第93話 交渉は妥協点の探り合い
「ほう、これは宮廷醸造所で作られた証の紋章。しかも上物の品ですな」
シュバイニーにより運ばれたワインの樽をざっと確認し、アントニオは王家の紋章と最上級グレードだと示す文字なぞる。
宮廷醸造所で生産し、決して他国に出荷せずに直接買いに来た者にしか販売していなかった貴重なる王家のワインは、極上の品として知られている。
「続きはこちらの者、カデュウ・ヴァレディよりお聞きください」
「紹介に与りました、カデュウ・ヴァレディと申します」
「お美しいお嬢さんですね。商人でしょうか?」
「はい! アントニオ氏にお会いできて光栄です」
普段商人扱いされないカデュウは、つい勢いよく挨拶してしまった。
だが、この程度は発声量を間違えたというだけなので問題にはならない。
そう、心の中で言い訳しつつ、交渉を続ける。
「テイスティングをしてもよろしいですかな?」
「もちろんです。存分にご確認下さい」
アントニオは使用人から受け取った小さな器に、少しだけ酒樽から汲み出し、口に含んだ。
「ふむ、間違いなくルクセンシュタッツワイン。結構な味わいです。いかほどでお譲りいただけますか?」
「質は御賞味頂けた通り、量もありますので、金貨200枚程でいかがでしょう?」
「この量ですと……。私共としては金貨130枚程で買い上げたいと思いますが?」
少しだけふっかけたカデュウの値段に、即座に切り返すアントニオ。
この最初に提示する値付けも商人同士の交渉の妙で、相場観が無い物と見なされれば、それ相応の扱いをされてしまう。
最初の値付けが安すぎれば買い叩かれ、高すぎても悪ければ交渉打ち切り、良くても大幅な値下げを要求される。
また、最初から適切な価格でも、やはり値引き交渉は行われ、大抵の場合は損をする事になる。
交渉では、簡単に得られた結果では満足しない人が多い為だ。
もっと交渉を繰り返せばより良い結果になるかもしれないという思い込み。
昔の賢者が唱えた、勝者の呪縛という心理らしい。
「ルクセンシュタッツ宮廷醸造所の滅亡前最後の品です、姫君のサインをお付けすればその価値は高まるかと思いますよ?」
「はは。お上手ですな、売り文句も考えて頂けるとは。しかし、私共の取り分もございます。金貨170枚お出ししましょう、こちらでいかがです?」
やや低めだが妥当な金額だ。
元々の商品の価値からすれば十分高値なのだが、言ったように希少価値という特質が付いているものなので、その価値は大幅に高まっている。
「ふむ……それでは……。金貨170枚に加えて、服をお譲りいただけませんか?」
「……服、ですか?」
「ブリュアーノ財団といえば、連合評議会議員や王侯貴族御用達の服飾分野が有名です。普段ならば手が届くものではありませんが……、姫君達にプレゼントして差し上げたいのです」
交渉の方向性を変えて、料金の代わりに物で穴埋めする事を提案した。
お抱えの仕立職人が作るオーダーメイドの高級服は、わがままな王侯貴族の相手をする中で、作ってしまったが買い上げられなかった服という物も発生する。
服を仕立てる他商会との競争で採用されないケースもある。
そういった余剰の服を戴こうというわけだ。
「なるほど……。いいでしょう。売れない在庫は金になりませんからな、投資に回し将来有望な王女殿下御一行へのコネ作りに回すと致しましょう」
「ご承諾頂きありがとうございます」
「我が財団の誇りにかけて、お客様のお気に召さないものを卸すわけには参りません。その過程で生まれてしまった在庫で良ければ、お好きな物をプレゼント致しましょう。もちろん仕立て直しもね。一人一人、体型は違うもの。仕立服の真骨頂はそこにありますからな」
「感謝致します」
よし、服代が浮いた。余計なコストの浪費を防ぐ事が出来たのだ。
カデュウ個人としては大勝利である。
仕立て直しもしてくれるとは有り難い。
南ミルディアス最高の服飾ブランドという看板が、半端な品物を卸す事を許さないのであろう。
きっちり身体に合わせた服とそうでない服は格段に着心地が違う。
「良かったわね、カデュウ」
「うん、クロスのおかげだよ」
「あなたの服も貰えるじゃない? 姫らしくしないとね?」
「……しまった!?」
良かれと思って安く上げようとした姑息な節約が、自分の首を絞めようとは。
思いもよらない事態へと発展してしまった。
要するに、詰んでしまったのだ。




