01.村職員就任! その1
祖母が亡くなった。
介護のために孫のエリが祖母の住む村に引っ越して一ヶ月後のことだった。
祖母のキヨ子は歳なりの衰えはあったものの、前日まで元気だった。
しかし朝、いつもは早起きの祖母が朝食の時間になっても起きてこない。
心配になって寝室を見に行くと、祖母は布団の中で冷たくなっていた。
享年、八十六歳。
大往生といえるだろうが、エリにとってはあまりにも突然の別れだった。
百田エリが住んでいるのは、山間の小さな村だ。名を寒梨村という。
超弩級の田舎で、人口は祖母曰く「十人くらいかのぅ」という限界集落である。
そんな寒村寒梨村には当然医者など常駐していない。
だが隣町のクリニックが訪問診療をしてくれている。携帯はしょっちゅう圏外になるが、その時は運良く一回で繋がり、かかりつけ医の先生はすぐに来てくれて、祖母の死亡を確認した。
「多分、苦しまなかっただろう」という先生の言葉は傷心のエリの救いになった。
村には火葬場もない。
火葬場は近くの市まで行かないとないのだが、その手配は、茫然自失のエリに代わって、村にある寺の住職がやってくれた。
村には葬儀屋もないので、村で人が亡くなると住職が葬儀屋を兼任するのだそうだ。
親族であるエリがやらなければならないのは、キヨ子の死亡届を役場に提出することだったが、寒梨村には村役場もない。
寒梨村の行政は近くの市の管轄だ。
祖母が死んだ翌日、エリは車に乗り込み、一時間半かけて南徒市の市役所に行った。
窓口にあった記入例に従い、死亡届を書く。
年金と健康保険は後回しでも大丈夫だが、日本の法律では、死亡の届け出がないと火葬許可証が貰えない。つまり、葬式が出せない。
「おかけになってお待ちください」
「はい」
無事戸籍課に書類を提出したエリは近くの椅子に座り、順番を待った。平日の昼下がりだが、市役所はそこそこ混雑している。
エリが呼ばれるのは、少し先になるだろう。
「……ふう」
エリは小さくため息をついた。
市役所に来たのはこれで二回目だ。一度目は戸籍の隣の窓口に住民票の転入届を提出しに来た。
まさかこんな短期間でもう一度来ることになるとは思わなかった。
心のどこかが麻痺しているようで、悲しいのに涙が出てこない。
「番号札百番の方、百田さん、一番窓口までお越し下さい」
エリの時だけ奥の方から出てきた男性が対応したが、特におかしいとは思わず、エリは窓口に向かった。
眼鏡を掛け、スーツ姿のその男性は神妙に頭を下げてきた。
「この度はご愁傷様です」
「ありがとうございます」
「手続きは以上です。死体埋火葬許可証をお渡しします。こちら、火葬場で必要となる書類ですので、大切に保管してください。なお、お亡くなりになったことが住民票に反映されるまで、お時間をいただきます。戸籍のデータが書き換わるのは通常ですと……」
男性は一通りの説明を終えた後、エリの顔を何か言いたげな表情で見つめた。
「あの、百田さんは寒梨村にお住まいですね?」
「はい。引っ越して一ヶ月しか経っていませんが……」
エリの返事に男性職員は思わずといった様子で身を乗り出した。
「つまり、百田さんは現在あの村に住んでいるのですね」
「はあ……」
エリは困惑しながら頷いた。
もしかして村人だと市民とは違う手続きをしなきゃいけないのかも、とちょっと不安になる。
「失礼しました」
エリの様子に男性職員は我に返ったようで、眼鏡をくいっと指で押し上げ、詫びた。
「ご心痛のところ、大変恐縮ですが、いくつか質問してもよろしいでしょうか」
「はい……」
そう言われて断れる人がいるだろうか。少なくともエリは無理である。
「現在、百田さんはお勤めしてないようですが、失礼ですが、就職先はお決まりで?」
「……いいえ」
いずれは働くつもりだが、今は無職で貯金を切り崩している状態だ。
「そうですか。今後なんですが、このまま村にお住まいの予定ですか?」
男性職員にそう聞かれて、エリはうつむいた。答える声は自然と小さくなった。
「しばらくはそのつもりですが……」
正直にいうと、先々どうしたいのか自分でもよく分からない。
寒梨村に来たのは祖母と一緒に暮らすためだ。その祖母が居なくなって、エリは村に住み続ける理由を失ってしまった。
祖母は父の母親だが、父が子供の頃には既に村は人口が減っていて、村内に高校はなかった。進学のため、父は村を離れ、その後は村で暮らしていない。
父は帰省は欠かさず、結婚してエリが生まれてからは、家族揃って年に数回、必ず村を訪れた。
だが、それもエリの両親が交通事故で亡くなる前までのことだ。
両親を亡くした後は、学校、卒業後は日々の生活でいっぱいいっぱいで、自然と足は遠のいていた。
村で暮らした経験がないので、知り合いもほとんどいない。
冷静に考えると、祖母のいない寒梨村は単に不便な田舎村である。
だが、村には祖母の家も残っているし、村にいたい気持ちもある……。
ぐるぐると思い悩むエリに男性職員が言った。
「もしご興味がありましたら、市職員として働くことをご検討頂けませんか? ただいま市では寒梨村の会計年度任用職員を募集中なんです」
「えっ」
思いがけない言葉にエリは思わず顔を上げた。
「会計年度任用職員というのは、昔で言う嘱託職員です。非正規雇用職員としての採用となりますが、市では正規職員への登用制度を完備しております。個人個人のニーズにあった働き方を提案する長く働ける職場です」
「は、はぁ」
「このまま寒梨村でお住まいになり、市の職員として働いてみませんか?」
「あの村で、働く?」
「お祖母様を亡くしてすぐに結論を出すのは難しいと思います。ですが是非前向きにご検討ください。申し遅れましたが、私、こういうものです」
と彼は名刺を差し出した。
エリは名刺に書かれた名前を読み上げる。
「地域振興課の栗原さんですか」
「はい。百田さん、お祖母様のご葬儀はいつのご予定ですか」
「明後日です」
「では、ご葬儀が済みました後、落ち着かれましたら、一度お話だけでもさせて頂けませんでしょうか」
***
エリはその後、また一時間半かけて寒梨村に戻った。
「エリちゃん、お帰り」
エリを出迎えてくれたのは、隣の家の老婆、井村小豆だ。
「井村さん、ありがとうございます」
井村は、エリの留守の間、祖母についていてくれた。
祖母とは仲が良かったご近所さんだ。
「じゃあ、わたしは失礼しますよ。なんかあったら呼んでな」
「今日は本当にありがとうございました」
井村が帰り、エリは家に一人になった。
井村はおにぎりを作ってくれていた。
ありがたく、エリはお茶を淹れ、茶の間のちゃぶ台に座り、梅干しの入ったおにぎりを頬張る。
「……」
開けっ放しになっているちゃぶ台の襖の向こうは仏間になっている。
エリはそっとそちらを覗き込んだ。
祖母の亡骸は、仏間で静かに眠っていた。
山に近い寒梨村は市より涼しいが、夏場は葬儀まで家に置いておけないと聞いた。
今は春。明後日までは、祖母と同じ家で過ごせる。
家には、まだ祖母がいる。
神秘的な意味ではなく、この家のあちこちに祖母の痕跡が残っているのだ。
朝になると開けていた障子。
台所の棚に並ぶ、梅干し瓶。
いつも座っていた座布団。
ちゃぶ台に置かれたお茶セット。
どれも、昨日まで祖母が触れていたものばかりだ。
生きているというのは、きっと記憶のことだ。
死とは、人や物からその記憶が少しずつ薄れていくことなのだろう。
エリはそれを知っている。両親を亡くした時に、痛いほど思い知った。
今はまだ、祖母の声も、歩き方も、笑い方も鮮明だ。
けれど時間が経てば、曖昧になっていく。
記憶を留めておくことが、どれほど難しいか、エリは知っている。
だからこそ、この家に残る祖母の痕跡が、今はただ愛おしかった。
「……よし、決めた」
エリは天井を見上げて、小さくつぶやいた。




