幸田露伴「あがりがま」現代語勝手訳(39)
其 三十九
最初の一日は榮太郎が戻らないのは、さては都合良く金銭の段取りが出来たので、大事を取って今夜は帰らないのだろうと悦んでいたが、その悦びは空となり、二日目の正午を過ぎたけれど榮太郎は帰らなかった。今朝千住を発ったなら遅くてももう帰るはずではあるのにと、門口まで出て何度も遠くを見やったが、まったく帰る様子もない。
おこのは段々心配し出して、もしかして都合がつかず、思う通りにならなかったので、帰るにも帰りにくくなり、お須磨と共に無益な考えを巡らせているのではなかろうかと考えたりした。しかし、それなら又、手紙の一つもお須磨の手で寄越すはずで、それさえ無いのは、ひょっとして、途中で何か悪いことでも起こったのではないか、ああ、気がかりなと、立ったり坐ったりして、風の音にも立ち上がって外面の方を見たが、二日目の夜も遂に帰らず、三日目になってもなお帰って来なかった。いよいよ心配になってきたが、どうするにも手立てがなく、今夜は仕方がないが、明日一日、もしも帰って来なければ、これはただ事ではない。人に頼んで届ける所へ届け、千住へ行き、一度はお須磨の主人という人にも娘が世話になっている礼を言って、そのついでに、榮太郎がそこに居れば直ぐに連れて帰ろう。もし居なければ八方訊き廻って、しっかりと行方を探ってこようと気持ちを決めたが、心の底では、明日はきっと何事もなく帰って欲しいと神に仏に祈っていた。だが、無惨にも神も仏もその願いをお聞きにならなかったのか、その翌日の朝、烏も雀もいつもの通り鳴くけれど、我が子は声もなく、影もささず、その代わりに、思いもかけず、来いとも言わないのに、あの勇造が例ののさのさ歩きをして、声も掛けず、ぬっと入って来た。
『これは!』と驚くおこのの様子を冷ややかに見て、不気味な笑いを含んで座に着くと、
「イヤナニ、おこの、俺が来たといって、そんなにあたふたせんでも、まあ、坐って言うことを聞け。過般の夜は上手く一杯俺に食わせて、よくも逃げたの。お前の方でそういう出方をすれば、こっちも曲がって出る意地の悪い出方も知っているが、何も地獄の鬼のように酷いことばかりはしたくない俺だ。どうだ、おこの、恥ずかしがる歳でも恐がる歳でもないだろう。無益な口を利かせるだけ野暮というもの。しかし、どうあっても俺を袖にして、亡位へ情を立てるというなら、それはそっちの勝手だが、男児に恥をかかせただけの報いはきっとあるものだと思ってもらおう。のう、おこの、これ、どうした、又黙って考えを腹の中に押し込んで、その腹の底で俺の言っていることを吟味しているのか。何も考えることはない。二つに一つの返答だわ。どうだ、位牌に泥を塗って、お前等親子に弁償の『枷』をかけさせてくれようかの。それとも、俺の気持ちに就いて、どうか何分身の振り方をこれからお頼み申しますと、縋って来るなら俺は任侠だ。何でお前等にこんな悲しい、明日の米の心配をするような目に遭わしておくものか。算盤の五玉と一つ玉の違いよりもっと大きな違い、引き算とかけ算のどちらが身のためになるかは、子どもでも直ぐに解ることではないか。これさ、どっちを向いている。空とぼけても済みはせんぞ」と、今日は前の日に引き代え、頭からものを言って逼り、次第次第に吐く言葉は、一言毎に聞くに堪えられない厭味の数々。半ば脅迫を加えて、無礼な振る舞いをもしかねない凶悪残忍な面構え。膂力があれば、張り歪めてもやりたいくらいだが、女一人、どうしようもなく、気ばかりが焦れて、涙ばかりが空しく溢れ、困り果てているその時、戸外に人の足音がした。
『嬉しい! 榮太郎が帰って来たのでは』と思ったが、そうではなく、そこにいたのは立派に粧った妙齢の女で、それは娘のお須磨であった。
『これは!』と驚き、嬉しさ余って飛び上がるようにして迎えれば、
「母様……」という言葉より他は出ず、泣きながら縋りつく娘。互いにしばらく抱き合って、嬉しさに又涙になっていたが、お須磨に連れられてやって来た大きな男、顔は鼻が大層高く、眼付きも鋭く、容貌はいかにも逞しい。その男がこちらに来るのを見て、
『この人はどなた? もしかして、この人がお須磨の主人なのか?』と疑うにつけ、お須磨は又どうしてここに来たのか。そもそも榮太郎はどうしたのかと、解らないことが次々とわき起こり、
「お須磨、あのお方はどちらの方か? 又、榮太郎はどうしました?」と、訊けば、問うおこのの方よりも、問われたお須磨をはじめ、その男までも首を傾げて不審な様子を見せ、
「では、榮太郎は帰っていないのですか。それでは、母様、このお方のお噂を少しもお聞きになってはいないのですか。はて、おかしなこと。榮太郎はどこをうろついていることやら。榮太郎も、又私もこのお方には一方ならぬ大恩を受け、危うい所を逃れただけでなく、このように、これご覧ください、この身の周囲もやはりこのお方にこしらえていただきました。それだけではなく、母様お悦び下さい。これから後も母様の力にもなって下さろうと、本当にご親切に仰って下さいました。このお方は、お父様と幼い頃仲好しで、兄弟分になっておられたそうで、鎌九郎様と仰います。今は京都にお住まいになられるご不自由のないご身分の、本当に、本当にありがたいお方でございます。母様、よくよくお礼を言って下さいませ。榮太郎がお目に掛かったことで、往時を忘れず、厚いお情け。榮太郎ももうとっくに帰って、このお話をしたはずだと」と、口を忙しく動かして、母に引き合わせれば、男は鷹揚に口も開かず一礼して、じろりと横眼で勇造を睨んだ。
つづく
※ お須磨が千住に奉公に出された経緯については、「もつれ絲」(露伴と田村松魚の合著)で語られている。




