米屋の奉公人、清兵衛の恋物語
さて、日本橋の米屋の奉公人の清兵衛は今年26になり年季も開けて一年もすれば独り立ちできる年齢になった。
10歳から米屋に見習いの小僧さんとして奉公して、くる日もくる日も米を精米する仕事一筋に行きてきた遊び一つ知らず、まじめ一途の男だった。
その清兵衛が春の花見の季節に体を壊し飯も喉を通らぬと、寝ついているので、親方は心配して医者に見せることにした。
この先生が清兵衛の部屋に入ると彼は布団に入ったまま何やら書かれている紙を見てため息をついている。
そう彼は花見にもち米を団子屋に納入した際の花見の席で見た、吉原の三河屋の桜太夫の儚げな美しさに一目惚れしてしまった。
そして美人楼でなけなしの金で太夫の姿絵を買いそれを持ってはため息をつき、おいてはため息をつき、一目会いたいと思ってはため息をつくばかりで、仕事も手につかないようになってしまったのだ
お医者様でも草津の湯でも恋の病は治せないとはよくいったものである。
それを医者から聞いた親方は半年間キチンと働いてみっちりと働いたら太夫と遊べるだけの金10両を出して太夫に会わせてやると約束をする。
それを聞いた清兵衛はとたんに元気になって寝る間も惜しみ一切の無駄遣いもせずに飯を食って、一生懸命はたらいた。
まあ、米屋の丁稚が飯を食えずに餓死になんてのは外聞も悪いことではありますがねえ。
さて、約束通り清兵衛は半年の間ひたすらがんばって働き、その働きを認めた親方より10両を受取った上に、親方は太夫に会うには身なりも大事と湯屋に行って垢を落とさせ、髪結に髷を結い直してもらい帯や羽織、ふんどしから雪駄まで全部新調した。
「こ、これなら太夫にあっても恥ずかしくありませんかね?」
清兵衛は着慣れぬものを来て、不安そうに言ったが親方は笑っていった。
「おう、立派な若旦那に見えるから安心しろ」
やっと、太夫に会えると張り切る清兵衛だが、あいにく女遊びの一つもしたことのない清兵衛には吉原に行ってどうすればいいかもわからない。
ここで手助けをしたのが医者の先生。
籠に乗れる医者の先生は金回りも良く吉原遊びにも通じていた。
「先生、お願いします」
「どーれー、まあ、わしに任せておけば大丈夫じゃよ」
大見世で遊べるとなればそれなりの金持ちでないと断られかねないと、親方は自分も一緒についていくことにした。
なんせ米問屋は幕府の庇護がある商業の1つでもある。
「まあ、あんまり固くなることはないぞ。
自然体で行けばいいんだよ」
親方はそれなりに吉原にも慣れている。
しかし、真面目一辺倒の清兵衛には頷くことしかできない。
さてやがて三人は吉原の大門をくぐって引手茶屋にたどり着いた。
まずは医者の先生が茶屋の主人に話を聞く。
「今日三河屋の桜太夫は空いてるかい?」
茶屋の主人はニコニコして答えた。
「はい、大丈夫ですよ、遊ばれるのはどなたで?」
そこで清兵衛は手を上げて答えた。
「お、お、俺です!」
茶屋の主人は米屋の親方と医者の先生に揚屋差紙を書いてもらい、無事清兵衛は揚屋に向かうことができました。
「よし、後はお前さん次第だ、頑張れよ」
医者の先生は清兵衛の肩をぽんと叩いて励ました。
「は、はい、先生、親方、ありがとうございます」
そして、清兵衛はまずは宴会場に案内される。
「さあさあ旦那酒をいっぱい飲みなんし」
なれぬ手つきで清兵衛は盃を受け取ってくいと飲み干す。
「いやいや、いい飲みっぷりだね」
やがて、宴会の席が終われば太夫の部屋へ通された。
その部屋で待っているとやがて声がかけられる。
「三河屋揚屋、三河戒斗抱え、桜、はいりんすえ」
夢にまで見た桜太夫との対面を果たして緊張する清兵衛に桜太夫のお供の新造が酒を勧めた。
盃を受けとったものの手を滑らせて盃を落としてしまう清兵衛。
「若旦那はん、大丈夫でありんすか?」
桜太夫は清兵衛の手をじっと見ていた。
そして夜もふけると二人は一つの布団で同衾しやがて朝を迎えた。
そして後朝の見送りの時に桜太夫は聞いた。
「若旦那、今度はいつ来てくんなます?」
それを聞いて清兵衛は正直に答えた。
「俺が来れるとしても半年先なんです。
俺は本当は米問屋の若旦那なんかじゃなくてただの見習いの丁稚。
春先にあなたを見初めて必死にはたらいてかねためて
ようやくあえましたが」
清兵衛の言葉に桜太夫が聞く。
「それはほんにです?」
清兵衛はポロポロ涙を流しながら言った。
「はい、これであなたがどこかのお大尽に身請けでもされたらもう二度と会うこともできません」
桜もポロポロと涙を流した。
「そんなにしてまでわっちを思い続けてくれたんでありんすか。
まっこと嬉しゅうござんすえ。
それに主さんが職人さんであることもわかっておりんしたよ」
「え?わかっていたんで?」
「お手を見ればわかりんすよ。
わっちのててはんも職人でありんした。
お武家や商人とは違う手でござんす。
それに武家や商人もお客はんとはわっちを見る目も違いんした。
あんはんはわっちを一人の女としてみて頂いてる。
只の高級遊女との縁を自慢したいだけのお人ではありんせん
もし若旦那がわっちを思い続けてくれると
いうのでありんしたら、
わっちは来年の弥生15日に年季が明けます。
その時にわっちのことを主さんの嫁にしてくんなますか?」
「へ!!?
太夫が俺の嫁に?」
「信じていただけませんか?」
「いえ、信じます!」
桜太夫は約束にと櫛を清兵衛に手渡しました。
「その櫛をわっちだと思い大事にしておくんなまし」
「はい、絶対に大事にします。
じゃ、じゃあ俺は俺の生命より大事な桜太夫の花見の絵姿を」
そう言って清兵衛は桜に背景に桜が花開く桜大夫の姿絵を桜に手渡した。
「ほんに半年前の姿絵でんな。
ありがたいこってすわ」
桜太夫は吉原の大門まで清兵衛を見送りにきて、清兵衛は見返り柳の前で何度も何度も桜太夫の姿を見返してから、戻っていったのでした。




