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俺が新農法を試した田んぼの収穫は前よりちょっと増えたようだぜ、札差はなかなかいい商売だよな。

 さてそろそろ稲刈りの時期だ。


 俺が6月の田植えの時に田植定規をつかい正条植を行うこととその後の合鴨農法と魚道農法を試した田圃はどうなってるか見に行ってみた。


 稲刈りをしてる農民が俺を喜んで迎えてくれた。


「おお、三河屋さん。

 あんたのとこの田の実りは抜群ですよ」


 俺も笑顔で言葉を返す。


「おお、そうか、それは何よりだ。

 それと、ちと試したいことが在るんでこの冬更に2つ田圃をつかわせてくれないかな」


 やはり、正条植をした上で合鴨農法と魚道農法を行ったのは正解だったらしい。


「ああ、いいですよ。

 その代わり俺たちにも来年田植え定規を貸してもらったりしてもらっていいかい」


 農家のその言葉に俺は頷いた。


「もちろんだ」


 田んぼの実りが良くなるのは基本的には良いことだからな。

 来年は種籾の塩水選別もやってみよう。

 田植えの時の植え付けの間隔を一番効率のよい幅にするだけで実りが良くなるならこれほどいいこともないだろう、田植え定規がないとかなりめんどくさいらしいけど。

 それに合鴨は冬の時期には食材としても重宝するしな。


 さて、冬の田圃をそのまま放置しておくのはもったいないから1つはレンゲを植えてミツバチの蜜源にし、もう一つはバイオトイレの堆肥をまぜんこんでから大麦を植えてみる、更にもう2つ田圃を新しく借りてそこではバイオトイレの堆肥を混ぜ込んで大豆と菜種を植えてみる。


 二毛作は土地が痩せる欠点があるが、ただ遊ばせておくのももったいないしな。


 肥料はバイオトイレのおが屑堆肥があるからそんなに問題はないとおもう。


 さて、田圃の方は作業は農民に頼むからあとはとりあえずおいておいて本業に戻るとする。


 最近の桜のお得意さんに札差や幕府御用達などの特権商人がいて、最近は中級の役人の接待をしてることも多い。


 札差というのは幕府から旗本・御家人に支給される米を受け取り、其れを運搬して売却し、手数料を取るのが正式な仕事なんだが、その他に、支給される蔵米を担保に高利貸しを行い、その利息で財を成して江戸時代の江戸の金持ちの職業の一つとなった。


 札差の札とは幕府から発行される米の支給手形のことで、蔵米が米を支給される場所でそれを竹串に挟んで御蔵役所の入口にある藁束に差して順番待ちをしていたことから、札差と呼ばれるようになったらしい。


 で、江戸時代も平和になってきて、旗本の金銭的な余裕がなくなり始めていたから、それにカネを貸す札差はとりっぱぐれがないいい商売だったわけさ。


 なんせ旗本・御家人と言うのは公務員みたいなものだからな。


 この時代には甲斐や佐渡の金山の金はほぼ掘り尽くされ、金貨などの通貨の供給量が増えなかった。


 しかし、江戸時代初期は田畑の開墾や技術の改良が進むとともに全国的な流通網が整備されて、米の流通量は急激に増えた。


 また流通が発達することによって、遠隔地の米も各地に運ばれるようになった。


 しかし、旗本・御家人の給与である米の支給量は上がらない。


 それにより供給過剰になりこの時代の基本的な通貨である米の価格が長期的に見れば下落することで、武士の生活はどんどん苦しくなるわけだ。


 単純化すれば21世紀の農家の豊作貧乏と似たようなものだな。


 で、旗本・御家人は米を幕府から米の現物でもらいながら、そこから自分たちが食べる分を差し引いて、残りを札差に換金させるわけだが、たとえば50年前は米一石が10両だったものが、現在では米一石が5両になってるとすれば実質的には給料がどんどん目減りしてるようなものだ。

 無論飢饉のときなどは米の値段が爆発的に上がることも在るので一概には言えないんだがな。


 どうせ日々の生活には銭が必要なんだからもともとの給料を銭にすればよかったんだとは思うがそのあたり神君大権現様が何を考えていたのかは良くわからん。


 まあそれはともかく、札差のような幕府相手の商人にとっては奉行や与力、同心のような実際に自分たちに影響力を持つ幕府の実質的な権力を持つ人間を接待するために吉原というのは使われるわけだ。


 これは21世紀でも料亭やソープが接待に使われるのと同じようなものだな。


 とは言え幕末に徳川幕府が倒れ、それにより旗本・御家人に蔵米が支給されなくなると当然札差は廃業に追い込まれみんな没落するんだが。


「これは越後屋さん、いつもご贔屓していただきありがとうございます」


 札差の越後屋は悪そうな顔で笑う。


「いやいや、吉原の三河屋さんといえば御三家御用達の遊郭と有名ですからな。

 お奉行様や与力様にも大好評ですわい」


 そう言って越後屋はガハハと笑う。


 これからの時代大名や旗本よりもこういった札差や魚や青物、材木、呉服の大問屋が相手になっていくだろうから大切にしないといけないんだろうけど、なんか寂しいもんだな。


 まあ、京都の島原の遊女が公家や皇族を相手にするといっても実際には商人が金を出していたのと同じだと考えればいいんだろうけどな。


 そうでもなきゃ武士よりもよっぽど困窮していた皇族や公家が遊郭で遊べる訳がない。


 まあ大阪の場合はそもそも商人の街だし、長崎の丸山の場合は唐人屋敷があるというのが太夫が存続できた理由だろう。

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