第67話 所在不明のカルディア
とんでもない場所でエルフィアと邂逅したロジェは、彼女から当時のことを詳しく聞くことになり……?アリスは追い詰められていた。あの赤が憎い。あれを壊さねばと。前座的なお話の第六十七話!
オブジェクトは今、確かにエルフィアと言った。ロジェは震える声を押し殺して、問う。
「えぇ、そうです、けど……あの、魔女だったりしませんか?」
「そうですよ。私は魔女。海の魔女エルフィアと呼ばれていました」
「そん、な……」
こんなことって有り得るのか。こんな、無惨なことが。人の姿を奪われて気味の悪い物体に閉じ込められ、声もあげられない、こんなこと、が?
「ある日大波が街にやって来て、魔法で食い止める為に沖に出たらここに連れてこられました。精神と肉体を分離させられてからずっとこのままなんです」
少女は口を開けたまま何も喋ることが出来ない。エルフィアは何とかしたいようで、探る声音でロジェに喋りかける。
「地上ではどれくらいの月日が経ちましたか?隠さなくて良いんです。本当のことを教えて下さい。私には覚悟がありますから」
「厳密には分かりませんが、少なくとも数千年は経っているかと……」
「数千年……」
ファステーラは神代に終わってすぐに滅びた国だ。軽く見積っても千年以上ある。時間を飲み込んで彼女は呟いた。
「私には従者がいました。あの日は夕食のメニューを好物にしてもらう様頼んでいたんです」
声が潤んでいる。ついに耐え切れなくなったのかエルフィアの声が揺らいだ。
「出来るものなら、あの日の内に帰りたかった……」
「エルフィア様……」
もしあの薄気味悪いオブジェクトに手が届くのなら、触れたかった。なのに邪魔なガラスに阻まれて指先がつくこともない。エルフィアは静かに嗚咽を押し込めて続ける。
「すみません。過去を悔やんでいても仕方ありませんね。貴女にはお願いがあるのです」
「お願いですか?出来ることなら何でもしますよ」
「ありがとう。貴女も私もここから出たい。私は貴女の脱出をサポートしますから、貴女は私を地上に戻して欲しいのです」
それは全てを奪われた彼女の切実な願いだった。
「こんな姿になっちゃったけど、私の魂は地上にある。地上で生を終えたいのです」
少女は曇らせていた顔を少し緩めると、明るい声で返す。
「もちろん……もちろん、お手伝いします!何でも手伝いますから……こんな終わり方、無いわ……」
もしかしたらこれも罠かもしれない。だけど、肉薄した声を罠という簡単な一言で終わらせてしまうのはあまりにも残酷すぎるように思えた。
「嬉しいことを言ってくれるのだね。貴女に出会えて嬉しく思います」
「それは……その……」
えへへ、とロジェは何を言うわけでもなく恥ずかしげに視線をずらした。
「お世辞じゃありませんよ?本当です」
エルフィアは音声を落ち着かせて続ける。
「ずっとここで誘拐された人々を見て来ましたが、皆望郷の前にマルクレオンの実験によって発狂していました。郷を夢見ないことは幸せなのかは分かりませんが……」
「なんて酷いことを……」
「そうでしょう。実際この中でもマルクレオンの支配を嫌がっていた住民もいました」
「そうなんですか?」
「えぇ。……今日は出会えて良かった。さぁ、早く元の部屋にお戻りなさい。彼が一階から順々に上がってきています。貴方が逃げていないか確認しているようです」
執念深く逃走意思を確認している様だ。ここはエルフィアの言う通り部屋に戻ろう。
「分かりました、ありがとう!」
ロジェは薄暗い博物館からエレベーターに乗り込むと、自室がある三十二階のボタンを押した。
アリスは眉間に皺を寄せて書類を凝視していた。この予算を通せばこちらが通せない。かと言ってもう一つを通さない訳にはいかないし。
「ジャンヌ様」
声をかけられているようだが無視する。すぐにどっか行くだろう。
「ジャンヌ様。お休みになられてはいかがでしょうか」
それでもしつこく声をかけてくるメイドに、アリスは声を荒らげた。
「うるさいっ!そんな暇ないって分かってるでしょっ!」
メイドは不思議なものを見る目でアリスを見ている。自分は何てことを、と気づけば震える手で指示をした。
「あ、あぁいや、ごめんなさい……ジュースはそこにおいてちょうだい……」
アリスがプライドが高く気難しい性格なのは、メイドも知っている。しかしここまで声を荒らげることは無かった。当主が気遣っていた理由もよくわかる。
「あまり無茶をされないで下さいね。旦那様もお帰りになればと仰っておいでですから」
「だけど、この仕事を置いて家に帰れないわ」
ミカエルとアウロラは失踪し、監視下に置くことに失敗した。そこまで遠くには言っていないはずだし、ミカエルはオルテンシアの魔力の結晶を身につけている。その結果を待って動く予定だ。なのに王国からの資金や人材の援助は一切ない。
「それがどうやら……オルテンシア様がお眠りになったそうで……」
その言葉と共に、アリスの執務室にテュリーの声とともにノックの音が響いた。
「失礼する」
「どうぞ」
アリスの側に立つメイドの姿を認めて男は居住まいを正した。
「話し中だったようですね」
メイドは軽く頭を下げると執務室の扉を閉めて去って行った。足音が遠くなっていくのを聴きながら、アリスは問いかける。
「いえ、大丈夫です。どうされたのかしら」
「オルテンシア様がお眠りになりました」
お眠りというのは死んだということでは無い。長期休暇に入ったという方がニュアンスとしては近い。が、なんでこんな忙しい時に。
「こ、こんな緊急事態に……どうして……」
「オルテンシア様の魔力の源は夢です。その為よくお眠りになりますが、今回はどうやら長期に及ぶとのことで……」
お付のテュリーもこれは予想外だったらしい。顔を歪めたアリスを見ていられないようで視線をずらす。
「……そ、それで……私達はどうすれば……」
「ロジェスティラ捕縛の勅令は有効ですからそれに従うしか無いかと」
指揮系統もまともに動いていない、仲間も離反しているこの状態で命令続行なんて正気の沙汰じゃない。アリスは下唇を噛んだ。
「……分かりました。計画を立てましょう。後で部屋に行きます」
「あまりは無理はされませんよう。それでは」
テュリーの姿が見えなくなったのと同時に、アリスの糸が切れた。止めようと思っても瞳からはとめどなく涙が零れていく。
「ぅ……うううぅ……うぐぅぅぅぅ……っ……!」
何でこんな事になったんだろう。私はレヴィ家の次期当主で、成績も問題なく、実技に至っては満点だった。お父様に仕事を任されるほど優秀で、何も悪いことなどしていないのに。
……あぁ、分かった。思い当たる節がある。あの女だ。ロジェスティラだ。どれもこれもアイツのせいだ。没落貴族の癖に身の程も弁えず研究所に入ってきた、あの犬の!
ロジェスティラが憎い。あの赤が憎い。アレを構成する、全てが憎たらしくて堪らない。傍で笑う男も使い魔も、アレには過ぎたるものだ。アレに幸せなんて享受された暁には、自分が惨めったらしくて悲しくなる。
あの赤を奪おう。次に赤を見るのは内臓をぶちまけた血の色だ。じゃないと私が救われない。こんな可哀想なこと、あってはならない。アリスは不敵な笑みを浮かべてテュリーの部屋へと向かった。
市場──いわゆるショッピングモールがあったのだった。ヨハンが入った場所はその最下層。スーパーマーケットには未だに瑞々しい果物が残っている。超古代文明のなせる技なんだろう。
「ここは市場か」
『当時『二号施設』と呼ばれていた場所です。一号から五号まで施設があり、用途によって区分されていました。その中でも『二号施設』は市場……ショッピングモールに当たる場所です』
足にボールが当たった。ボールプールから零れ落ちたものらしい。
『『二号施設』の食堂で提供されるシチューは絶品だったそうです。カノフィアが閉鎖される前に異常が発覚し休業していましたが、結局開業されぬまま閉店となりました』
「なるほどなぁ。なぁ、ずっと聞きたかったんだが」
ヨハンは足先に転がる崩壊を忘れたボールを蹴った。転げて、別のボールにぶつかって、また転がって……永遠に同じことを繰り返す。
『何でしょう』
「セントラル・ビルにはいつになったら着くんだ?」
『『二号施設』の最上階から繋がっていますから、そこを目指しましょう。そろそろカノフィアから出たくなって来ましたか?』
「いや……早く会いたいだけだよ」
あと風呂にも入りたいし普通に寝たい。ロジェと出会ってから生活欲みたいなものが出て来てしまったなぁ、とヨハンはしみじみ感じていた。
『でもそれだと旅が終わってしまいますよ』
「……何だと?」
ぐるり。眼球をロクに向ける。鬼気迫るものだったが、ロボットは変わらずに呑気に浮かんでいる。
『彼女に会うと旅がまた始まるでしょう?それが終わってしまうのです。貴方はそれを望んでいない』
「……お前、俺達のことを知っているのか?」
『私はマルクレオンを始末しに来たと言いましたよね』
ヨハンの質問に返すことなく、ロクは淡々と呟く。彼のむき出しの感情には興味が無いようだ。
「そうだな」
『つまり、この都市の神よりも上位の存在なのです』
「何だ。お前も神とか抜かすのか?」
『私は……この都市の建設に反対したんです。そういう存在です。私達は』
返答になっていない返答。ヨハンは歯をかみ締めながらロクの言葉の続きを待つ。
『繰り返し言いますが、私は貴方の敵ではありません。味方です。そこは信用して頂きたいところですね』
ロクが言いたいのは、敵の敵は味方だ、という事だった。ヨハンは肩を竦める。
「……じゃあ妙に匂わすのを止めて貰いたいんだが」
『すみません。早とちりしてしまって。こうほら、早く正体明かしたい時ってあるじゃないですか』
じゃあ早く明せよ、とヨハンは一人ごちる代わりに断言する。
「無い」
『まぁ、恥の上塗りって言いますしね』
「使い所間違ってるぞ」
暫く歩いていると酸性の臭いが漂って来た。市場の棚は腐敗で黒ずんでいる。
「腐ったような臭いがするが……」
『恐らく食品でしょう。まだ使える食品もありそうですし、どうでしょう。何か食べていきませんか?』
「腹壊しそうだし嫌だ」
超古代文明の科学技術の賜物なのか、いくつかの食品はまだ鮮度を保っている。
「何で腐らないんだろうな」
『そりゃあカノフィアは永遠を約束された都ですから。食べ物だって永遠ですよ。……という説明は求めていらっしゃらないんですよね?』
「分かってんなら早く話せ」
ロクは遠回しな言い方が多いし嫌味っぽい。ヨハンは周りに浮かぶドローンを縦に振りたくった。
『あわわwawa……あんまり振り回さないで下さい……こわれchyaいます……』
「嘘つけ」
こんなんで壊れたらおっかない町なんて歩けねぇよ。音声が乱れたロクを手から離す。
『はい、嘘です。その前に階段に登りましょう』
「食べ物が腐る原因はいろいろあるが、微生物の繁殖が主だった原因だったか」
『そうです。その微生物が存在しないよう、カノフィアは完全無菌処理を施されていました』
ヨハンが死ぬことなく生活出来ているのは、無菌処理の機械が破損してくれているお陰だろう。果物が腐っているのを見るについ最近まで動いていたらしい。運が良いと言うかなんというか。
「つくづく人間の住む場所じゃないな、ここは」
二階に辿り着くと会議室の様なパブリックスペースが幾つもあった。掲示板には宙に浮かぶ卵型の宇宙船の隣りに『.ID☆/・P{K=.CZ_゛B☆L{☆K= N_ {C_) .Z☆(マリア・ステラ号について 討論会)』と書いてある。
「これは……」
『……マリア・ステラ号ですね。反対運動が起こっていた時の討論会だそうです』
「へぇ。そんなものがあったのか」
『戦争が起こって旧人類が分散した際、平和を実現する為に意志を消す派閥と科学を追い求め自由意志を保つ派閥に別れたんです。平和を追い求めたものはマリア・ステラに、科学を崇めるものはカノフィアに向かいました』
愚かの一言に尽きる。戦争が起こって人々が散り散りになってもなお、まだ争うことを選ぶのか。知性がある故の性なのか。つくづく人間というのは埒が明かない生き物だ。
「マリア・ステラはどうなったんだろうな」
『存じ上げませんね。宙に浮いているそうですから。詳しく知るのはそれこそマルクレオンくらいでしょう』
何故そこでマルクレオンの名前が出てくるのだろう。訝しげに顔を動かしたヨハンにロクは続ける。
『マルクレオンは曲がりなりにも超古代文明の中では神でした。それらの遺跡が今どうなっているか知っているでしょう』
ロジェは無事だ。己の好奇心には素直な彼女がもし気力を失っていなければ、彼に対して何かしら聞いているかもしれない。
『お連れ様なら何か聞くことが出来るかもしれません』
「だろうな。既にそうしているはずだ」
掲示板の隣にはフロアマップがあった。円形のフロアをもう少し北に行くとエレベーターがあるらしい。
『ふふ。随分と信頼されているんですね』
「当たり前だろ。昔からの付き合いだからな」
『では早く行きませんと。これに乗って手早く行きましょう』
エレベーターはまだ現役だった。軋む音を立てて開いたドアに足をかけて、ヨハンとロクは頂上を目指す。
「……飽きたわ」
ロジェはセントラルビルの中にあるゲームセンターで、ゴーグルを外し目頭を抑えた。マルクレオンに勧められてゲームを始め三十分、全く面白みを感じられないまま第一ステージが終了した。
『わがままだねぇ』
サディコが影から声を出しても咎められることは無い。ここまで監視は及んでいない様だ。
「何でも出来るって何にもない事なのよ。さて……そろそろ」
ゴーグルを適当な所に置いてロジェは立ち上がった。
「マリア・ステラについて聞きに行きましょうか」
『そう易々と答えてくれるかなぁ』
アーケードゲーム機が永遠に続く。ロジェが遊んでいたのはカノフィアが滅んだ当時最新だったゲーム機だそうだが、こんなに種類があって人々は本当に楽しめたのだろうか。
「こうやってあんたが喋っても何にも言ってこないってことは、だいぶ監視が緩まったっていう証だと思うけど」
『罠かもしれないよ』
「そういうことならマリア・ステラは丁度良い話題だと思うわね」
信頼構築の為にマリア・ステラ号について聞くロジェだったり、『ヴァンクール』を取り戻すために奮闘したり、マルクレオンに対して突破口が見つかるお話!




