吉原の大見世十字屋の一日
吉原の大見世の一つ十字屋はもとは西田屋に与していた2つの大見世が三河屋が振りや回しといった信用を損ねるやり方をなくしてもやっていけることを証明したのに、そのやり方を改めずに続けたため、客からの信用を失ってどんどん客が来なくなり結果廃業することになった。
同時に二人の客から金を取って金払いの良い方だけに遊女を回す、一晩一緒に居られるはずなのに途中で遊女が抜け出して何処かにいってしまう、そんなやり方をしていれば当然の結果では有ったのだが。
そして廃業した結果2つの大見世の遊女のうち三河屋、玉屋に見世換えするものと、新しく立ち上げた十字屋に残るものとに別れた。
十字屋は三河屋の楼主戒斗が直接面倒を見ることになりその見世のやり方なども三河屋と同じものになった。
昼見世に予約がある遊女は朝早く起きるが、その他の遊女は昼すぎに起きて遊女や新造、禿は広間に集まって食事をとる。
その食事内容は廃業前は客を取れなかった遊女は飯抜きなどもざらであったが現在はそういった差別もなく、食事内容も目に見えて良くなった。
遊女たちは起きたらまずは店の前で皆で体操を行って体をほぐし、それが終わったら位の高いものから内湯に入り垢を落とす、それが終われば皆食事だ。
広間では皆が笑顔で食事を取っている。
「はあ、今日も飯がうまいでんな」
「ほんまほんま、まえは虫臭くってひどい米でやんしたからなぁ。
三河屋の楼主様が十字屋も見てくれたのはほんまありがたいこってすわ」
広間には遊女たちの笑い声が響いている。
やはりうまい飯というのは心を和ませるのだ。
「まあ、飯は大事だからな、ちゃんと食ってちゃんと寝て疲れを取らなきゃいい仕事もできんさ」
そういうのは三河屋の楼主で十字屋の楼主や吉原の総名主も務める戒斗。
彼は最近は十字屋の広間で遊女たちと一緒に飯を食べるようにしているのだ。
「本当にわっちらのようなものにも優しくしてくれる楼主様はありがたいでやんすなぁ」
「ほんまですわ」
そういう禿たちに戒斗は言う。
「おう、お前らはまだ子供なんだからちゃんと食ってちゃんと寝て、ちゃんと廓言葉を覚えてくれな。
そしてちゃんと客を取れるように頑張ってくれ」
禿は笑顔で頷いた。
「あい、わっちがんばりんす」
「わっちも吉原一の太夫っていわれるようにがんばりんすよ」
「ああ、無理しない程度に頑張ってくれな」
それに対して遊女が言う。
「それを言うなら楼主さまだって人のことはいえないでありんしょう?
たまにはゆっくり休んではいかがでやんす?」
それを聞いて戒斗は苦笑した。
「まあ、色々やってることが落ち着いたらちゃんと休むさ。
俺だって仕事が趣味なわけじゃねえからな。
ただ、皆が少しでも幸せになれるようにするにはいまは休んでいられねえってだけだ。
ところで羊毛の糸紡ぎのほうはどうだ」
禿達は顔を見合わせた後言った。
「あい、順調に糸はできているでやんすよ」
「津軽の皆で頑張っていやすから」
戒斗は頷く。
「ああ、そいつはいいことだ。
特に手先が器用なやつには来年以降はそっちに専念してもらうかもな。
羊だけでなく養蚕をはじめてもいいと思ってるし」
禿達は目を輝かせた。
「それはいいでやんすな」
「みっちゃん達はきっと役に立つと思うでやんす」
「ああ、人には適性があるからな。
まあ、針子も重要な仕事だが」
そんなこんなで食事が終わると夜見世の間までは皆は自由時間だ。
禿は箪笥の金具や鏡を磨いたり、廓言葉を覚えたり全国各地の方言を覚えたり文字の読み書きをしたり覚えることはたくさんある。
姉女郎も禿に色々教えながら客と文のやり取りをしたり三味線の練習をしたり忙しい。
昼見世と夜見世に両方に出なければいけなかった頃は客が付けば夜はろくに寝れずに客に見送りをした後少し寝て起きて、昼見世の最中に文を書いたりしていたわけであるが、いまは十分な時間寝れるから稽古や習い事の効率も段違いに上がった。
しかし、一度失った信頼を取り戻すというのは大変難しい。
もし見世の名前を変えずに新たな楼主が三河屋でなければ、失った客を取り戻すのは大変だったであろう。
回しや振りを遊女が望んでしたことでなくとも客はその名前の見世に足を向けないのが当然ではある。
だが、三河屋の楼主自らが新たな楼として十字屋を立ち上げ直したことで遊女の信頼もある程度取り戻された。
これはすでに西田屋の再建という先例があったからでもあるし、食事と睡眠事情が改善されることで遊女たちの表情なども目に見えて明るくなり接客対応も良くなったからでもある。
夜見世の前に皆で夕食を取り、夕食が終わったら酉の刻(暮れ六つ)(おおよそ午後6時)になる。
日が暮れると妓楼に行灯や提灯の灯りがともされ、不夜城と呼ばれる吉原らしくなり道も人が増えて活気づく。
そして三味線による清掻と呼ばれるお囃子が弾き鳴らされ、これが合図となり夜見世が始まると、格子越しに遊女と客がやり取りをしたり、揚屋から手紙が来た太夫や格子太夫は太夫行列で揚屋に向かう。
十字屋の前にも客は立ち並んでいて客が取れた格子は客を店に入れて手を取って階段を上がっていく。
「まあ、十字屋の遊女も食いっぱぐれが無くなりそうでよかったな」
夜見世が始まったため閑散とした広間で戒斗は呟いた。
しかし、吉原の遊女だけでなく、江戸の町や飢饉で地方から売られてくる女性を可能な限り救うという彼の理想はまだまだ途中である。




