幸田露伴「あがりがま」現代語勝手訳(9)
其 九
無理無体、理不尽の数々を極めた宗安の言葉も、こちらが女一人と侮ればこそだと、我が身の不甲斐なさを歎くと同時に口惜しくもなるが、言い返す術も無い今の境遇の悲しさ。鹿手袋(*埼玉県さいたま市南区の町名)では、誰に会っても頭を上げさせないほどの家柄の末が、こうまでも村内の碌でなしに見下げられるかと思えば、亡夫もきっと恨めしがっていることだろうと、今日も心ばかりの物を供えた仏壇の方を打ち見て、溢れてくるのは先ず涙。そして、眼先に浮かぶのは往時のことだけ。夫はと言えば、村の束ねもしていた家の統に生まれ、自分はと言えば、僅かな土も黄金になる江戸の草分けの家に生まれて、お互い何一つ金に困った暮らしもしてこなかったが、人に騙されるやら、思わぬ禍災に遭うやらして、この想像さえもしなかった貧の苦しみの堪え難さ。
親切めかした勇造殿の世話に任せて、亡き夫の病気の最初に頼んだ医者が誰であろう、この宗安。最初は羽織も着て来て、もっともらしい切り口上。殊勝な顔をして脈を取ったが、夫の病気は重くなるばかり。治りそうにもないので、苦しい中、無理算段をして、娘が健気な志で工面した金でもって、浦和から招んだお医者様に診察をしていただけば、この宗安めが盛った薬は役にも立たない風邪薬。病気は昔言えば癆症、今では肺病と言う難病。診察するのが遅れて、空しくも早手遅れも大手遅れとなって、望みも無いとのこと。この宗安めが憎いやら、勇造殿の恨めしいやら、と言っても今更どうしようもなく、無駄だと分かっていても神の力、人の力で、もしやと、治療を続けたが、その甲斐もなく、遂に亡くなられたのは先々月。四十九日の今日の今、往時の夢をまざまざと見て、ただでさえ泣きたいその矢先にこの宗安めの雑言過言。夫を殺したのと同然のその薬すら腹立たしいのに、何を使っているのか分からない、信じられないほど高い値段の薬。段々と聞いていけば、この宗安、一昨年頃から新開村へ流れ込んだ素性も知れない渡り者とか。こんな奴めに頼んだのがこっちの不運というものの、勇造殿が恨めしいと、腹の中では右に左に思わずにいられないけれど、口には出せず、世馴れてもなお、これまで豊かに生活をして来た者の習いとして、気が弱いので少しの反論も出来ず、頭を下げて、ただほろほろと口惜し涙に暮れる様子は、野分(*強風)で折られた花が力なく露を溢すようであった。
宗安はこれに気を苛立て、
「エエ、めそめそとよく泣く女だ。返事をするかと思っていれば、耳が聞こえないのか、喋れないのか、それともただの人形か。ウンともスンとも言いくさらん。ああ退屈だ、退屈だ。さあさあ、返事をしてもらおう。飲んだ薬をたった今出して返してもらおうか、それとも銭をもらおうか。薬を返すか銭を出すか、さあ、どうした、愚図愚図するな。愚図愚図する間に寿命が減るわ。ああ退屈だ、退屈だ」と、言いながら四方を見廻して、縁の取れた折敷(*縁の付いた方形の盆)に乗せた小さい柿が仏前に供えてあるのを見つけ出し、
「や、好いものが上げてある。柿を買う銭はあったと見えるな。何も亡位が白骨になって柿など食いはしまい。こいつを馳走にでもなって、テメエの返事を待とうかの」と、のそのそ立ち上げって、鷲づかみにすれば、余りにも腹立たしくて、
「エエ、悪ふざけをなさいますな。今日は亡夫の四十九日。何をしたくてもできない悲しい中で、あの榮太郎の親孝行、年端もいかないのに野山を渉猟って、やっと採ってきた少しの木の実。『母様、これでも亡父様にお上げ下さい』と、今朝暗い中に私へ渡して、『これからお墓参りをして、直ぐに六三様の家の収穫の手伝いに参ります。晩にはきっと少しなりともお米をもらって帰ります』と、十二や十三の小さな胸を痛めて、日毎の艱難辛苦。この頃は見る見る痩せてくるほど。こういう状況なので、ご恩になった薬代もあげたいと思わないでもないけれど、今が今では上げられません。ここらをどうかお汲み取りいただき、娘の許から返事が来るまで、少しの間お待ち下さいませ」と、裾に取り付いて泣いて頼むが、突っ立ちながら柿を噛み噛み、とぼけて取り合わず、やがてこちらへ振り向きざまに種を二つ、三つ、ぷっぷっと吐き出し、
「ああ、待てない、待てない。我が困る。しかし、テメエや榮太郎の話を聞けば、満更我も可哀想だと思わないでもない。それ程言うのなら、我も困らず、テメエも困らないやり方もあるが、話してやろうか? いや、待て、これも駄目だろうよ。無益な話はしない方がいい。テメエは勝手に困ればいい。我はテメエに困らせられる所以がないから承知はできねえ。さあさあ、早く金を寄越せ。無いでは済まねえ、済まされねえぜ」
つづく