幸田露伴「あがりがま」現代語勝手訳(24)
「あがりがま」は廃鎌、すなわち、使い物にならなくなった鎌のこと。
この作品の冒頭の唄「怒りや蝮蛇も人さえ殺す、かたな無いとて斬るまいものか、鎌に血をひくこともあろ、えいやな、」と符合している。
このあがりがまを契機として、物語は意外な方向へと発展していく。
其 二十四
「エエ、もうやっぱり死ぬしかないのか。生きていたって仕方が無い。お父様は亡し、姉様は行方知れず、たった一人の母様は苛められて、今死のうとされている。悪党どもは金持ちにもなって威張って行く。つまらない世界だ。楽しみはない。ああ、やっとの思いで母様が死のうとされるのを止めはしたが、これから帰って今日の結果を話したら何と仰ることだろう。そして第一、姉様が行方知れずになりましたなんて、俺に話ができようか。出来ない出来ない。とても母様にそんなことを言い出すことなんてできない。ただ、会えなかったと言っておこうか。あんまりぼんやりとしたことだと、詳しく聞かれて、嘘が露現れてしまうに違いない。会ったけれども、金銭は出来なかったと言っておこうか。いや、それではやはり母様に死ねと言うのと同じこと。しかし、ありのままに言ってしまえば、今までだけでも母様の苦労はひとかたではないのに、その上に又ご心配をかけることになる。アアどうしよう、どうもこうも仕方は無いのか、方法は無いのか。万一家に帰った時、姉様が来ていたらどうしよう。虚言はなかなか言えない、言えない。姉様がお逃げになったというのもどういう訳か分からないけれど、きっと訳があるはず。あの辨次郎もやっぱり勇造みたいに悪徒ではないのだろうか。姉様もまた、父様や母様同様、人が善いから悪徒どもに苛められて、辛さ悲しさに堪えられず、死のうと思って逃げられたのか。同じ死ぬなら家へ帰って母様と榮と皆一緒に……、いやいやとんでもない、厭なこと。母様を死なせて堪るものか。姉様を死なせて堪るものか。アア、榮も死にたくない。母様も姉様も父様のいらっしゃった時のように、皆一緒に生活したい。貧乏をしても一つ家で、例え叱られても、泣かされても、一つ家で、三人揃って生活していたら、こんなうれしいことは無いだろうに。もうそれは到底出来ないことになってしまった。金銭のせいで到底出来ない。金銭が悪徒に加勢をして、そして正直な善い人を苛める。俺たちは苛め殺されかかっているのだ。エエ、苛め殺されるのが口惜しい。母様を苛め殺させて堪るものか。姉様を苛め殺させて堪るものか。残念だ。口惜しい。母様も姉様も俺も皆、悪徒の手の中の金銭のために苛め殺されてしまうのか。その金銭さえこっちで持てば訳はないのだが、それも出来ず。アア、母様は、姉様は……」と、あれこれと乱れる憂愁と不平に、足は地面を踏んでいるのか、雲を踏んでいるのかも分からないくらいに、半分はまったく夢のように迷っていた。月の光が空に冴えるが、気持ちが消沈しているのでそれさえぼんやりとして、何度も樹の根や小石に蹴躓いては爪を痛めながら覚束なく辿って行ったが、突然背後に人が居て、
「エエ、この小僧がっ!」と、大声で怒鳴られたかと思うと同時に、榮太郎は早くも平手で押しのけられ、勢い余って、路の傍の霜枯れた小草が群立っている中へと酷くも倒された。その時、何か分からないが、固いもので臀の辺りを傷つけられたようであった。
痛さと突然のことに驚いて、急いで身を返してよく見れば、誰が棄てていたのか、それは廃鎌で、柄の部分はまだ朽ちてはいないが、その刃先は半ば折れ残っており、それが地面に横たわっていたのだった。これで切られたのだろう、痛む辺りを探る手に、紅色の鮮血がぼんやりと付いている。これを見るや、この失意に失意を重ねていた少年は、何を思ったのか、その廃鎌を右手に、菅笠白く月の下を行く旅姿の背の高い男の後をまっしぐらに追い、左手でしっかりと男の袂を掴んだ。
つづく




