遊女の一日 とある小見世の女郎・せつの一日
三河屋系列でない小見世の遊女の一日です。
私はせつ。
吉原の小見世で働く遊女でありんす。
見世での決まった起床時間は朝四ツの巳の刻(おおよそ朝10時)です。
そして起きたら湯屋へ出かけ垢を落とします。
楼の中に内湯があるのはよほどの大見世だけですからね。
「はあ、今日もむちゃむちゃ混んどりますな」
なにせ昼見世前の朝風呂に吉原の見世の遊女は皆一斉に風呂に入りに来るのですから大混雑も当然です。
もちろん大見世には内風呂がありますが時たま内湯の狭いのを嫌ってだったり、外へ出ての気分転換も兼ねてだったりの理由で大見世の遊女も湯屋を利用しますからね。
もちろんそういった遊女が湯屋に行くときは、おつきの禿や新造が浴衣や糠袋などの荷物を持って供をするのです。
江戸市中の湯屋は明六ツ(夜明け)から夜五ツ(午後8時ころ)くらいの間開いていますが、
吉原の多くの湯屋は朝四ツ(午前10時ころ)から昼九ツ(正午12時)までしか営業をしていないので、どうしても混雑するのです。
で近くの湯屋に着けばまずは表から入って土間で履物を脱ぎ、高座に湯銭を8文(およそ200円)払い、奥に進みます。
一段高くなっている板間で着物を脱ぎ、衣服戸棚にそれを入れます。
更にその奥の傾斜のついた流し板があるところが洗い場です。
「ふう、早々に体を洗えてよかったですね」
奥の蒸気室で少し汗をかいた後、糠の入った糠袋で垢を落とし、かけ湯を桶にくみ体に湯をかけ糠を落とせば入浴は終わりです。
板間に戻って衣服を着て見世に戻ります。
風呂から戻ったらまず食事です。
1階の広間で細長い長机に並んで食事をとります。
「今日も変わらず一汁一菜ですね」
今日の献立は古米白飯、塩辛い味噌汁、青菜のおひたしです。
まあ、これが普通ではあるのですが、噂では三河屋さんが面倒を見てる小見世は食事がとても良いと聞きます。
「ではいただきます」
美味しいものを食べたければ自分で稼いで惣菜などを買うしかありません。
黙々と朝食を取り終わったら食器を台所へ持ってゆき自室へ戻ります。
そして髪を結い、化粧を施し昼見世の準備をして午の刻(正午頃)から申の刻(午後4時くらい)までは「昼見世」の時間です。
格子の前に座り客が来るのを待つわけですがこの時間は正直暇です。
「今日も昼間はお茶ですかね」
しかたありません、三味線の練習でもしておきましょう。
そして客のつかぬまま申の刻(午後4時くらい)を過ぎたら朝と同じ広間で夕食をとるのです。
夕食は朝に炊いた残りの飯に茶をぶっかけたもの。
「頂きます」
ともかく小腹は膨れましたし夜見世でなんとか頑張りましょう。
そうして、夕食が終わったら酉の刻(暮れ六つ)(おおよそ午後6時)。
日が暮れると妓楼に行灯や提灯の灯りがともされ、吉原の道も人が増えてようやく見世前に人が集まり始めます。
三味線による清掻と呼ばれるお囃子が弾き鳴らされ、これが合図となり夜見世が始まるのです。
私達遊女が再び格子の後ろの張り見世についていきます。
私のような遊女になりたての人気がない者は後ろの端っこで前の姐さんたちが客を捕まえて、揚屋に向かったり、置屋の二階に上がったりしていくのを待たないといけないのです。
暮れ六ツ(午後6時)~暮れ四ツ(午後10時)までが張見世が可能な時間。
その間に客がつかなければ、その日は稼ぎ無しです。
なんとかそれだけは避けたいものです。
私は格子の中で静かに正座をしながら声がかかるのを待ちます。
そして、私に声をかけてくる男性。
「へへへ、お前さん、おいら、お前さんと遊びたいんだがどうかな?」
「もちろん、ありがたく受けるでやんすよ」
ようやく一人客がつきました。
「では、銀5匁いただきんす」
「うむ、これでいいかい?」
お客さんは銀貨を私に手渡します。
「あい、ありがとやんすよ」
そして時間を図るための線香に火をつけて線香皿に置きます。
「では、早速始めましょうか」
「ああ、よろしく頼むぜ」
1切れ(30分)あっという間ですからね。
そしてなんとか今日は2人の客を取ることができました。
事が終わったら階段まで一緒に行き、見送りをしてからまた張見世に付きます。
夜四ツ亥の刻(22時)になりお客さんが皆帰れば後は就寝です。
「はあ、二人あわせて銀10匁(およそ2万円)ですか。
なんとか怒られないで済みそうですね」
もっとも私の手取りは銀1匁(およそ2千円)。
まだまだ厳しい生活が続きそうです。
もっとも以前とは違って事が済んだあとに、お客さんと朝まで夜一緒に寝ないでもすむだけ長くゆっくり寝られますから前よりは全然ましになりましたけど。




