吉原の各見世について料金や切り廻しの統一しようか
さて、小見世を持ったことで、なんとなく分かったことがある。
やはり、小見世は客を一日に複数取らないと厳しいということだ。
後もう一つ思ったのが料金だな。
俺は妙や熊にちょっと聞いてみた。
「やっぱ吉原でつかえる通貨が切見世を除いて金だけなのは良くないんじゃないかと思うんだが
お前らはどう思う?」
妙は首を傾げた後言った。
「そうですね。
確かに最低限2朱、1朱と言うのは高く感じるのかもしれません」
熊も同じ意見のようだ。
「そうですな、お内儀さんの言うとおりだと思いますぜ。
金なんて普通の町人はあまり使いませんからな」
俺は二人に意見を聞いて苦笑した。
「まあ、そうだよな」
江戸時代の通貨は金(大判、小判、一分判、一朱判)、銀(丁銀、小玉銀)および銭(通宝)の三種類からなる。
紙幣については藩札として藩の中の領域のみで通用するものはあるが、全国で通用するものはない。
この貨幣制度を整えたのは徳川家康でそれまでは、全国的に通用する貨幣制度と言うのは整備されておらず、市場でも基本的には金銀の重さを計りで計って物品と交換していたり物々交換もまだまだ多かった。
まあ、取引相手が農民の場合は手習い所や肥取りの報酬が野菜だったりはするんだけどな。
まあそれはともかく、銅貨である銭は日本では奈良時代から鋳造されていたが、通貨に含まれる銅の割合がどんどん減って粗悪になるに連れて通貨としての信用を失い、結局物々交換に戻ったところで平清盛が宋から銅銭を輸入して通貨として利用するのだが、西国の飢饉で食べ物が手に入らなくなると銅銭の価値が損なわれたりしたりもしたが、基本的な通貨としては利用され続けることになる。
しかし、戦国末期に織田信長などが商業を保護し海外との貿易も大きくなると、大口の取引に金銀を使用するようになり、物々交換ではない貨幣経済が商人を中心として発展し、金屋および銀屋といった金銀の精錬および両替を行うものも現れ始めた。
実際江戸幕府は貨幣の鋳造は特定の金座銀座の商人に委託しているな。
徳川家康が金の貨幣単位である両を基軸とするこの貨幣制度を構築し始めたのは関ヶ原の戦いの直後の慶長5年(1600年)からだ。
まあ、銀山は西国に多かったため銀貨の整備は金貨よりもだいぶ遅れ、銅銭も宋銭などが流通しなくなって寛永通宝が充分に行き渡ったのはつい最近だったりするが。
もっとも、各藩では独自の領内通用として鋳造を命じた金貨および銀貨である領国貨幣の流通がまだまだ並行して行われていたりもする。
まあ、江戸は幕府直轄の天領なので、領国貨幣はないけどな。
で、この金貨・銀貨・銅貨に対して基本は金一両は銀50匁で銅4貫文つまり4000文というのが基本なのだが実際にはその流通量や硬貨に含まれる金・銀・銅の割合によって互いに変動相場で取引されるので、両替商という金融業が発達するわけだ。
ファンタジー世界なんかだと金貨一枚が銀貨10枚で銅貨100枚みたいな感じだったりするが、江戸時代ではそれほど単純じゃないってことさ。
まあそれはともかく、金というのは本来大口の商取引に使われるものであって、一般的にはさほど使われているものではない。
細かい外食などの商売では銅銭が多いがそれなりの価格のものである場合は銀が使われることが多く、実際遊郭の値段も後々銀何匁という単位に変わっていった。
「銀のほうが値上げや値下げ、割引をするにしても細かく出来るからな」
例えば前回の大見世の値上げをした時は金一分の値上げだった。
一分は四分の一両でおおよそ2万5千円。
そりゃそれだけ一気に値上げしたら客も離れるわな。
それに対して銀一匁がおおよそ2000円だから銀の単位ならそこまでいきなりの値上げとかにもならないと思う、まあ銀の場合は5匁ないしは3匁を一単位にすることが多いんだが。
後は小見世などに関しての切り廻しだな。
客から金を取っておいて禿を名代に回したり下手すれば誰も行かない振り廻しや振りが良いことじゃないのは当然だが、小見世の値段じゃ廻しをしないでちゃんと稼がせるのも難しかろう。
なら、芸者や切見世のように時間単位で一切りいくらとしたほうがいいだろうな。
21世紀のヘルスやソープでは1時間単位や15分単位で料金が変わるのは普通のことだがこれは時計やキッチンタイマーのような時間を図る道具が安価に手に入るようになったのも大きいのでちょっと難しい。
「まあこのあたりは総会で話し合いもした方がいいか」
俺は大見世、中見世、小見世で人を集めて話し合いをすることにした。
とは言えある程度の草案は決めておくがな。
大見世
太夫 昼金1両・夜金1両一分
格子太夫 昼金3分・夜金一両
格子 昼金2分・夜金3分
新造 昼金1分・夜金2分
無論座敷の代金などは別
夜が高いのは宿泊費込みのため
中見世
散茶 一刻(2時間)金2分か銀25匁
泊まりの場合は別途追加料金として金一分か銀12匁
小見世
並局 二切れ(一時間)金一分か銀10匁
五寸局 一切れ(30分)銀5匁
三寸局 一切れ(30分)銀3匁
泊まりの場合は別途追加料金として銀5匁
いずれの見世も金を貰った後の振りや振り回し、廻しは禁止とする。
「まあ、こんな所かね」
切り見世に関しては個人で価格が違うのであえて決めない。
切見世の価格は一切り100文が多いが、年期明けで行く場所がなく独立して店を構えた切見世所の女郎は2朱と言うものも居るし、その他にも200文というものもいれば、50文というものもいる。
切見世の女郎はそれこそ年齢から容姿まで様々なので一括りには言えないわけだな。
切見世の女郎というと悲惨な境遇なものが多いが、年季が明けて見世から解放されのんびり稼ぎながらお得意さんを相手にしていた女郎などもいたりするのだな。
俺はまず三浦屋や山崎屋に草案を見せた。
「お前さん達に聞きたいんだが今後見世の料金体系はこうしていきたいと思うんだが見てどう思う?」
三浦屋は頷いていった。
「ああ、いいんじゃねえか。
大見世は夜の料金は今のまま昼は見世に宿泊しねえ分だけ安くするってのは
合理的だと思うぜ」
山崎屋も頷く。
「まあ、いいのではないでしょうか。
西田屋さんやその仲間の見世がどうなっているかを見れば振りや振り回しは信用を損ねるだけでしょうからね」
そして、俺は西田屋の三代目や玉屋、蛍狩りの時に参加した中見世などの連中に根回しをした上で、後日総会所に大見世連中や中見世、小見世の代表を集めて俺の草案を見せた。
「というわけで今後この紙に書いたとおりにしていきたいと思うがどう思う?」
予め根回ししていた連中は予定通り賛成してくれた。
「ああ、私はそれでいいと思いますよ」
「ああ、俺もだ」
西田屋のやり方にいまだ固執していた連中は何か言いたそうでは有ったが総会の最中は何も言わなかった。
そして、賛成多数でこの議案は可決された。
そしてその後、西田屋のやり方を未だにしている大見世の店主たちを残して言う。
「お前さん達、今月の冥加金がまだ支払われてないんだがどうなってるんだ?」
「実は、売上がなくてもう冥加金を払える宛がねえ」
「なので、俺たちの見世はもう無理だ」
やれやれ前のやり方を続けてたらそうなるのがわかっていただろうにようやく現実がわかったか。
「分かった、お前さんたちの見世の女郎は俺達で引き取るなり中見世に預けるなりするとしよう。
若い衆は口入れ屋に戻すしかねえがな」
女はともかく男は人足なんかの働き口はあるからなんとかなるだろう。
まあ楼主達やその内儀はこれから大変だと思うけどな。




