表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

148/317

さて、七草粥を食べたら正月も終わりだ

 さて、正月そうそう売られてきた娘を不憫と見るか、うった側も売られた側も食べ物や薪、炭などの燃料を得られるようになっているのだからマシと考えるかは人次第だろうが、俺はこの娘達が家のために身を売ったことが不幸だと思われないようにちゃんと衣食住や睡眠などに配慮してやるつもりだ。


 吉原の遊女は容姿が良ければ売れるわけではないが、やはり容姿は第一条件であるわけで、それをクリアできただけでもだいぶ運はいいと思うけどな。


 ちなみに俺の見てる大見世の三河屋、西田屋、十字屋に関しては7日までは完全休業。


 皆それぞれ寝て過ごしたり仲通りで羽子板や手毬をしたり、劇場で歌留多や双六や福笑いなどに興じてのんびり過ごしている。


「はあ、こんなにゆっくり過ごせるなんてほんま嬉しいですわ」


 菫がそういいながら雑煮を食べている。


「まあ、遊郭は人商売だからお前さんたちには元気でいてもらわないとな」


「前の見世の楼主はんにも聞かせてやりたいですわ。

 その言葉」


 まあ、その楼主が今どうなってるかを考えると、背筋が寒くはなるがな。


 とは言え因果応報って奴だから同情はしない。


 そんな感じで今年移籍してきた鈴蘭や茉莉花、潰れた大見世から来た菫なども楽しげに他の遊女と遊んでいるし、十字屋の遊女たちにも三河屋や西田屋と同じ待遇をさせてるから、まあ今年はそこそこ稼げるんじゃないかな。


 一方、小見世や切見世の遊女たちは2日目から仕事始めだ、


 小見世の遊女はお得意さんだった大島の南蛮人もバタビアに帰ってしまったから真面目に町人たちとお仕事をしないといけない、まあ正月でも町人たちは皆2日から仕事はじめなので昼間はともかく夜はどっと人がつめかけてるので問題はない。


 日本橋の魚河岸や青物市場でも初売りが行われ、初物好きな江戸っ子が大勢詰めかけて市場はごった返してる。


 江戸城や全国の諸藩の藩邸でもお抱え商人が年明け初めての挨拶を行いながら品物を売り込に行ったりもしているはずだ。


 そして正月早々だが美人楼の絵画コーナーの春画コーナーもごった返している。


 新しい春に因んで正月の贈り物に春画は喜ばれるのだ。


 普通に七福神や宝船などの縁起の良い絵も飛ぶように売れてるぜ。


「いやいや、忙しすぎて大変ですな」


 浮世絵師の菱川師宣やその仲間の摺師なども嬉しい悲鳴をあげている。


 その他に遊女の手製のフクロウ人形と去年に売れ残ったものを組み合わせて”福袋”として売り出した。


「さあさあ、残り物には福があるってね。

 遊女手製のフクロウと一緒にいかがですか?」


「あら、それもいいかもしれないわね」


 そんな感じで正月の在庫一掃セールも好調だ。


 実際福袋って明らかにあまりもんだったりするよな。


 正月の期間であり松飾りやしめ飾りなどを飾っておく「松の内」は7日の朝には門松などを取り払うようにという江戸幕府からの命令で、江戸など関東では元日から7日までが松の内だ。


 京都などでは15日まで松の内だったりするんだけどな。


 まあ場所によっては正月3が日のみで松飾りを片付けてしまう場所もあるが、大阪とか。


 2日は禿や寺子屋に通ってる子供が書き初めを行い、見世では禿が書いたものが広間などみんなに見える場所に貼り出される。


「どうでやんすか、わっちの字は?」


 桃香が聞いてきたがなかなかいい感じだ。


「ああ、上手くかけてるぞ桃香」


「えへへ、頑張った甲斐がありやした」


「わっちのは?」


 同じように桔梗も紙を持ってきて俺に見せてくる。


「おう、桔梗も上手くかけてるぞ」


「よかった」


 まあ、遊女にとっては客あての文を書くことは最低限できないといけないことなので、文字を上手にかけなかったらそもそも遊女になれないんだが、ちゃんとできたら褒めてやるのも大事だからな。


 そして、正月明けの7日は五節句の1つ人日じんじつで七草粥を食べる日だ。


 21世紀でも節句であることは忘れられていても七草粥を食べる風習自体はのこってるな。


 春の七草であるせり・なずな・ごぎょう・はこべ・ほとけのざ・すずな(蕪)・すずしろ(大根)の葉っぱを刻んで入れたおかゆのことだ。


 邪気を払い万病を除く食べ物とされ、正月の雑煮や酒の暴飲暴食で疲れた胃腸を休め、また新鮮な野菜が乏しい冬の緑黄色野菜類の補給の意味でも理にかなった食べ物であるのだな。


 七草粥の風習は奈良時代に中国から伝わり宮中や貴族の正月の行事であったものが江戸時代になって武家や一般にも広まった。


 幕府でも人日の七草粥は公式の行事として行われ、将軍以下全ての武士が七草粥を食べる。

 ほんと江戸時代に広まった風習は多いのだな。


 七草粥は前日の夜から用意しておき、おまじないを唱えながら一種類ずつ刻み粥に加えて食べる。


 ”七草のせり 唐土の鳥が 日本の国に 渡らぬ先に ストトントン”

 ”七草なずな 唐土の鳥が 日本の国に 渡らぬ先に ストトントン”


 などという感じだな。


「さて、明日から仕事だ。

 七草粥を食って今日は体を休めたら

 明日から頑張ってくれ」


「あい」


「わっちもがんばりんす」


 こうやって皆で七草粥をすすって胃腸を休めてゴロゴロしたら明日からは仕事だ。


「さて今年一年も頑張るかね」


 なんか結局たいして正月も休んでない気がするが気のせいだと思おう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ