幸田露伴「あがりがま」現代語勝手訳(40)
其 四十
思いがけない邪魔が入って、これは自分の利益にならない状況になったと、勇造は手持ち無沙汰に不平顔をして、煙草を燻らせたりしていたが、お須磨は厭な奴が傍にいるとは思ったけれど、知らない間柄でもないので、素気なく知らん顔をすることも出来ず、
「これは勇造様、しばらくお眼に掛かりませんでしたが、お元気そうでなによりでございます」と、わざと勇造の名を鎌九郎に聞こえるように挨拶をした。
『さては、なるほど、こいつがそうか。初めからもしかしたらこいつかも知れんと思ってはいたが、その通りだったな』と言わんばかりの顔つきをして、いかにも鄙しめるように勇造を再び見下したが、急に頭を下げ、身を低くして、
「これは初めてお眼に掛かります。私は鎌九郎と申しまして、亡くなられた榮吉殿とは幼少頃の兄弟分。何分、お見知りおき下さいませ。榮太郎から聞きましたところによれば、どうやらちょっと榮吉殿が何か貴方にとんでもないご迷惑を掛けて置かれたそうで、いやもうきっと困られておられることだと思います。誠に相済まぬことでございます。私はご覧の通りの無骨者ではございますが、榮吉殿とは兄弟分の誓約もいたした者でございますので、図らずこの度、おこの殿とも巡り会いました上は、何かと相談もいたしまして、私から改めてお話しに上がります。いやもう、亡くなられた榮吉殿の恥辱はやっぱり私にもおこの殿にとっても逃れられない恥辱。それを庇い、その上おこの殿もお世話していただこうとの思し召し、誠に有り難いお芳志。亡位もさぞかし悦んでいることでございましょう。私にとっても本当にありがたく思っておりますが、まだ私は詳しいこともよく承っておりませんので、おこの殿から詳細をお聞きしたその上で、今晩お宅へ伺いますので、どうか御在宅をお願いいたします」と、事情はまだ好く呑み込んでいないらしいけれど、下手に出た行き届いた挨拶。
勇造は黙って聞いていたが、鳥もいない田舎の、蝙蝠だけの世界に驕り馴れた横柄顔。
「それでは、お前さんが榮吉と幼少時の兄弟分だったというので、厄介話を自分の肩に掛けて立とうと言いなさるのか。親兄弟でも面倒なことはなるたけ他に押し付けるのが当たり前というのが世間の習いなのに、お前もよっぽど茶人だね。ハハハ、しかしどれ程、どうしたって、空手で来ては頭から話にはならないと思ってもらおう。好いかい、手ぶらでは駄目だよ。それを承知でお出でになるなら、何時でもお出でなせえ。フン、口は巧くたって、口ばかりでは唇の動かし損というものさ。どれ、まずそういう訳なら家へ帰って寝てでも待とう。いや、おこの殿、お前はまあ、好い兄弟分に出て来てもらったが、元は他人だ。あんまり腹を打ち割って、愛想を尽かされなさんなよ。旅烏ではないこの俺にやっぱり就いた方が安泰だろうに」と、憎まれ口を叩きながら突立ち上がって、
「どれ、行くとしましょう。ヘイ、酔興なお客様、まあごゆるりとなさいませ」と、言い捨てて戸外へ立ち去れば、おこのとお須磨は眉を皺めて、
「まあ、憎らしい毒口ばかり。とんだ失礼な数々をお聞かせして申し訳ございません。きっとご気分をお悪くされたと思いますが、ご勘弁を」と、左右から同じように詫びれば、客は劫って笑い出して、
「取るに足らない彼奴等の悪態口は、牛の角に止まった蚊ほどにも感じません。
フフ、フフ、ナァニお構いなく。それよりも先ず以て伺っておきたいのですが、あの勇造めは榮吉殿が入れて置かれた証文を持っているのかという件でございます。榮太郎殿から残らず一応は伺いはしましたが、これがはっきりといたしません。榮太郎殿がまだお帰りにならないのは心配ではありますが、もうやがて帰って来られましょう。私のことはお須磨殿も榮太郎殿も詳しくご承知でございますので、ゆっくりとお聞きください。どういう訳か、不思議にも榮太郎殿にお眼に掛かったのも縁というもの、及ばずながらご心配は皆取り除いてあげますつもり。これは亡位様への私のご恩返しでございますので、お心置きなくどんなことでもご相談して下さいませ」と、偉そうにもせず、余裕のある、世にも頼もしい男気のある言葉に、おこのは夢見る心地。助けてくれる神が我が家に天下りされたかと、数十日ぶりに初めて本当の悦びを得た嬉しさ。言葉に言い表せない思いがして、頭も下げたまま、直ぐに擡げることもせず、深く感謝の意を示した。そして、ようやく徐に口を開いて、
「榮太郎がまだ帰っておりませんので、往時、どのようなことで亡くなりました夫と貴方の交情が結べたのかも存じませんが、往時を思って下さるお心の有り難さは何と申しようもございません。あの勇造めが手にしているという証文というのは、話ばかりでまだ私は見てもおりませんが、ご覧の通りの我が儘無法。上など見ない鷲の強さに任せて私等親子を窘めるその非道さはお話しにもなったものではございません。お須磨もこのようにお世話いただいたと伺いますに、又もや勇造のことまでお世話になっては済みませんが、お須磨、一体お前のご主人の方の様子はどうなりました。榮太郎が帰って来て話をしていないので、私はただただ心配するばかり。どうして榮太郎がこのお方にお眼に掛かり、又、お前がどうしてこのお方のお供をして此家へ来たのかさっぱり解りません。とりあえず、お前から私にかいつまんで話を聞かせて」と言えば、お須磨が進み出て話をしようとするのを、
「いや、ちょっと」と止め、
「それは後からゆっくりとお須磨様からお聞きなさいませ。まず、私は勇造めの一件を片付けて来ますので、その後お話しもいたしましょう。それでは、今話しました証文はまだご覧になっておられないというのでございますな。聞けば、三十、四十の端金に八反何畝の抵当とのこと。あまりに違いがあり過ぎますので、もちろん勇造めのこしらえ事。証文も無いのに決まっております。よろしゅうございます。気を大きくして安心なさいませ。私はこれからちょっと浦和に参って、自分の用事を済ませて、今夜勇造めを退治して、充分仇を取ってあげます。憎い蛆虫めでございます。引き摺ってきて、お詫びをさせて、その後ゆっくりと往時話も、又お須磨様、榮太郎殿のこれからのこともお話しいたしましょう。では、さようなら」と言ったかと思えば、疾風のように身を起こし、おこのとお須磨が驚いて、止める間もなく、走るように出て行き、お須磨が追うが及ばず、鎮守の森の蔭に隠れて姿はたちまち消え失せてしまった。
「何と言う、まあ、不思議な人……」
つづく




