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幸田露伴「あがりがま」現代語勝手訳(41)

 其 四十一


「引き止めでもするかと気遣われてのことだろうが、あまりといえば性急な」と呆れて呟く母を(なだ)めて、

「いえ、まあ、(かあ)(さま)お聞きください。あの方ばかりは本当に本当に優しいかと思えば、気味の悪い程怖ろしく、強いかと思えば、子どものように罪のない、何とも気性の知れない方。母様はまだお怒りになったところをご覧になっておられませんが、それはそれはそのお怒りなさった時の凄さ、眉を立てるでも、歯をお咬みになるのでもないけれど、お顔もお身体も鉄ででもできているかと思われるくらい一寸の弛みも無くなられて、一言一言に(ごく)短く精選(すぐ)りぬいた(ことば)をお出しなさるその時は、まるで別のお方かと思うくらい。一言でも間違ったことを言おうものなら、コロリと首でももがれそうな剣幕。脇で見ていても冷や汗が流れました。ああ、まだ何もお話しをしませんでしたが、母様、私は大変な目に遭いました。平九郎という男の手から扇面亭(せんめんてい)という(うち)に奉公しましたその当座は、本当に優しくしてくれますし、勤めも辛いことはなく、好いご主人と思い込んでしばらく勤めておりましたが、その後、時折来ては遊んで帰って行かれる草加の大金持ちだとかいう老爺(おやじ)が私を捕まえて厭なことを頻りに言うので、逃げ回れば、『お客を粗末にするな』と、ご主人はもっての外の不機嫌。他のお客ならどのような方でもお相手出来ますが、あのお金持ちだけは無理ばかり仰るので、どうかお許し下さいと、泣いて願えば、一層怒って『四つん這いになって酌をしろとか、一本足で給仕をしろとか、そんなことをお客がまさか言いもすまい。人間に出来ることをせよと言うのだから、何も無理はないはず』と、箸にも棒にもかからない乱暴な命令(いいつけ)。あまりにも無体なと思いながら段々と(うち)の様子を見れば、同じ仕事をしている(ひと)(たち)は皆それぞれ(うち)のお客の言いなり次第。猥褻(みだら)なことをしておいて、それを(かえ)って手柄のような顔。主人(あるじ)もそれを劫って又、(すす)めるような采配振り。段々と話を聞けば、十何両とかお金を取って、主人(あるじ)が承知をして、私をその厭らしい爺めの自由にさせると約束したとか。そうと知った時の私の驚き、母様察してください。初めの約束にそんなことは無いはずだと争っても、『主人を馬鹿にしくさる女め。世間とはこういうものだわ。他の者にも聞いてみろ、そんなこともなくて、何で誰が大金を出す。人を馬鹿にして給金の前借りを踏み倒そうという腹か。そんなことはさせないから、そのつもりでいろ。厭なら厭でもいい。前借を綺麗に払って、食い扶持(ぶち)を置いて行くなら我が儘も通してやろうが、そういうことでもなければ、そんな気ままなことはさせないぞ』と、前借を(かせ)に無慈悲な言い草。母様の許へこの事を申したとしてもご苦労を掛けるだけと(こら)えても、とうとう辛抱仕切れず、ある夜のことでした、私はどこまでも我を張って、最初の約束で、肌身までを(けが)して奉公するとは言っていないと、それを頼みの(たて)にして必死に主人(あるじ)と争いました。最初は主人も強く出て、『剛情な(あま)め、騙賊(かたり)め』と、随分掴み掛かりもしそうに、又、手籠めにでもして言うことをきかそうとしましたけれど、私も覚悟を決めまして、叶わない時にはお(かみ)の手をお借りしてでも()れるところまで()ってみようと、一生懸命、少しも負けずに剛情を張りましたので、先方(さき)の方がとうとう根負けをして、とても私を手に負えないと悟ってか、()の平九郎を呼んで、ひそひそ話。その結果、私を平九郎に渡しまして、前借はきっと取り戻して渡してくれなければ納得しないぞと、厳しい談判をまとめました。私にとっては平九郎も先方(むこう)について此方(こっち)を計った憎い奴ではございますが、生活(くらし)といえば、御菜(おかず)も買えず、漬物(おこうこ)を一本買いする程の中で私を預かった気の毒さ。あまり働きもない男で、実は商売も女郎上がりの女房が切り盛りするくらいなので、考えも智恵も別に出ず、ただ『お須磨様、どうしましょう?』と、私に考えを聞くばかり。私も母様にご苦労はなるたけ掛けたくないと思いまして、出来ることなら堅気の家に奉公して、その前借で、扇面亭の方の借りを返してしまいたいので、そういう口を見つけてくれるよう頼みに頼んだのですが、所詮(しょせん)堅気ではそのような高額な前借は出来る筈もないと、思案に暮れるばかり。扇面亭からは慈悲(なさけ)も無く、毎日のように非道い催促。他人の中に(はさ)まって、私も長い一日を心配し通しで、病気になるのではと思うほどでしたが、平九郎の女房が口を利きまして、同じ渡世はしながらも、平九郎とは打って変わって世間に沢山顔も売れて才覚もあると噂される辨次郎という者に私の話を持って行き、それからはその男にも何度か会って、互いに相談しました」とそこまで話し終えて、先ずは一息ついた。


つづく

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