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水戸の若様に専売制度などを勧めてみようか

 さて、今日は藤乃の所に水戸の若様が来ている。


 そして俺はまた藤乃付きの禿の桃香に呼ばれて揚屋に向かっている。


「水戸の若様が、戒斗様とお話しがしたいそうでありんすよ」


「ん、わかった今行くぜ」


 とりあえず、俺達は揚屋の藤乃が持ってる部屋へ向かい、座敷に上がることにする。


「三河屋楼主戒斗、失礼致します」


 すっと障子を開けて中を見る。


 そして徳川光圀は食べているものを下げてニンマリと笑う。


「おお、楼主よ来たか。

 この鮭とじゃがいもの塩バターとやらは美味いのう」


 相変わらず変わったものを食べに三河屋に通ってくれるのは有り難い。


「はい、ありがとうございます。

 水戸藩よりケンドン岩(脱硫した石炭であるコークス)を安くゆずっていただいたため冬の間の暖房費が安く上がり助かってます、して水戸の若様に幾つかお願いしたいことがございます」


 水戸藩は元禄以降には財政が大きく傾く。


 原因はいくつかあるが実質的な石高である内高が28万石しかないのに表高を35万石と言い張ったこと。


 これは年の売り上げが14億しかない会社が表面上17億あると言いはったようなものだ。


 当然その差分のつけは農民や藩士に来る。


 そのために年貢が高く農民が困窮したこと。


 そして、禄高は玄米計算ではなくて籾米の計算だったこと。


 つまり籾殻の重さもくわえて米を支給しているわけだから実質的にはその分少なかったわけだ。


 そのうえ藩主が江戸在府なうえに御三家で格式高く交際費が多かったこと。


 さらに「大日本史」を中心とする文化事業に多額の費用を要したことなど。


 外様大名である薩摩藩や加賀藩などは密貿易を行っていたが、貿易を行っていなかったこと。


 まあこれは仙台藩に湊を抑えられていたせいもあるんだが。


 新田や鉱山、運河などの開発に失敗したことなど、原因はたくさんあるんだがな。


 後は本来三河武士は土豪であって鎌倉幕府以来の東国武士は根本的に大規模な田畑つまり農場の経営者だった。


 そして自分の領地の農地と民を命がけで守るのが本来の東国武士なわけだ。


 無論、鎌倉時代末期の畿内などには商業系の武装集団である悪党が出現するし、織田信長はどっちかというとそれ系だと思う。


 しかし、鎌倉幕府や江戸幕府は基本は農業重視だったように思う。


 最も鎌倉幕府の北条氏は全国各地の湊のある国は直轄領としていた事を考えると流通についてはよく考えていたのかもしれない。


 江戸幕府は直轄地を多数持っていて、しかも全国の金山や銀山は優先的に抑えていた。


 徳川家光公はその生涯で500万両使ったそうだが、家綱には600万両残していたらしい。


 しかし、江戸幕府の持っていた佐渡や甲斐の金山は4代目の家綱公の代には枯渇し明暦の大火の被害に対しての江戸の復興などに多額の金がかかるようになるとともに、武断政治から文治政治、武家の官僚化、公家化が進むにつれ、儀式などにかかる費用が馬鹿にならなくなる。


 この後の将軍5代目綱吉公は荻原重秀に検地や佐渡の金山の再生を行わせた後、貨幣改鋳を行わせたことでインフレによって物価が上がり元禄文化が花開いたが、相次ぐ天災などによって経済は混乱し、綱吉公の時代が終わり、新井白石によって元の木阿弥になるわけだ。


 徳川光圀はカカと笑った。


「うむ、申してみよ」


「まずは今月4月の8日に浅草の寺などでも執り行われる灌仏会の祭へうちの吉原の惣名主名義で寺への寄付を行いたいのです。

 むろん吉原の内部でも仏像に甘茶をかけるようなことはしますがあえて、浅草寺への花御堂への寄付を行わせていただければと」


 去年もやったが灌仏会とはお釈迦様の誕生日だ。


 去年はあくまでも美人楼という遊郭ではない店での参加だったからな。


 俺の言葉に徳川光圀は首をひねった。


「ふむ、別に良いのではないか。

 去年とは状況もだいぶ変わっておろう」


「一応、やっても問題ないのか確認しておきたかったのです」


 徳川光圀は頷いた。


「うむ、確認は大切だからな」


 これで今年は遊女も灌仏会に参加できるな。


「もう一つは、水戸藩の財政を良くし現金収入を得るため塩・紙・タバコなどの生産を水戸藩で奨励してそういったものは水戸藩内で専売ないしは吉原にうっていただければと思います」


 俺の言葉を聞いて徳川光圀はしばらく考えた。


「ふむ、それは私の一存ではなんとも言えぬのう。

 用人や勘定方などにも話を聞かねば」


「はい、どうぞよろしくお願いいたします」


 現状水戸藩お財政は厳しくなりつつあるところのはずなんだが、蝦夷との交易などで多少は状況は良くなってるとは思う。


 ただ、財務管理をきちんとやらなければ結局その場しのぎになってしまうんだよな。


 とは言え武家がこういうやり方を嫌ってるのは、田沼意次や荻原重秀などに対する扱いから見ても明らかだし、そううまくは行かないか。


 現状はまだ専売を行ってる藩は少ないしな。


 会津の殿様辺りはこういったことに関してかかなり先進的なんだが、さてうまくいくかどうかだな。 

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