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プロレスラー養成学校の日常~メヒコと僕とルチャリブレ  作者: 佐野和哉
#2014年の松山勘十郎

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5.たったふたりの夜明け前

 勘十郎さんから大衆プロレス松山座の旗揚げを打ち明けられたとき、同時に〝ある使命〟について打診をされた。決して僕じゃなきゃならなかったとは思わないし言うつもりもないけれど、たぶん当時の勘十郎さんにとって僕は物理的な距離はともかく、間柄でいえば最も頼みやすい人選ではあったのではないかな……とは思う。

 簡単に言えば「毎回ではなくても良いので公演の準備や撤収などを手伝ってほしい」ということだった。小さな団体や自主興行では選手も関係者も一丸となって準備を行う。でもそれは会場入りしてからの話で、その前の段階のことは各自で行わなくてはならない。

 選手として出場するための持ち物にくわえ、これからは公演開催時に必要な資材も運ばなくてはならない。が、勘十郎さんは自動車を所有していなかったし、会場が事務所から近い生野区民センターであったとはいえそこまで手運びしていてはとても間に合わない。そこで僕の出番だ。二つ返事で引き受けた。そして松山座旗揚げ前の11月30日開催の松山流女子祭典が僕の初仕事だった。

 再び愛車ステップワゴンに乗り込み今度は大阪目指して走り出した。

 2014年11月29日のことだった。


 伊勢湾岸道と東名阪ひがしめいはんで三重県の亀山ジャンクションまで。まだ新名神が繋がってなかった。夕方の帰宅ラッシュで渋滞してた。夕暮れた空、影絵になった工場や看板、車内ではMR.BIGが流れてた。時々ラジオで交通情報も聞いてた。亀山から25号線の名阪国道、伊賀までは以前に来たことがあった。そして今回も同じ友生インターで降りることになった。なぜ?

 台車を忘れた。

 どこでそれに気づいたんだっけか、荷物を運ぶ用の台車を忘れてしまったのだ。

家で使ってるのがあるから持っていきます!

 と言った手前、無いとは言えない。それにもう明日現地で調達している時間は無いかもしれない。何もかも初めて尽くしで手探りどころか暗闇の中を歩くような状態で、神経は昂っているのに行動も思考も追いつかないというかまとまらない。ずっと空転と過熱が収まらない感じ。伊賀市内にあるホームセンターやデパートを見て回ったがホームセンターは既に閉店時間。ぎりぎり開いてた小さなデパートにも見つからなかった。仕方がないので、明日コーナンに行こうと思ってまたバイパスに戻り、奈良県に入って西名阪に乗った。


 生野区の事務所近くにタイムズがあった。あの時分は24時間700円と近在では最も安かった。狭い路地を奥まで入らねばならず、また月ぎめ契約のレーンも多かったが不便な場所だからか空いていて、以後来阪時の定位置になった。

 事務所がある建物まで数百メートル。喫茶店やスーパー、お肉屋さんの前を横切る。そしてエレベーターに乗り込む。小さな細長い箱の中には公共住宅独特の匂いが立ち込めている。ドアが静かに開く。部屋の前に着く。なんと部屋の外には台車がある。安堵しつつチャイムを鳴らす。


 あの時の勘十郎さんの顔、なんともいえない、高揚と疲労と緊張の入り混じった瞳の奥で情念の炎だけが赤々と燃えていた。だけどいつもの変わらない松山勘十郎さんが、そこに居た。


 事務所の中には翌日のために用意された荷物が積みあがっていた。

 だけどこの時まだ、僕は勿論のこと勘十郎さんでさえ何がどれぐらい必要かざっくりともわかっておらず、実は全然いらなかったものも積み込んでいたとわかるのは何回か同じ作業を繰り返した後になる。

 勘十郎さんはというと事務作業が残っており、それをコツコツこなしているところだった。ひとまず僕の持ってきたコカ・コーラ(勘十郎さんの大好物だ)で乾杯し、作業の続きに掛かる。僕も荷造りを手伝う。試合用の衣装や道具は全て用意されているので明日、積み込むだけ。資材やテープにスプレーなど、それと売店に並べるグッズ。Tシャツにタオルだけでも種類があって、さらに各色あって、これまで発布された公演絵巻(DVDのようなもの)も数種類。もちろん9月の新潟公演のもある。さらに当日の公演小冊子いわゆるパンフレットもずっしり重たい。

 これらをコンテナボックスやケースに詰めて、車に運び込んでおく。事務所とタイムズを数往復。台車があって助かった。聞けば用意しておいてくれたとのこと。あとは当日の朝に積み込むことにして、とりあえず休ませてもらうことになった。仕事終わってそのまま大阪に着いて作業して、気が付いたらフラフラだった。でもなんだか楽しかった。ああ、インディープロレスやってんな! って感じがして。

 気が付いたらひっくり返っていた。おぼろげな瞼の向こうで勘十郎さんはパソコンに向かい作業を続けていた。


 翌朝、起きて身支度を済ませると車まで往復して最後の荷積み。

 そして区民センターに向かうと荷物をホールに移して今度はイスとテーブルを準備する。リング屋さんが来る前に済ませておかねばならず、図面を見て椅子を並べ、さらに選手の物販とリングアナウンサーのいる本部席を作る。

 今考えても良く間に合ったなと思う。

 これ以後、荷物の搬入とイスやテーブルの準備は前日夜になった。置ける荷物は置いてグッズも並べておき、車も事務所の前に横づけるようにした。狭い路地の輪をかけて狭いT字路にバックで入るので毎回ヒヤヒヤだった。邪魔なとこに電柱あるし。

 念のために入れてきた空のコンテナは数回やっても使わなかったし、大きなコンテナボックスも回を追うごとに減っていった。

 本当に最初は事務所と区民センターをステップワゴンいっぱいで3往復した。僕が車から事務所に持っていって、を延々繰り返す。撤収一発目は僕だけが走った。勘十郎さんは会場で作業中、僕は積めるものだけ積んで車と事務所を行ったり来たり。次と最後は二人がかりだ。僕の運んだものを勘十郎さんが事務所で受け取って元の場所に戻したり、後片付けが必要なものはよけておく。

帰りは差し入れも頂いているのでさらに荷物が増えて、嬉しい悲鳴だった。

 最初は勘十郎さんと僕だけだった。試合前も試合後もイヤな顔一つせず、僕を気遣いながら率先して作業する大きな背中を今でも覚えている。


 ちなみに出納の分野だけは別の方にお手伝いをお願いしていたらしく、初対面の女性だった。そして今後長いお付き合いになる。黒くつやつやした髪の毛に透き通るような白い肌、くりくり動いてよく気が付く眼差し、甘く澄んだ声。それとは裏腹にとっつきにくくてクールな仕事できるお姉さんだなと思っていた……実際その仕事ぶりは松山座に欠かせない逸材であったが、クールな印象は割と早いうちに覆り、ちゃんとダメで親しみやすい人だということもわかってくるのだ。

が、それはまた別の話。



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