ある日の吉原遊廓のお客達:仙台藩士吉原出立編
とある日のこと、仙台伊達藩の600石の勤番武士の平田源左衛門は午前中の政務を終えて屋敷に下がろうとしているところであった。
そこに声をかけてきたのは江戸住みの同僚の藤枝宗輔であった、同じ600石ではあるが彼は江戸定府なため格式的には彼のほうが上であった。
ちなみに600石と言うともっている領地は三十~四十軒の小さい村程度、無理やり21世紀のサラリーマンに置き換えるなら、おおよそ年収3000万程度だが実質的にはその半分は軍役に備えての郎党や下男下女のために払う俸給なので実際は1500万程度ではあるが武士としては裕福に暮らせる方ではある。
参勤交代制度が定められた事により、地方の諸大名は江戸と自らの藩の領地を基本的に1年交替で往復して生活することが義務づけられたが、藩主が江戸に上った時に江戸にともに上がった武士たちは当然江戸では単身赴任での生活であった。
江戸の藩の屋敷には藩主の正室やその子供が住んでおり彼らは実質上江戸幕府への人質として扱われていたため江戸から出ることは厳禁とされていたが、それはそういった身分が高いものに限ったことではなかった。
そして江戸に住む武士はその正室の奥方などを守るために江戸屋敷に定住する江戸定府と藩主とともに江戸と藩の領地を往復する江戸勤番に別れるが当然江戸定府よりも勤番の方が圧倒的に多く彼らは長屋に住まうことになるが、身分が高ければ一人部屋だが、そうでないと数人の相部屋での生活だった。
そういった勤番武士は江戸の事情にはうといため喧嘩などのトラブルを引き起こすことも多かったため彼らの外出制限は段々と厳しくなっていき、勤番武士の外出は、月数回に制限された。
彼らを江戸市中に頻繁に外出させると、遊郭にはまって身持ちを崩したりすることも多かったからだ。
もっとも芝居見物に吉原見物が勤番の江戸におけるある種の通過儀礼となっていたのもまた事実であったのだが、通常では私用での外出が許されなかった勤番武士にとって数少ない外出日に江戸を見物して回るのも楽しみの一つだった。
もっとも平田源左衛門という男は堅物で仕事を真面目に勤め上げるのが趣味のような男だったのだが。
ちなみに武士の門限は暮れ六つ(18時頃)でそれまでには戻ってこなくてはならなかった。
「おう、平田殿もう長屋に帰られるのか?」
「はい、本日の政務も終えましたので」
ちなみに政務のある日は月の半分くらいである。
「しかし貴殿はせっかく江戸に来たのに藩邸と長屋の往復の毎日ではつまらなかろう。
たまには一緒に吉原にでも行こうではないか」
「しかし、江戸は物価が高くていろいろ苦しいのですが」
「まあまあ、そう根を詰めて働いているからそう思うのだ。たまには羽をのばそうではないか。
貴殿も明日は非番であろう」
「はあ、たしかに明日は非番ですが」
「では明日、吉原に行くとしよう」
「分かりました、では明日はお供させていただきます」
こうして二人は江戸観光を兼ねて吉原へゆくことになった。
休日であっても外出には届出が必要であったためその書類を書いて届け出を出すことで明日は無事外出することができるようになった。
武士は許可が取れても外出が許されるのは基本的には明け六つ(おおよそ6時)から暮れ六つ(おおよそ18時)までで、そういったふうに門限が厳しいため遠出をする場合夜明けとともに屋敷を出立する。
まあ、ちゃんとどこに泊まるという届け出を出せば大丈夫な場合も多いのではあるが。
とは言え基本的には日帰りでの外出なので大変では有った。
そして、二人は朝の身支度を行った後、朝五つの辰の刻(おおよそ8時)に二人は編笠をかぶり、馬でカッポカッポと吉原へ向かうことにした。
江戸の街は朝早くから魚や青物を仕入れに行く棒手振りなどで人は多く歩いているが、刀を差した武士が馬で歩く様子を見れば扠さっと左右に避けていく。
「なんだか妙な気分ですなぁ」
「まあ、気にすることはないぞ」
そうやって一刻ほどの朝四ツの巳の刻(おおよそ10時)には吉原の近くの編笠茶屋までつくと藤枝宗輔は馬から降りて編笠も取る。
「おう、編み笠と馬を預かってくれるかい」
編笠茶屋の主人がペコペコ頭を下げながら言う。
「はい、承知いたしました。
お連れさんも一緒ですか?」
藤枝宗輔は頷く。
「うむ、彼の分も預かってくれ」
「わかりました、お預かりさせていただきます」
二人は馬と編み笠を預けると代わりの編笠を借り受けて歩いて吉原の大門をくぐった。
「なんで馬や編笠を茶屋に預けるのですか?」
平田源左衛門の問に藤枝宗輔が答える。
「吉原の中は馬も籠も乗り入れは禁止だからだな。
編笠を変えるのはどこの藩の人間かわかりづらくするためさ」
そう言いながら吉原の中に入る二人。
仲通りを物売りがさかんに行き来している中を歩く。
「まだ遊郭は開いていないようですね」
「ああ昼見世は昼九ツからだからな。
その前に温泉にでも入っていかねえか?」
「ほう、温泉があるのですか。
それはぜひ入りたいですね」
二人は吉原温泉に向かった。
この時間帯は遊女も皆温泉に入りに来る時間帯であり華やかな衣装の遊女たちがたくさん温泉へ入っていく。
「な、なんだか女ばかりのようですが大丈夫でしょうか?」
平田源左衛門がうろたえながら言うと藤枝宗輔が笑う。
「ああ、中はちゃんと男湯と女湯に別れてるから安心して入れますぞ」
実際に中は男女で脱衣所から別になっている。
服を脱いで刀は預けると二人は黒湯の湛えられた露天温泉へと向かう。
「ほほう、これは良いものですなぁ」
平田源左衛門が感心したように言うと藤枝宗輔が頷いた。
「うむ、そうであろう」
二人はかけ湯をすると湯船にその身を沈めた。
「うむ、なんだか体がほぐれていくようですな」
「うむ、肌にも良いらしいぞ」
「それで遊女がたくさん湯に入っているのでしょうか」
「おそらくな、遊女がいない時間も女がよく入りに来るらしい」
「うちの女房にも入らせてやりたいものですな」
「残念ながら国元にいるのでは無理だがな」
「全く残念ですな」
ハハハと笑い二人は湯から上がると借りた糠袋で垢を落とす。
そして半刻ほどで温泉から上がると温泉の暖簾をくぐる。
「まだ半刻ほどありますな」
「では室内遊技場で碁でもうっていきましょうか」
「暇つぶしには良いかもしれませんな」
二人は吉原室内遊技場に向かったのだった。




