さてどうするべきかね
越後屋の申し出に俺は一瞬固まった。
「桜を1000両で身請けを?」
越後屋は頷く。
「はい、与力の先生方も皆様、桜太夫を大変気に入られたようですしぜひとも身請けさせていただいて私達の妾とさせていただきたいのですよ。
名高い三河屋の太夫を身請けしたともなればわたしや与力の先生方の名も高まりますしね」
”私達の”か。
俺は越後屋に答えた。
「申し訳ありません。
返事は即決しかねますので返答に日にちをいただけますか」
越後屋は笑った。
「かまいませんよ、ただしできれば早めでお願いしたいですね」
越後屋がそう言って笑うと接待されていた与力もわらった。
「それでは失礼します」
俺は宴席を退出して自室に戻った。
「あらどうしたのですか?
随分と怖い顔ですけど」
部屋に戻った俺を見て妙がそう言って茶を入れてくれた。
「ああ、済まねえな。
実はな……」
俺は桜に米屋の暖簾分けまじかな丁稚の間夫ができたことと、今越後屋から1000両で身請けしたいと言われたことを説明した。
「なるほど、それは誠にめぐり合わせの悪いことですね」
妙はそう言って苦笑した。
「ああ、そうなんだよしかも越後屋には与力が絡んでるから更に面倒くさくなるんだが」
江戸の街における与力というのは奉行の下で働く役人で、江戸市中の行政・司法・警察の取りまとめを行う役割だ。
南町・北町奉行所であわせて50人というエリートで21世紀日本の警視庁なら警視正クラスの権限を持っている上に、民事、刑事における地方裁判所の裁判官と検察官も兼ねてるようなものだ。
俸禄は200石クラスなので現代で言うと年収1000万から800万クラス。
200石というと本来は貧乏旗本で生活は苦しいのだが、江戸の町与力はそのもっている権限から何かもめごとがおこったときに便宜を図ってくれるようにと裕福な商人や町会からの付け届けも多く武士としてはそうとう裕福な方だな。
そして今回の越後屋の三河屋での与力の接待や今回の身請けについても要は接待の1つなのだろう。
与力に金品などを直接届けるだけでなく遊郭などでの揚代を持つことも接待に含まれるわけで、これは21世紀でも土建屋が仕事の関係者をソープやヘルス等の風俗に連れて行ったりもするのは変わらなかったりする。
そういった経費は飲食接待費として経費で落とせるから、接待する側も別に損はしないし接待される側は当然そういった土建屋を優先して仕事を分けたりもする。
21世紀になってもこういった便宜を図るなんてのはごく当たり前に行われてるのさ。
ちなみに領収証の名義はクラブとかで飲食代の名義になってる事が多いぜ。
21世紀ですらそうなんだから江戸時代じゃ接待や付け届けなんて言うのはごく普通に行われてる。
これは権限に比べて実質的な給料が少なすぎるのも原因なんだけどな。
しかも札差は武士の俸禄を米から金に変えたり、金を貸したりしてるから更に立場が強かったりする。
金貸として困窮した下級武士に訴えを起こされても大丈夫なように司法の権限を持つ与力を懐柔しておくのはまあ当然といえば当然なわけだな。
で、この時代の妾は遊女と同じく特に後ろ指を指される存在ではなかった。
妾の場合は正妻や側室と違い籍を入れるわけではないが、男が妾の住居と生活費を支給することには変わりない、そして正妻の許可を得て妾は囲われていた。
男が遊女を身請けして妾にしたり、年季を終えた遊女を妾にすることもあるのだが、むしろ、口入屋を通じて妾は雇われることが多かった。
21世紀でもデートクラブのような会員制で月極の愛人クラブがあるがそれも同じようなものだな。
江戸時代では妾奉公と言うのは女性の一つの仕事でも有った。
口入屋なり長屋の世話焼き婆さんなりがあいだに入って契約の期間と突き当りの給金を取り決め、きちんと契約書も取り交わして行われるものだ。
基本的には衣食住や家事をしてくれる下男や下女をつけてくれるのが普通だったので人気があればけっして悪くない商売だ。
契約は2カ月契約が多く、給金は1両から5両、これは武家屋敷・商家の下女奉公の年俸が2両程度であることを考えればそれにくらべるとはるかに高給なのではあるのだが、問題は身請けされた妾は飽きられれば唐突に家を追い出されることもあるということだ。
実際たまに遊ぶにはいいが妾にしてしまうととたんにつまらなくなって家を追い出されるということは珍しいことではない。
妾を一人で囲うのではなく名目上複数の人間で囲うのは安囲いと言われて5人位で金を出し合って一人の女を囲ったりもする。
「とは言え、与力が関わってるというのが問題なのだよな」
妙は頷いた。
「確かに与力さんの絡んだ話を袖にしたら面倒なことになりそうですね」
俺は妙の言葉に頷く。
「なんせ、自分たちで冤罪をでっち上げて罪人としてさばいたりすることも出来るしな」
厳密には町与力には俺達吉原の人間を裁く権利はないんだが。
もし、桜の間夫の話をしたらそいつが冤罪で捕まって島流しなんてのも有り得る話だ。
「さて、どうしたものかな……」
翌日、接待していていた与力の見送りを終えた後の桜に俺は聞かれた。
「若旦那、わっちの身請け話、どうなさるんですの?」
不安そうに聞く桜に俺は聞いてみた。
「お前さんとしてはやはり年期明けに間夫と一緒になりたいんだろう?」
桜は頷く。
「あい、わっちを一人の女として愛してくれそうなのは清兵衛はんだけです」
俺は桜の言葉に頷く。
「ああ、そうだよな。
ちょっと丸く収まるように考えてみるぜ」
といっても与力たちに機嫌を損ねさせないためにはどうすればいいかなんだがなぁ。
そしてその夜、桜の元に遊びに来ていた真田の殿様に俺は言われたんだ。
「何やら桜太夫を巡って困っているようではないか」
と。




