どちらが真であり正統であるか
自分の体温が下がっていくのを感じジーナは反射的にルーゲンから顔を逸らし、心中で恐れと怒りが湧いて混じった。
どうして聞いてくるのか、いや聞くのは当然であるというのに、なぜこのタイミングで聞くのか、それとは遠くに、離れたかったというのに。
「……はい」
手が震えコップの茶が少し零れ指にかかるも、熱を感じないのも異常である上に、声もまた怒りが含んでおりジーナはまだルーゲンの顔を見ることができない。
返事は、来ない。奇妙な沈黙が部屋を満たしている。ルーゲンはなにをしているのか? 何故何も言わないのか? ジーナは確かめようともせずに窓から見える空だけを見つめ、思う。自分はなにを望んでこんなことをしているのだと。
私は罪を犯してなどなく、ルーゲン師に対して顔を背けることなど何も、なにも……ほんとうに?
「珍しい鳥でも飛んでいるのですか?」
声に驚きジーナが顔を前に戻すとルーゲンも窓の方へ顔を向けていた。
「いっいえ、これは」
「うん? 違うのですか? 突然黙って窓を見つめだしましたから何かなと思って私も見たのですけど、では何を?」
「それは、その、生きて、そう生きていることを確認するためにこうして空を見まして」
「なるほど病床から空をよく見たからでしょうね。生きていなければ空を見ることはできない、それは正しいですよ。空もまた龍の力によるもの。龍の力によって治癒された君は龍身様の徳に触れたために、ここにこうして大急ぎで来たわけですね。世界の秩序を学ぶために」
自らの言葉に感じ入ったのかルーゲンはしきりに頷きジーナを置き去りにしながら感じ入っていた。そうだこれなのだ、とジーナは思い出した。師はこのような方であり龍身の力の話をただ聞こうとしているだけであるのに、何故自分は違うことを考えたのか?
夜、龍身が護衛を、治療した。これ以外のことをルーゲン師は知るはずもなく、また知る必要もなく、知ってはならない。
このルーゲン師には、という考えに頭が支配されているのだとジーナは想像する。
「御怪我の具合は良好ということですね」
「はい。おかげ様でなんとか助かりました」
「龍身様が直々にお出でになられるとは滅多にない場合ですね。過去には将軍職のものや親族のものに対しての例が殆どでありますが、今回の護衛・側近の例は僅かにある程度ですが、ジーナ君はその例に列なったわけとなりましたね。いまは非公開にするしかありませんが僕が後々にこっそりと公文書に記録しておきましょう」
半ば軽口ながらもルーゲンの様子は落ち着いておりジーナが心配していた変化は、無かった。
「しかし君だからということもあるだろうな」
その言葉にジーナのあの胸の箇所に痛みが走る。
「これが他のものであったらこのようなことはなされない。治癒の力は自らの身体に痛みを引き受ける行為である以上、危険なものであり行うに当たっては会議を開く必要があるが、今回は独断で行ってしまった。事はそれほどの行為であったのです。つまりはです。このことは龍身様が君を特別なものだと見ていることの何よりの証拠といえます」
ルーゲンはコップを手にとり口に茶を運ぶ動作をジーナはどうしてか注視していた。そこに震えはないのかと。自分のような動揺は?
しかしルーゲンの動きにそのようなものは一切なく、ジーナの方こそまだコップを宙に浮かしたままであることに気づき慌てて口に運ぶほどであった。
「君はそのことについてどう思われますか?」
ジーナはまだ熱い状態である茶を一気に飲み干す。それがルーゲンの言葉であるように。
「あの晩に龍身様がいらしたことについて」
体内に入っていった茶の熱さを感じないままジーナはルーゲンの目を正面から見つめながら言った。
「……あの方がいらしたことについてですけれど、私が龍を信仰していないからではないでしょうか?」
ルーゲンの美しい顔が歪みそれからすぐ真顔に戻り徐々に笑顔へと変わっていく様をジーナは眺め、その心の流れからどうしてその笑顔へと到達したのかが分からなかった。
「自分を否定するものを大切にすることなどありえるのですか。それは矛盾では?」
自分が否定するものを大切にすることはありえるのか? ジーナは自らに問いを重ねヘイムのことを考える。そうだそれは
「ありえます。そもそもこの戦争の目的は龍を討つことでありますよね。しかしルーゲン師並びにソグの人達は全員龍を信仰していらっしゃる。討つというのに崇める、これこそ矛盾というものではありませんか?」
自分の言葉がどれほどの禁忌に触れているのかぐらいは分かっている上に、相手はいわばその信仰の代表選手だということすら理解していながらジーナの足は線を踏み越え手を中に突っ込み、全身をその禁断に入り、浸る。
ルーゲンの笑顔は変わらない。増えもせず減りもせず、かといって歪みもズレもなく大きさの違う左右の眼はそのままで、ある種の美しさを維持していた。逆に頑なまでにその心を維持しているかのように。
「その発言を僕は問題視しません。それから僕はあれは偽の龍だからという論法には逃げ込みませんから安心してください。僧団上層部でもそこの深い議論を避けていますからね。みんな薄らと偽龍論の欺瞞には気づいてはいますが、考えることはしません。そうすれば矛盾だと思わずに済む。我々の龍が真であり、中央の龍は偽りであり、ソグ山における龍戦によって正統はこちらにあると正銘したと結論付けている。公式にはそう結論づけている。ですけどねジーナ君」
空になった両者のカップにルーゲンは茶を継ぎ足し互いに何も言わずに茶を飲む。今度こそ味が分かり、そしてそれは濃く苦い味であった。
「どちらが真であり正統であるかなのかは、誰にも分かりません。僕にもです。もちろん僕としてはこちらの龍を絶対的に真であると信じておりますが、厳密に学問的に考察をしますと、不明としか言いようがありません。信じるとは学問的態度ではないのが苦々しいですけどね」
「ごく単純に勝った方が正統ということにしたらいかがです?」
「竹を割ったようなその単純な考え方は僕は嫌いではありませんよ。僧団からしたら言下に否定すべき言葉でしょうが、目下のところ我々の行っていることはそれですからね」
「もしかして龍祖によるかつての戦いも今と同じ状況なのではないでしょうか?」
心なしかジーナは声を小さく潜めて尋ねた。ルーゲンは反応を示さない。
「どちらが真であるか偽であるのかをめぐっての」
「僕を信頼してくれているようですねジーナ君。でも今の言葉は一線を超え過ぎているよ」
そうは言うもののルーゲンの表情は変わらずにいる。気にしていないということか?
「あなたも私を信頼していますよね。さっきも真偽はどちらか分からないと言ったのもそういうことで、立場上まずいのに」
「立場を言うのならあなたが僕を陥れることは不可能ですが逆は可能です。生殺与奪の権はこちらにありですよ。もっともそんなことをしたら野に新たな敵を生み出すだけですからしませんけどね」
「ここまでの話を聞きますと、ソグ僧団の役割とはつまり真偽不明の龍を真だと証明するために誕生したものではありませんか?」




