは明暦3年(1657年)。


 江戸時代では3年たっても子供を産めなければ石女(うまずめ)とか空女(からおんな)木女(きおんな)として差別の対象になり、離縁され土地から追放されることも多かった。


 この時代は土地や屋敷などの財産を保つための後継者の育成が最重要であったのだな。


 そのため木女がいると村が絶え男は精気を吸われて身体が衰弱するといわれた。


 これは人間の体は五行では土にあたり木によって精を吸われると信じられていたかららしい。


 そして石女になる原因は前世の行い、例えば人を殺したなどによるものとされ、石女が婚礼の席に出ると新婦も石女になると言う理由で婚礼の席に混ざるのを嫌う土地も少なくなかったし、石女が離縁されて追放された後に後妻も子を産めない場合は石女と交わったせいで穢れを移されたとすらされたわけだ。


 実際に子供ができない時には男側の無精子症などの原因がある場合も結構あったはずなんだけどな。


 実際豊臣秀吉はそうだった可能性が高いし。


 史実では顕子女王は子供ができずになくなられ、さらに側室のお振は懐胎しながらも急病で子を産む前になくなり、お満流の子供も流産で家綱公は、末弟の館林藩主松平綱吉を養子に迎えて将軍後嗣としたのだが……そういう意味では歴史も大きく変わってしまいそうだな。


 そのくらいこの時代では女が子供を産めないと言うのは大変なこととされていたわけだ。


 そして御台所様には先代将軍家光公の御台所様がどう扱われたかということを思って、同じようになる事を恐れていたのだろう。


 先代将軍の御台所である鷹司孝子(たかつかさたかこ)は、公卿の名門鷹司の生まれだったがその江戸城での生活は悲惨なものだったみたいだからな。


 彼女は元和9年(1623年)8月、家光が征夷大将軍宣下を受けるための上洛中に江戸へ下り、徳川秀忠継室のお江の猶子となったがまずそこからがつまずきの一歩目だったかもしれない。


 もっとも実母であるお江と乳母である春日局の対立が本当だったどうかは定かではないのだけどな。


 そして家光公との仲は結婚当初から非常に険悪だった。


 この頃は女嫌いの男色家だったからで、夜の営みもなかったらしい、結婚後程なくして大奥から追放されて称号を「御台所」から「中の丸様(中の丸殿)」と変えられ、吹上の広芝に設けられた邸宅で長期にわたる軟禁生活を送らされたのだ。


 そりゃ同じような目には会いたくないだろう、家光公が死去する際の、形見分けとして与えられたのは、金わずか50両と幾つかの道具類のみと、その事後まで冷遇されていたのだ。


 最も現将軍である家綱公は家光公の死後よりは、実の母親に準じる手厚い庇護を贈っているのだが。


 ”中々授かることができず私には子供は産めないのではないか。

 とても不安でした。

 だから竹千代、あなたに会えて私は本当に嬉しいです。

 生まれてきてくれてありがとう。

 私に抱かれてくれてありがとう。

 母としての勤めを果たしたとしても

 できうることならまたあなたを抱きたい”


 小さな子供を抱きながら柔らかく微笑みを浮かべる女性の挿絵とともにそう締めくくられる。


 妙などは読みながら泣いていた。


「ううっ、御台所様のお気持ち私にはよくわかります」


 俺は頷く。


「ああ、無事にお世継ぎが生まれてほんとよかったよな」


 妙がお腹を擦りながら苦笑した。


「そうではなくて子供が中々できなくて不安だというのは私もそうだったのですから」


 そうだったのか……。


 確かにこの時代だとそうなるよな。


 そして将軍賞はほぼ決まりだろうな。


 やはり実感がこもってると言うのは強い。


「大丈夫だ。

 俺には弁財天様の加護があるしきっと元気な子が生まれてくるぜ」


「そうですね。

 順調に私のお腹も子も育ってますし」


「ああ、案ずるよりも産むが易しって言うしな。

 もちろん母子無事に済むように最大限できることはするけどな」


 公家や大名のような家では子供を産んだあとは実母は育児に関われず乳母がそだてるのが普通みたいだけど、実母も子育てに参加できるようにした方がいいんじゃないかなとは思う。


 実際庶民は母親の乳の出が悪い時には近所の乳が出るものが代わりに授乳するという助け合いの子育てをするのが普通なんだよな。


 もちろん偉い人たちには色々なしがらみとかもあるんだろうけど。


「身体の養生の方法に加えて子供の出来るできないには女ばかりに責任があるわけではないということを本にして広めてみようか」


 妙はうんうんとうなずく。


「はい、それはとても良いことだと思います」


 しかしながら3年で子供ができないというのは確率的にどちらかが不妊症である可能性が高いのは確かだったりする、普通であれば避妊をせずに夜の営みを行っていれば2年でほぼ10割が妊娠するらしいのだ。


 とは言え不妊治療のタイミング法くらいならこの時代でも勧められるだろうから先ずはそういった知識を進めつつどうしても子供がほしいのに子供ができない人には養育院の赤子を養子縁組する方法もすすめよう。


 子供が欲しくてもできなかったり、子供が欲しくなくてもできてしまって捨てたり、世の中とはうまくいかないことも多いよな。

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