第66話 水底のキリシー
舞台は変わって、ロジェは捕らえられながらも希望を失わずに計画を立てていた。マルクレオンとの生活の中で見えてきた世界で、彼女は衝撃的な人物と邂逅する。急展開が始まる第六十六話!
ロジェは寝台の上で布団を被り、手のひらに指で計画を書き記していた。
思考の海に耽っているうちに時刻は夜。獣が獲物を狙うような、瞳色の緑と黄色が蔓延るこの廃墟で、正気を保つには思考をし続けるしかない。
目標は幾つかある。ヨハンと合流すること、『ヴァンクール』を取り戻すこと、マリア・ステラ号について調べること。そして、この都市から脱出すること。
ヨハンに関しては捕まってさえいなければきっと助けに来てくれる。ただ、もしものことを考えて『ヴァンクール』を探さなければならない。あれが無ければ私は非力な少女だ。なんてか弱いことかしら。
マリア・ステラ号調査は、マルクレオンの警戒心……つまるところ、私がここから脱走するという危機感を緩める手助けになるはずだ。まずはカノフィアについて詳しく聞いて、布石を敷いていこう。
ぐぅぅぅ、と鳴る自分の腹の虫の音を聞いてロジェは目を細めた。
『こんな時でもお腹が空くんだねぇ』
「ね」
影にはぼんやりと鎖が浮かぶ。ロジェは優しく影を撫でた。
「必ずここから出ようね」
『もちろん。心配しないで、ぼくがいるんだもん。絶対帰ろうね』
空気が籠った掛け布団から這い出ると、改めて部屋を見る。エメラルドの様な輝きを放つこの部屋は、恐らく王に近しい存在の為に作られた部屋なのだろう。ガラス越しには魔物やビルの姿が見えた。
海中は暗く、それを照らす為に作られたライトがおべっかを使う色をしていて気分が悪い。ロジェは靴を履き小気味の良い音をさせながら部屋を出た。
扉を開けると緋毛氈に部屋がずらりと並んでいる。キョロキョロと見渡してあのロボットを探していたら、頭上から女性の声が聞こえた。
『御早う御座います。お目覚めですか?』
ロジェはびくりと肩を震わせたが息を整えて、ちょっとだけ、反抗的だと捉えられない程度の声音で嫌味に返した。
「そうです。貴方は?」
『申し遅れました。私はマルクレオンの補佐に御座います。貴女様のお世話係を仰せつかりましたので、どうぞよろしくお願い致します』
「……分かりました。マルクレオンはどこに?」
『この廊下の突き当たりにエレベーターがあります。そちらを利用し、二十階まで降りて頂きたいのです。そこに彼はいます』
とてつもなく大きい建物だとは思っていたが、まさかそこまでとは。ロジェは軽く返事した。
「分かりました。ありがとう」
ふかふかの緋毛氈を踏みしめて廊下の突き当たりへと向かう。錆び付いたエレベーターの現在地は三十二階だった。無闇矢鱈に照らされたエレベーターがやってくる。
「高いわね」
『深いじゃなくて?』
籠は暗い海底を遠慮なく動いていく。
「カノフィアの人達はなんて言ってたのかな」
『深高いとかじゃない?』
ロジェは何かを言い返そうとしたが、妙に合点がいってしまった。深い、とかも深い高い問題に終止符を打たないし、深度がある、とかも変。
「……案外それであってるかもしれない」
恐怖と不安をくだらない会話で誤魔化せば、ガタガタと音を立てて扉は開いた。遅れてベルも鳴る。
着いた先はタイル張りのホールだった。右も左も大部屋に繋がっているらしく、ガラスの扉に金の縁どりがあしらわれている。
森のように茂る観葉植物の山を抜け、右側の『Q☆l9X{N_゛{(食堂)』と書かれた部屋に入ると、エビとクリームの良い香りがした。窓辺には南国の海が見えている。映像で照射したとかそんなんだろう。時折ノイズが入る。
「おや。お目覚めでしたか」
「そうです。起きました」
「嫌だなぁ、敬語は止めて下さいよ創造主様。萎縮してしまうじゃないですか」
「……そう。じゃ止めるわ」
マルクレオンは変わらず微笑んでいた。彼の手にはプレートがある。扉の前で固まって動かないロジェに、男は席を勧めた。
「お腹は空いてはいませんか?丁度出来上がったのですが、いかがでしょう?」
「そうね。頂くわ」
誘われた席にはカトラリーが綺麗にセットされていた。初めにスープが置かれる。
「海老のビスクで御座います」
こうやって綺麗な場所で食事するのは久し振りだ。恐る恐る、少量のスープを口に運ぶ。……うん。舌が痺れない。即効性の毒は入って無さそうだ。
「マルクレオンは料理が出来るの?」
「人間の可能性として存在するものは全て可能です」
「こうやって誰かに振舞ったことは?」
「ありません。創造主様が初めてです」
ロジェは淡々とスープを口に運ぶ。食事する風景を凝視されていて、少々居心地が悪い。冷や汗をかいた少女に気づいて慌てて離れた。
「申し訳ありません。実際に人が食物を摂取するところは初めて見ましたので、つい……」
「気にしなくていいわ。美味しいわね」
「本当ですか!ありがとう御座います!」
ロジェは少し安堵した。コイツは逃げ出す、魔法を使う、その他反逆意思を示す行為以外は穏やかに接する。必要以上に危害を加えない。
「……そう言えば貴方の仕事を聞いてなかったわね。貴方はここで何をしていた……何をしているの?」
スープを平らげた時のカトラリーの音で言い間違いを誤魔化した。上手く誤魔化せたようで、男は空になった皿を引いた。
「私はこの都市のインフラなどを維持しているのですよ。全てを把握していますから」
「そうなのね。あの……その、貴方が気を悪くしたら悪いんだけど、ここには人がいないじゃない……その……目に見える人がいないって意味でね!」
冷や汗をだらだらかいているロジェのことなど気にも止めずに、マルクレオンはあー、と呟くと、彼女の前にお皿を置いて一言。
「いえ、いますよ。目に見えます」
「え?」
「そのお話は後でしましょう。とりあえずお夕食を取りませんか?」
「え、えぇ、そうね……」
ちらりと視線を動かす。魚にクリームソースがかけられたステーキなのだが……いや、なにこれ。目がギョロギョロ動いてるんだけど。
「えっと……」
「魔物食は初めてでしたか?」
「い、いや、食べたことはあるけど……」
魔物の数が減ってきた現代において、魔物は高級食材のうちの一つだ。ドラゴン肉のステーキなんて一年に一回食べられるかどうか。だから重宝される。されるのだが。
目が動き回っているこの魚のステーキは何なのか。こんがり焼けた匂いはするから、踊り食いの類の食べ物では無い。
「スプティルマのステーキです。お気に召しませんでしたか?」
「すぷてぃるま?そんな魔物の名前、初めて聞いたわ」
「ご存知無いのは当然です。私が創りましたから。でも結構美味しいんですよ。人の味覚機でデータも取りました。毒はありません」
ナイフでおずおずと身を切ると、動き回っていた目は白く濁った。……気持ち悪い。
「えと、その……創ったっていうのは……?」
「この海域は魔物が多いでしょう?実験がてら様々な魔物を交配させて実験したんです」
それって遺伝子汚染ってヤツじゃないのかしら?スプティルマの肉を咀嚼すると、食感は鶏肉、味は白身の魚だった。まぁ、悪くない。
「……ちなみに聞くけど、スプティルマの親個体は?」
「スプテラとティルマンダーという魔物です。それも複雑交配によって生まれた魔物ですから、最早原型を留めてはいませんが」
やっぱり遺伝子汚染じゃない!ロジェは無理矢理最後のステーキの欠片を口に運んで飲み込んだ。空いた皿をまた下げる。
「少し休まれたら私の仕事についてお話しましょう。デザートは?」
彼の手の中には夜空が蠢くシャーベットがあった。ただもう、これ以上何が入っているか分からない、分かっても末恐ろしい食べ物を口に入れたくない。
「いらないわ。休憩も大丈夫。貴方のお話を早く聞きたいわ」
その言葉を聞いて、ロボットは満足気な笑みを浮かべた。
「分かりました。それでは向かいましょうか。この都市は永遠なのです。その証をお見せします」
暗い海底に向かってエレベーターが動く。目指すは地下一階だ。
「アレを見てもらう前にカノフィアの歴史をお話しておいた方がいいかもしれませんね」
光が失われていくエレベーターの中で、ロジェは自身の影を触った。サディコの感触が伝わる。ベルの音がして止まった。
「暗いのでお気をつけて」
二人が降りた先は博物館だった。入口の電気をつけると、館内がぱっと明るくなる。
「ここは歴史博物館です。創造主様にはこの都市の全てをお教えしますね」
どうやら低年齢向けの博物館の様で、至る所に人形が置いてある。ガイド役の少年の上の吹き出しには『マルクの案内に従って歴史を学ぼう!』と書いてある。
「昔は人間と間違えるほど精緻な機械人形だったんですが……ここに電力を注げなくなりましてね。私が変わって説明致します」
止まってしまえば人形にしか見えない展示エリアを二人は歩く。
「遥か昔……一万年前。科学によって人間達は不老不死までも手に入れる事が出来た時代。エーテルを主原料とする爆弾により、人々の生活は破壊されました」
突き当たりのホールにはかつて繁栄を極めた超古代文明の都市群が見える。中にはロジェ達が発見したものもあった。
「人々は悩みました。ある者は意思なく地上に残り、ある者は恒久の平和を望み宙に、ある者は全てを可能にする為に海へと向かいました。それがカノフィアの由来です。ここでは科学の名の元に遍く享楽が許されていました」
マルクレオンはボタンを押すと、壁一面に人々が踊り歌う姿が投影される。ロボットは口角付近の筋肉を上げた。
「ふふ、ね、綺麗でしょう……よくここで見るんです……」
「科学が発展していた割には、私と変わらない格好をしているのね」
「この時期はこういう格好が流行ったんです。過去に戻るというブームですね」
投影されていた映像は消え、マルクレオンは振り返る。その顔はとても悲しそうだ。鬱陶しいくらいに。
「しかし、ある日……カノフィアは滅びました。理由は何だと思いますか?」
「伝染病とか?いやでも、そんな訳ないわよね……だって科学都市だったんでしょう?問題にならないと思うんだけど……」
普段の会話におべっかを増し増しにした言葉を放ったロジェは、彼の応答を待つ。
「ふふ。ある日突然、カノフィア人は風船みたいに皆弾けてしまったんです」
「……どういうこと?」
「言葉の通りです。カノフィア人は肉体と精神を分けて生活していました。中身を取り出す技術を元に永遠の燃料を作っていたのです」
それは今もあるわ、とは言えなかった。肉体と精神を分離させる魔法。魔法としても存在しているし、技術としても存在している。ただそれを確信に至らせる為にはもう少し詳しく聞かねばならない。
「精神、は……」
「空箱の肉体に魂が宿っていた、とお伝えする方がわかりやすいでしょうか」
「じゃあそれ、同じ空っぽの身体があれば……」
「そうです。魂を移動させれば問題なく稼働します」
やっぱり。知っている技術だ。恐らくカノフィア人が使っていた技術はエーテル──現代で言うところの魔力──を身体で埋め尽くすことで肉を排出させるものだ。現代では違法とされている。理由は簡単、中身が無くなった人間に別の魂を埋め込めばそれは別の人間として稼働する、つまり成りすましが横行するからだ。
「カノフィア人は埋め込み式のチップをつけていたんですがどうやら誤作動を起こした様でして。精神だけになりました。創造主様は、魂はどこに行くと思いますか?」
「……根の国で裁かれると聞いたことがあるけど」
応答はするもロジェは上の空だった。排出された中身はエーテルと混ざる。つまり働き続ける燃料だ。こんなものを使って都市を動かしているなんて、正気の沙汰では無い。
「そうですね。あるいは死後の世界は無いと考えられる方もいるでしょう。しかしカノフィアは永遠の都。故にその魂は永遠を約束されなければならない。果たさねばならないのです」
マルクレオンに手を引っ張られ我に返る。カーテンの先には、三mはあろうかと思うガラス球があった。都市だ。中に都市がある。光の線で描かれた都市だ、カノフィアと全く同じもの。
「な、なに、これ……」
「カノフィア人に埋め込まれたチップは仮想現実と繋がっています。ここは言わば彼らの天国なのです」
こんな天国なら地獄の方がマシだ。こんな地獄の為に、何故彼は歌う様に朗々と語り続けるのだろう?
「一万年も、ずっとこのまま……?」
「時間感覚をいじくっていますので、実際は十日程しか感じていないでしょう。精密な調整は別の人工知能に任せていますが」
あれですよ、とマルクレオンは指さした。ガラス球の上には巻貝と十字架が合体した、血の赤さを持つおぞましいオブジェクトが鎮座している。
「ね、ねぇ。貴方は都市型ロボットなのよね。カノフィア人に対してその、かなり権限があるように思ったのだけど……」
球をうっとり見つめるロボットは、至極当たり前だと言わんばかりに吐き捨てた。
「あぁ。それは私が神だからです」
「……へ?」
「私はマルクレオン。人間の可能性を全て詰め込まれた、永遠を託された人造神。そして……」
その視線、その振る舞いこそ。人々が性懲りも無く崇め続け、飽かず恨み続ける神そのもので。
「同時に人間の可能性を踏み潰す存在でもあります。何故なら私に従えば全て上手くいくのだから」
ロジェは歯を噛み締めながらにわかに声を荒らげた。
「機械に従うなんてごめんだわ」
「おやおや。随分と酷いことを仰る。私は貴方達と同じ知覚を持ち、感情を抱いているというのに。それに機械も神も変わりません。そうでしょう?」
従う、という点においてはね。その言葉が少女の脳内にうるさく木霊する。
「人間が産まれたら、中身を無くして魂を移動させる。そうすればカノフィアはまた復活する……!なんて素晴らしい計画でしょう!そう思いませんか!?」
全く思わない、という視線を向け続けるも、どうやらマルクレオンは興味が無いらしい。ただ楽しそうに叫び続けている。
「ふふふふ……ふふふふふふふ……これで、私の故郷が復活する……あはは!やっと家に帰れるんだ!」
ロジェは笑い叫ぶロボットを睨みつけた。今『ヴァンクール』があったら顔面をぶん殴っていたところだ。『家に帰れる』ですって?どの口が言ってるのよ。あんたは今さっき『私に従えば全て上手くいく』なんてくちゃべってた癖に。結局神だなんだと崇められたいだけじゃない。
「……説明はそれで終わり?」
「左様です。お気に召しましたか?」
「えぇ。もうたくさんよ」
本当にもうたくさんだった。永遠などこの世に存在しない。顰め面のロジェのことなどどうでも良いように、マルクレオンは手を差し伸べた。頭がおかしいんじゃないのか。
「では戻りましょう。もう夜も更けて参りましたから」
「少ししてから帰っていいかしら」
「あんまり遅くなってはいけませんよ?」
「……気をつけるわ」
妙に媚びへつらう声が疎ましいことこの上ない。マルクレオンの声が遠のいたのを見計らって、ロジェはため息を吐いた。
「はぁぁ……」
切り替えて何か手がかりになるものを探さないと。ここを脱出する方法でもマリア・ステラ号でも何でも良い。おもむろに顔を上げた瞬間、頭上から声が降りてくる。
「ねぇ貴女、大丈夫かしら」
声の主はあの惨たらしい血色のオブジェクトだ。無視するのも何だと思って、軽く返す。
「……お気遣いどうも」
ここは駄目だわ。踵を返して歩き出したロジェにオブジェクトは縋り付くように叫んだ。
「待って!お願い!私は貴女の味方だ!私もここから出たいんだよ!」
その声はロボットの無機質なものでは無い。ロジェは歩みを止めて振り返った。
「私の名前はエルフィアと言います。ここに連れられて何年になるかもう分からないけど……貴女も誘拐されたのか?」
とんでもない場所でエルフィアと邂逅したロジェは、彼女から当時のことを詳しく聞くことになり……?アリスは追い詰められていた。あの赤が憎い。あれを壊さねばと。前座的なお話の第六十七話!




