第八十五話 少女のパラートゥス
覚悟を決めたロジェは迷宮に足を踏み入れる。「Labyrinth of Eternity」と刻まれた理由は何なのか。彼らは果たして抜け切ることが出来るのか。白骨が散らばる第八十五話!
ロジェの声は滝の轟音にかき消されそうだったが、サラの機体は確かにその言葉を捉えていた。
「……私は……ヨハンを助けるために来たの。タイムマシンを手に入れるために、そして、彼が元の世界に帰れるようにするために」
サラは静かに微笑んだ。その瞳はロジェを試すような光を宿している。
「それだけ?それが全て?」
「……たぶん」
自分でも分かっていた。言葉にはしたものの、そこに覚悟は乗っていない。ただの表面的な決意に過ぎないことを。サラが軽く笑ったのはそれを見抜いていたからだろう。
「ヨハンのため、ね。じゃあ、彼が元の世界に戻ったら貴女はいなくてもいいの?」
「……違う、くて……」
それは彼女が最も恐れている問いだった。ヨハンが目的を果たしていなくなった時、自分の存在意義は何になるのか。
「ロジェ、覚悟っていうのはね、誰かや何かが進んでいくのを受け入れることでもあるのよ。そして、それでもなお自分がそこにいる理由を見つけること」
サラが向ける視線は人間そのものだった。あまりの真摯さに目を逸らす。
「……私には物を壊すことしか出来ない」
「破壊は強力な力の象徴だわ」
覚悟、では無いかもしれない。これは幻想。ロジェの夢見た世界。言い淀んでいるとサラはそれを見透かした様に呟く。
「『現実を見ろ』なんて言わないわよ。この庭自体が浮世離れしてるんだから」
旅をして来て見つめた世界。乗り越えた自分。もしその力があるのなら、叶えたいと思った願い。
「……私は皆に幸せになって欲しい。誰も不幸になんてなって欲しくない」
ロジェの声にサラは目を見開いた。
「その為に強くありたい。帰りたい場所を作って、大切な人達を、物を、守る力が欲しい」
少女はサラに手を伸ばした。稼働で熱を帯びた機体に触れる。
「サラも守りたいと思うよ。私は甘いって言われようとも、理不尽を打ち砕きたいと願うから」
きっとこの少女は世の汚さを知らないのだろう。サラはそう処理した。旧人類史を見ればきっと彼女は深く傷つく。それでもどうか、素直な願いを忘れないで欲しいと思う。
「……そう。どうかその気持ちを忘れないでいてね」
「忘れないわよ。見捨てるように見える?」
「うふふ。どうかしら」
夜も更けてきた。そろそろ眠らないと明日起きられない。ロジェは立ち上がってサラに微笑んだ。
「戻りましょ。明日は行きたいところがあるの」
「危険なところじゃないといいけど」
「それは……ご期待に添え兼ねるかも」
サラはロジェの後を追って、庭園を後にした。
翌日一行が訪れたのは『データ未登録箇所:セクション-B12』だった。船の中でとびきり怪しく、かつ探索されていない場所。
「ここがロジェしか入れない場所ね」
『なんか寒くない?』
「冷えるな」
高台から迷路全体を見渡すと、一番奥に向こう側に通ずる何かの入り口がある。一行は階段を下りるとロジェは「Labyrinth of Eternity」の走り書きをなぞった。
「こんなおっきいのを作って、何を隠したかったのかしらね」
「『代理人』かマリアだろう」
『気をつけていこ。ここ、匂いがしないから』
冷たいながらもどこか湿気た空気をまとって、一歩ずつ進み出す。進んでも進んでも変わらない風景。ロジェは魔法で進んで来た道が分かるマーカーを出した。
「これで迷わなくなると思うけど……」
『なんか聞こえない?話し声みたいな……』
サディコの一言にロジェは足を止めた。ゆるりと振り返る。
「なんでそんな怖いこと言うの!」
『聞こえるんだもん!仕方ないじゃん!』
「分岐が無いのね」
ロジェとサディコのやり取りを見ながら、サラは呟くように言った。先程から分かれ道が無い。入り口から入ったのだからここが突き当たり、ということは無いと信じたい。
歩みを進めば進むほど、壁につけられた引っかき傷は増えていった。少女は真似るように爪を立てると粘土のように壁は欠ける。引っかき傷はロジェのものにそっくりだった。つまり、人間がつけたということ。
「なんで引っ掻いたんでしょうね」
「脱出したい割には傷の数が少ない。別の意味があったのか?」
「何かの回数を数えているのかもね」
サラがそう発言したその時、迷宮全体が低い振動を起こし始めた。壁の緑の光が不規則に明滅し足元が不安定になる。
「『守る魔法』!」
ロジェはシールドを貼ると瓦礫から皆を守った。不幸中の幸いかあまり大きな残骸は無い。
突然、緑光が完全に消えた。迷宮全体が真っ暗に沈み、ロジェたちは一瞬で視界を奪われる。
「次から次へと騒がしいわねぇ」
「気を緩めるなよ」
揺れは収まりまた緑の光が点灯する。
『はーびっくりした。なんのさ、もう』
「分からないけど……ともかく行きましょう」
ただひたすら、前に進むしかない。突き当たりだと思った場所は曲がり角で、そこを曲がる。壁の引っかき傷は更に量を増した。のだが。
「行き止まりの様だな」
「……この傷は行くなということを示していたってわけね……」
試しに魔法を打ってもビクともしない。飛び上がってみても壁は伸び続ける。厄介なことこの上ない壁。
「ねぇ、あの壁だけ傷つけられてないみたいだわ」
サラは視界をズームして奥の壁を見つめた。彼女の視界には一枚だけ綺麗な最奥の壁が見えている。
「見てみましょう」
ロジェは駆け寄ると壁を撫でた。青白い文字が浮かび上がる。
『Access Denied: Permission Required
by old human』
「『old human』……つまり、旧人類……」
「『ロジェの許可が無いと入れない』ってことじゃないのか?」
文字盤の下には丸い窪みがあった。試しに指を差し込んでみると、指先にちくりとした痛みが走る。
「いたっ」
『大丈夫?』
「多分血を取られたのかな……」
ぺろぺろとサディコは傷跡を舐めた。刹那、壁が低い音を立てて上がり、奥へと続く新たな通路が現れる。
「進めるってことよね」
「あぁ。気をつけろよ」
静寂に足音を響かせて先へと進む。通路の奥に広がるのは、不気味なほど静かな大広間だった。天井には星座を模した光が浮かび、中心には台座が据えられている。台座には何かが埋め込まれていたが、ロジェが近づいた瞬間扉は落ちた。
「罠かしら」
「かもな」
「だけどこれが気になるわよねぇ」
「ちょっ!待て!」
ヨハンの静止を無視して埋め込まれている何かにロジェが触れた瞬間だった。一瞬にして視界が変わる。そこは瓦礫の山だった。中心部は僅かに光が漏れ出ている。
「どこよここ……」
「ったく……分からんもんには触るな。危ないだろ」
『空間転移するものだったんだねー』
少女は立ち上がると服を叩いた。ぱきり、と中身が無い何かの音が響く。薄暗がりの中目を凝らすと、それは。
「ひっ、こ、これ……骨じゃない……!?」
飛び上がったロジェを捕まえてヨハンは落ちた小骨を拾った。
「……その様だな。肩の骨だろう」
「ねぇ、そのみんな、言い難いんだけど……」
サラはサディコに引っ付きながら、恐る恐る言った。
「周りが骨の山だわ」
ロジェはヨハンの後ろから周囲を見渡した。ぐるりは白い何かに覆われていて、地面が見えているのは一行が立っている場所しかない。
「一体どういうことなんだ……」
ヨハンは顔を顰めた。大小合わせて数万体はくだらない骨の山。
「これが引っかき傷をつけた人達……」
ロジェは手を合わせると骨の山をひっくり返し始めた。
「何か手がかりがあるかもしれない。探してみましょう」
「めぼしい物は燃えカスしか無いぞ」
ヨハンはの手のひらに灰を集めてロジェに見せた。ここから考えられることは幾つかある。
「死体は燃やされたとか、証拠を隠滅してる何かがいるってことよね」
「ここに転送されて来たことを知っている人物……『代理人』以外ならスフィア達だと出来そうね」
「でも、一体何のために……」
話を聞いていたサディコが耳を立てて見上げる。
『静かに。何が来る』
一行は息を殺して音がする反対側に身を寄せた。何か降りてくる。ここはあの階段の下だったのか。三つか四つの足音の後に、言葉が聞こえた。
「ここがロジェしか入れない場所ね」
『なんか寒くない?』
「冷えるな」
聞き間違えたりしない。あれは正しく自分達の声だ。ロジェとヨハンは顔を見合せて会話の続きを聞く。
「こんなおっきいのを作って、何を隠したかったのかしらね」
「『代理人』かマリアだろう」
『気をつけていこ。ここ、匂いがしないから』
話し声が無くなって、足音が遠ざかっていく。ロジェたちは息を呑んだままその場に立ち尽くしていた。確かに聞こえたのは自分たちの声だった。けれど、それらは彼ら自身のものだけなはず。
「……どういうこと?」
ロジェが声を絞り出すように呟いた。ヨハンは慎重に辺りを見回し、何かの異常を探るように目を細める。
「この迷宮が俺達をコピーしたんだろう」
「……タイムマシンだと思うわ」
サラが確信めいた声音で言った。
「台座にあったのがそれだってこと?」
「たぶんね。私達は過去に来てるのよ」
ロジェは理解し始めていた。単純にこの迷宮が抜けるのが難しい訳では無い。あるいは、侵入者を拒んでいるという訳でもない。
入ったが最後、自身の分身から逃れることは出来ない。それがこの迷宮。「Labyrinth of Eternity」と綴られた意味。そしてここに散らばっているのは、自身を打ち破れず散った者達。
一度入ったのなら死ぬか攻略するか。それしか選択は無く、我々は選ぶべきものが何か知っている。
「……ここを抜けましょう」
「それしか無いな」
『まずはこっから出ないとねぇ』
ロジェは飛び上がると魔法で彼らを釣り上げて階段に置いた
「その……さっきの私の蛮行を防ぐ為に追いかけましょう」
『ガッテンしょうち!』
一行は先程の自分たちを目指して走り出した。自覚していなかったが意外と歩くのが早かったらしい。追いつかない。サディコがさっき言ってた物音はこれだったのかとロジェは自覚した。
地響きも超えて、行き止まりに佇む自分達が見える。
「待って!」
と叫ぶも扉が上がって、落ちた。必死に駆け寄って認証を済ませると台座に触れようとするロジェがいる。
「私のバカ!それに触っちゃだ、め……」
再びロジェは台座に釘付けになっている。ヨハンは銃を構えた。
「悪く思うなよ」
銃声が響くも、一行の姿は消えた。代わりに銃弾は台座にはめ込まれた何かに直撃する。弾かれた様にロジェは顔を上げた。
「え、あ……なんなの、今の……」
「催眠が強いのねぇ」
サラは割れて光を失った台座の何か──円盤だったものを拾い上げた。真ん中に金属片が埋め込まれている。
「旧人類だけに効果をもたらす催眠ね。『代理人』は近づいて欲しいのか欲しくないのか分からないわ」
「……アンドロイドと、協力して欲しいのかも」
ロジェは頭痛を抑えながらサラへと言った。
「サラには効かないんでしょ?たぶんそういうことじゃないのかな……」
『この船壊そうとしてるのに?訳わかんないよ』
「複雑なオトシゴロなんだろ」
「その言葉で私の頭痛が済まされると思ったら間違いよほんと」
円盤はさらさらと崩れ落ちて金の破片だけ残す。サラはそれを少女に手渡した。
「渡しておくわ」
「ありがとう……いてて……」
「ともかくこれで次の俺達は無事にここを進めるみたいだな」
ヨハンの言葉と共に目の前の扉が開いた。行先は三つに分かれている。壁につけられた傷は格段に減っていた。
「この傷は辿り着いた証だったのね……」
ロジェもそこに新たに一つ傷を残す。先人達に敬意を払うように。そして未来の自分を信じるために。
「行きましょう。最初はどっちから行く?」
「右にするか」
「どうして?」
「迷った時は右からだ」
本当かしらそれ、とロジェは呟きながら、左の道へ足を踏み入れた。
迷路を進み、見えたものは何か。ヨハンはロジェを殺せるのか?過去と未来が錯綜する第八十六話。




