中見世の立て直しはけっこう大変だ
さて、俺が簡単に廃業した後を引き受けた中見世だが再建は結構難しい。
これにはちょっとした事情がある。
もともと吉原の遊女の格付けは太夫と端の2つだけだった。
要するに最初から大名相手の太夫と浪人や下級武士相手の端に遊女は別れていたわけだ。
最も関が原の合戦や大阪の陣が終わっても、まだまだ天下が乱れる可能性は高く浪人と言ってもそれなりに仕官先は有ったし武士階級はそれほど困窮はしていなかった。
それに元吉原が始まった元和4年(1618年)は遊女屋17軒に揚屋24軒だった。
要するに宴会のほうが本当にメインだったわけだ。
ちなみに宮本武蔵は寛永14年(1637年)の11月中旬に、島原の乱に出陣するため、馴染みの京町2丁目の河合権左衛門抱えの雲井の元に訪れていて、その時は名高い武蔵を見ようと太夫、格子が多数仲之町に群集したそうだ。
雲井は端女郎で河岸の局つまり部屋にいたのでかなり下級の遊女では有ったようだ。
この頃には太夫の下に格子ができている。
そして慶安期(1644~52年頃)には江戸市中で取り締まられ吉原送りになった私娼、犯罪を犯して非人に落とされた女が増えてきて、格子は格子太夫と格子に別れ、端女郎は、局、端、切見世に細分化された。
遊女の格付けは太夫、格子太夫、格子、局、端、切見世にわかれた状態で新吉原に移転することになった。
ここまではあくまでも女は個人個人で吉原に送られてきたから山崎屋の勝山のように湯女上がりでも吉原式の接客をし、格子太夫になったりした。
つまり、湯女上がりの女郎でもそれまでの吉原式を叩き込まれて格子以上になれば客を振る事があったわけだ。
それが吉原遊郭移転の際に湯屋が大量に潰されて、それが新吉原移転の際に取り潰された湯屋の抱主と湯女が吉原に一部入ってきた、残りはその場所で水茶屋を続けたがな。
そしてその中の一部は中見世を大部分は小見世を開く。
湯女は風呂掃除や雑用、客の背中流しの他に売春もしていたが客を選ぶことは当然出来なかった。
なので湯女出身の遊女は町人客を見下すこともなく客を振ることもなかった。
ちなみに散茶という名前は茶葉を挽いて粉にしてお湯を入れたお茶のこと。
この頃新しく入ってきた湯女あがりの遊女は湯上がりに客にそれを出したこと、また通常の茶のように急須を振らなくても飲めたので振られることのない「散茶女郎」と呼ばれたわけだ。
そして基本的に湯女は若くてきれいなものが多い、ただし覚える必要が無いので教養はほとんど持ち合わせていない。
外見だけなら大見世の太夫たちに匹敵することもあり散茶達はそれゆえに人気が爆発した。
史実の吉原では延宝3年(1675年)頃には散茶女郎は散茶は客を振らないと持て囃され、太夫・格子はお茶を挽くばかりになった。
まあ、これは大見世のやり方も悪いんだがな。
現状では旧吉原からの中見世の局と湯屋や水茶屋の散茶は同じ価格で名前も統一しているが、教養があるがその分プライドも高く容姿は格子ほどでもない局と教養はないが町民の客を見下さず容姿は格子並みの散茶では短い時間の遊びでは局のほうが分が悪いのは言うまでもない。
実際史実の吉原では散茶女郎との競争に負けた局は元禄期には散茶の下と位置づけられ散茶の隙間を埋める梅茶と呼ばれるようになりその揚げ代の値段も下がっていく。
そして元禄の頃には端という格は消滅してしまうのだ。
もちろんそうなった理由には振りの存在もあったのだが。
「やれやれ、俺もちょっと調子に乗りすぎていたな」
三河屋の場合は旧吉原の時はなかった夜見世ができるようになったからと、昼夜働かなくてはならなくなり大きく減った遊女の睡眠時間を片方の見世だけに絞ることで確保し、食事内容などを良くし、白粉などを変えることでその心身の健康を回復させればよかった。
元々容貌にも教養などにも問題はなかったからな。
切見世の場合は食事を改善し、昼間は芸をおこなわせてそれを売りにすることでなんとかした。
小見世の場合は食事と廻しを曖昧にせずきっちりやることと大島の南蛮人を相手にすることでなんとかした。
これ等の見世は強力なライバルがいるというより楼主や抱主のやり方の問題だった。
しかし、中見世の場合は散茶というライバルの存在が旧来の中見世の経営危機を起こしている。
いや、新吉原移転当時はともかく潰した水茶屋を吉原に受け入れたのは俺自身だが。
「さて、どうすればいいかな」
今回も食事は良くするのは当然だが睡眠に関してはすでに確保できているだろう。
廻しについてもすでに規定があるからそこを改善することはできない。
遊女の容貌を散茶女郎並みにすることもできない。
望みがあるとすれば芸事方面で武士の客を呼ぶようにすることか。
尤も明暦の大火からまださほどたっていない今は地方武士は地元に帰ってしまっているので江戸にはいないが。
「太夫たちが手の届かない存在だとすれば局たちをちょっと頑張れば手の届きそうな存在にすればなんとかなるか?」
散茶は親しみやすい存在として人気が爆発するわけだが、同じ事を中見世の局にやらせようとするのは難しいだろう。
この時期の散茶女郎は21世紀で言えば流行りはじめのメイド喫茶のメイドさんのようなものだ。
ならまあ、こっちはAKBグループのような握手会のような機会があれば当人にあえて話せるが、普段からすぐに会えるほどお手軽でもないという存在を目指そうか。
まあ口でいうほどは楽じゃないとは思うが。
俺は中見世の女郎達を広間に集めていった。
「よし、お前さん達は皆で揃って歌って踊れる遊女を目指そうじゃないか。
ついでに新しい歌をお前さんたちが流行らせてくれれば言うことはないぜ」
俺の発言に中見世の女郎たちが顔を見合わせた。




