あなたの正体が誰であったとしても。
アロイス目線のお話です。
最終回です。
扉の向こうから使用人たちが騒ぎ立てる声がする。
(思った通りだな)
冷静さを失った堅物ほど厄介なものはない。
面倒だなと思いつつ使用人に代わり入口の戸を開けてやると、怒声を上げながらイザーク卿が執務室に飛び込んできた。
「アロイス!!! お前がいながら何をしているんだ!!!」
遠征先から館に戻りそのまま上がってきたのだろう。長靴は泥で汚れ外套は砂埃で真っ白だ。
まさか主人の前に旅装のまま現れるとは……。
「イザーク卿。落ち着け。見苦しいぞ」
「落ち着いていられるか!!」
イザーク卿の無骨な面は怒りにとらわれ額には青筋が立っている。かつて大陸を震わせた『戦場の悪鬼』の再来か。
見上げるような大男が激怒しているのだから、禍々しいことこの上ない。
(これは流石に俺には手に負えんな)
そもそも感情を制せない堅物な男ほど煩わしいものはない。
「アロイス! お前の……」
「イザーク。アロイスは手を尽くしてくれたのよ」
夫の心情を察したコニー様が静かに言葉を遮った。あえて平穏を装い夫の頬に掌を添える。
「お帰りなさい。任務ご苦労様でした。全身泥だらけね。すぐに入浴の準備をさせましょう」
イザーク卿は目を閉じて首をふり、
「コンスタンツェ、私のことなどはどうでもいいのです。留守中に子供たちが誘拐されかけたと聞きました」
「ええ……。でもね、幸いなことに大事には至らなかったの」
領兵とアロイスのおかげですべて敷地内で対処できたわとコニー様はハンカチでイザーク卿の汚れた頬を拭う。
「それで不埒者はどこにいるのです?」
「牢獄の中よ。決して逃げられないように厳重に監視もつけてる。安心して」
イザーク卿は腕組みをし深い息をついた。
「私がいないというだけで、こんな不祥事が起こってしまうのは問題がありすぎる。検証をして参ります」
「ダメよ。イザーク。確かに警備の再考は必要よ。だけど……、あなた衛所ではなく牢に行くつもりでしょう。カミラの刑は確定しているの」
個人的な制裁を加えてはならないとコニー様は夫を制した。
「コンスタンツェ。そいつは俺の子に手を出したんだ!」
「気持ちはわかるわ。でもあなたの行いは領主の決定を覆すものよ。あなたは私の騎士よ。謀反でも起こすつもりなの?」
「コンスタンツェ……!」
「騎士が主人の命に背くなんて許されないわ。そうでしょう?」
「ええ、その通りです! わかっています。わかっていますとも!」
イザーク卿は首を振り両手で顔を覆う。しばらく動かず、やがて掠れた声を喉から絞り出した。
「……コニー様。説明していただけますか」
コニー様は頷くと俺に退室を指示した。
イザーク卿が激怒するのも致し方ないことだ。
警備や軍備の統率者はイザーク卿本人だ。任務で離れていたとはいえ(いや、留守を狙っての方が正しいか)あってはならない事件が起こってしまった。
自らを責め恥じているはずだ。
そんな男を鎮めることができるのはこの世界でただ一人。
妻であり主人であるコニー様だけだ。
あの様子だと、しばらくは宥め慰めることになるだろう。が、それも夫婦だ。なんとかなるだろう。
俺は静かに後ろ手で扉を閉め、首を揉んだ。
(明日の政務はキャンセルだな)
まぁたまの休みもいいだろうと踏み出したその時。
「お待ちください。ベルル様」
廊下の真ん中にお子たちの護衛役を命じられたローマンがなぜか困り顔で立ち尽くしている。ローマンは黙って自らの背中を指さした。
マントが揺れ小さな頭が見え隠れしているではないか。
(これは……)
アスリッド様だ。
「いかがなさいましたか?」と声をかけると、黒髪の女児が顔を出した。
アスリッド様は「あのね、お父様の姿が窓から見えたから急いで来たの。でも……」とまでおっしゃると俯いた。
ぐずぐずと鼻を啜る音がする。
どうやらベソをかいているらしい。
「お父様、怒ったお顔でお母様のお仕事のお部屋に入っちゃったの。私に気づかなかったみたい」
「左様でございましたか」
俺は腰を曲げ、アスリッド様の頭を撫でた。
次期当主といえどもまだ幼児だ。しばらく仕事で留守をしていた大好きな父親に会いたかったのだろう。
「お父上様にご挨拶なさりたかったのにできなかったのですね? それはお寂しかったでしょう」
「うん……。お父様ね、目がギッてなっててすごく怖かったのよ。ねぇ、アロイス。お父様ずっと怖いままなのかな。エディもヘルミもきっと泣いちゃうわ」
「大丈夫ですよ。すぐに元通りのお優しいお父上様に戻られます」
「本当?」
「ええ。アロイスは嘘はつきません」と応えつつ執務室を伺った。かすかに何かを語り合う声がする。
(もうしばらくかかりそうだな。子守りでもしておくか)
そういえば昨日、ヘベテから茶と焼き菓子が届いていた。
子供と女性の機嫌を直すには甘味は絶好のアイテムだ。
「アスリッド様、実は美味しいお菓子がたくさん届いたのですが、アロイス一人では食べきれずに困っておりまして。お手伝いいただければ幸いなのですが、いかがでしょうか」
途端にアスリッド様が笑顔になる。
「うん! 手伝うよ!」
笑った顔は実に子供らしく愛らしい。
泣き顔よりもずっといい。
(アスリッド様の容姿は両親のいいとこ取りだな。きっと美しい女性になるだろう)
二代目メルドルフ女男爵に求婚する男たちが列をなす様子が頭に浮かぶ。
将来が楽しみだ。
「あのね、アロイス。もう一つお願いがあるの」
アスリッド様が手招きした。俺は身をかがめ顔を寄せる。
「この間、作ってくれたお茶作って欲しいの。ミルクと蜂蜜をいっぱい入れたうんと甘いやつよ。とっても美味しかったから、飲みたい」
「かしこまりました。お作りいたしましょう」
「あ、でもお母様には内緒ね。お茶を飲みすぎると寝れなくなっちゃうからダメって言われてるの」
「はい。承知いたしました」
早く行こうとアスリッド様は俺の手を握った。
小さな手からほんのりと、だが確実に温もりが伝わってくる。
この世界に確かに存在する命だ。
(コニー様がどこの誰だとしても)
メルドルフ女男爵コンスタンツェ・フォン・ラッファーであることには間違いはない。
厳しい環境と情勢に挫けることもなくメルドルフを治め、これまでの領史にはないほどの善政を敷いているメルドルフの領主だ。
それでいいではないか。
(今のメルドルフはコニー様があってこそ出来たものだ)
メルドルフに生きる民たちが日々に感謝し平凡ながら幸せに生きていることが、その証だ。
数年前まではメルドルフではそんな些細なことでさえ到底叶えられないのが日常だった。
このまま眠ってしまったら二度と起きることはできないのではないか、餓死するのではないかと怯える日々であったのだ。
今は。
飢餓に恐怖する領民はすでにいない。
十分だ。
メルドルフという領に人の営みがあり紡ぐべき未来がある。
この現実こそがすべてなのだ。
「アロイス、どうしたの?」
菫色の瞳が心配そうに見上げている。
俺は微笑み、小さな手をそっと握った。
「いいえ。なんでもございません。さぁ参りましょう」
読んでいただきありがとうございます。
吉井です!
番外編含めて最終話です。
結構長くなってしまいました(反省です)
アロイス目線のお話でしたが、いかがでしたでしょうか。
この後のアロイスはどうなったのかというと、結婚しほどほどな私生活を送る予定です。
続編は今のところ考えていませんが、アスリッドの婿選びのお話とか面白そうかなと思っています。
『悪役荒野』は吉井にとってとても大切な作品となりました。
物語を書き皆様と対話できたというだけではなく、webtoon化という貴重な体験もできました。
ほんと幸せでした。
次作はもっと楽しんでいただけるようなお話を執筆できたらなと考えています。
ご愛読いただきありがとうございました。
最後にブクマ・評価・いいね!感想、すべてに感謝です。
次回も必ずお会いしましょう。
皆様に多謝を。




