中見世による女歌舞伎の復活
さて、中見世の局を散茶と単純に張り見世で競争させて勝てるようにするのは正直かなり難しい。
張り見世というのは格子の中に座っている遊女たちを外見だけでほぼ選ぶからな。
無論格子の中の遊女と多少喋ったりはするにしてもそもそも外見の良い方に先に話しかけるのが男の悲しい習性だ。
21世紀の風俗では写真の顔で選んでその写真が詐欺まがいだったりすることはよくあるが、それでもまずは顔が可愛い風俗嬢から選ばれるのが普通なのと同じだな。
しかも写真と違って修正もきかない。
実際の所、江戸時代初期は芸事の見世と色の見世の明確な区分のない時代でもあって、どちらもそれなりにできるのが吉原などの遊郭の遊女であるのが普通だったわけだ。
まあ切見世女郎くらいになるとそこまでは求められないが、湯女や茶立て女は垢すりや茶の提供のついでに売春をしていたわけで色だけ磨けばよかった。
遊女は教養や芸事の習得に長い年月をかけているが、散茶は若くて容貌に優れ話が上手であれば教養は求められない。
だから単純な表面上の容姿や色事だけで競争しては勝てないのは当然だ。
なので彼女たちは芸事で名を売ることにする。
そして、ソロでやっても目立たないならグループを組ませればいい。
実際、そうやって客寄せをしようとしたのが遊女歌舞伎だ。
歌舞伎は安土桃山時代の女性芸能者の出雲阿国が演じ始めたといわれ、かわいらしい少女の小歌踊であるややこ踊から、慶長8年(1603年)に京都の四条河原で阿国が武家の扮装をして、茶屋の女と戯れる様子を演じたセリフ付きの歌舞伎踊りに変化させた、このときは楽器に三味線はなく笛と太鼓に合わせて阿国がセリフを言いながら踊るだけであったようではあるんだが、このかぶき踊りが後の野郎歌舞伎につながるらしい。
古来日本では女性が男装して舞を舞ったりするのは平安時代の白拍子の時代からあるので、そこまでおかしなことではないが、女性が武家の姿の男装をするというのは江戸幕府的には面白いものではなかっただろう。
ただ、阿国の生家は出雲大社の鍛冶職の中村家の生まれであるとされているので、歌舞伎俳優には中村の姓を名乗る者が多いとも言われているようで歌舞伎に与えた影響は大きい。
その後、遊女屋がこの時代では最新の楽器である三味線を太夫に持たせ、舞台の中央に派手に飾られた豪華な椅子に座って三味線を演奏させ、その周りを多数の遊女たちが輪になって、声をそろえて歌を歌い、振りをそろえて扇情的な踊りを踊ったのが遊女歌舞伎だな。
遊女歌舞伎は、わずか10年ほどで全国の遊里に広まったが、遊女歌舞伎は阿国が演じたようなセリフの付いた演劇的なものではなかったようだ、簡単だからこそ真似をするものも多かったわけだが。
しかし遊女を巡っての刃傷沙汰が起こったり、騒乱を起こす傾奇者の多数集う場所となったことで幕府への反抗の原因になるという理由も有って名目上は風紀を乱すからとの理由で、寛永6年(1629年)からに女性の芸能者が舞台に立つことを禁止した。
尤もすぐにはなくならず10年以上はかかったようだが。
演劇ではない多数の遊女が動作をあわせて踊る遊女歌舞伎を俺は復活させようとしているわけだ。
そして俺がいま遊女たちにやらせてるいるのはバックスライド、いわゆるムーンウォークだな。
マイケル・ジャクソンによって超有名になったパフォーマンスで、三代目J Soul BrothersのR.Y.U.S.E.I.のランニングマンも原理は同じだ、そしてこれ見てると意外と癖になるんだよな。
そしてそれを踊りの中に取り入れてなおかつ複数人で動作をシンクロさせるというのは遊女歌舞伎が消えたこの時代には当然無い要素だ。
「お前さん達ならできるはずだ頑張れ!」
「あい!」
バックスライドやランニングマンの動作原理自体は簡単だし一人でゆっくりやるのであればそれほど難易度は高くはない。
しかしそれを観客に感嘆させるほど流麗に動作を行って、しかも動きを合わせるとなるとなかなかに難しくなる。
しかし、やるしか無い、21世紀でも歌だけのソロ歌手がどんどん消えていき、歌と踊りをグループで行うアイドルグループがどんどん増えていったようにこの方法はおそらく有効ではあるはずだ。
いや、正統派の歌唱力を持つアイドルが消えていくのもいいこととはいえないと思うけどな。
もっとも、真似もされやすいという欠点はあるが、先駆者であるというアドバンテージを後追いのものが覆すのはおそらく難しいはずだ。
散茶達は芸事にすぐれているわけではないからな。
とは言えすぐに結果が出るほど集団でのダンスは簡単ではない。
お披露目には一月くらいはかかるかな。
みんな脱落しないで頑張って欲しいものだ。




